いまさら やめては だめなのだ

反宿坊板、及びそれに類する掲示板へのリンクはご遠慮ください。 串投稿もご遠慮ください。 他者に対する発言は充分な根拠を示してください。



カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


803件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[461] 五眼三身ステップアップ その6

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月28日(火)03時13分20秒   通報   返信・引用

信心とは何かを考えてみよう。

信心なんてものは
信念として表れてこそのもの。

なんでもかんでも「はい」と
付き従うのは、思い込み。

ロボットになってどうする。

自分で考えて判断できるのが信念だ。

言葉は学ぶものであり信じるものではない。
信じるのは自身の生命尊厳の法だ。

だから外から信じさせられているものは
捨てよと言っているのである。

信心が純粋に
生命尊厳の法に直結するためには
苦しめる側になるか
苦しめられる側になるかの
選択がある時

断じて苦しめられる側の民衆の先頭に立って
民衆を守り抜く以外には無いのである。

理不尽に対しては
断じてノーと言っていいのだという事だ。

「心の師とは・なるとも心を師とせざれ」
とは、意識機能の使い方の指南である。

個別のストーリー都合によって
師の言葉を知識として使うのは
心で師を使っているので
師を軽んじているのである。

法である自己機能の活性化により
湧き起こる知恵が、そのまま
師と同じになるのが理想である。

これが実は可能なのである。

立脚点は明確である。
南無妙法蓮華経だ。

誰が唱えても
南無妙法蓮華経は
南無妙法蓮華経なのである。

その境地に向かって
五眼三身のステップアップをすれば良いのだ。

あとは責任感の範囲と深さである。

今までがどうかは関係ない。
仏法は現当二世である。

今決めてしまえば良いのだ。

そして有言実行していけば良いのだ。
それだけである。

それが師弟不二なのだ。

今、その人間が続出すべき
時が来ているのである。

つづく・・・かな??


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452




[460] 五眼三身ステップアップ その5

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月27日(月)03時14分35秒   通報   返信・引用

さて
五眼のステップアップを
アルベア論の言葉で言うと
意識のイノベーションになる。

言い換えが出来るという事は
普遍性があるという事である。

つまり
正反合ではなく正正同になる。

もともと有る無作の生命論に
立脚するからそうなるのである。

背くべきものがない
必然の調和の立脚点である。

同じ自己責任が
すでにそこにある。

自己責任という事は
自得という事である。

私がすでにそこにいることを
見ているのである。

私がやりたかったことを
すでに誰かがやっていて

誰かがやりたかったことを
すでに私がやっている。

全体性がもたらす
智慧のエネルギーが

法界の中で現象化し

それを個々のストーリーとして
見ているだけなのである。

それが仏智である。

それを分からずに
自分の得ばかり考えるから
軋轢が生まれ
不幸が生まれるのである。

見られることに応じて
ストーリーを持った個として認識されるのが
応身であるが、悟らずば自我機能である。

思いを起こす心のエネルギーが報身である。

ストーリーのない自己機能というのは
実は法そのもので法身である。

アルベア論というものは
非ストーリーの法の振動と
飛翔のためのストーリーによって

自在の智慧のエネルギーを増幅し

自我の相対的ストーリーを振りほどいて
非二元の絶対的ストーリーである
無作への飛翔を
自得するためのものなのである。

「心こそ大切なれ」ゆえである。
これは、報中論三ゆえでもある。

慈悲は慈悲を見る。
愚考には語り掛けない。

全ての人は
一念三千の慈悲の光を放つ
無作三身という当体であることを

ただ気付けないでいるのだ。

つづく・・・かな?


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452



[459] 五眼三身ステップアップ その4

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月26日(日)00時39分59秒   通報   返信・引用

例えば、素晴らしい登山家がいたとする。

どんなことを思って、どんな山を
どんな準備をして誰とどんなふうに登り
そして登った経験から
どんな教訓を得て
次に登る人は何を気を付けなくてはならなくて
どんな準備をするべきで
どんな成長がもたらされるのか
等々

これが一念三千とする。

山を登ったのは私です。おわり。

これが五眼三身である。

もっともその時の「私」は
「あなた」でもあるわけだが

それを含めても

山を登ったのは私です。おわり。
なのである。

そうであるならば
御書に説かれている量と
その重要性は比例しない。

五眼三身はただ寿量品だけに実体がある法門である
このことが重要なのである。

その事は四条金吾釈迦仏供養事(釈迦仏開目供養事)
に説かれている。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_51768.html

分かるだろうか?

私の論を「なるほど」と思って
同じようにやってみようというのでは
五眼三身を聞きながら、一念三千しか見えていないのである。

私の論など忘れ去って
自分を縛るものは何も無いと生きるのが五眼三身なのだ。

ただし始めから縁しないのと
学んでから忘れるのでは違う。

構造を知らずに分解しようとすれば壊れてしまう。
構造を知っていればスムーズに分解できる。

どの部品がどことつながっているのかは知っておいた方が良い。

壊さずに取り外せたら忘れれば良いのである。

開目とは自我が見ている全ての抑圧からの解放であり
生命の開放である。

それは無認識認識の体感覚知であり
歓喜の中の大歓喜なのだ。

つづく


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452



[458] 五眼三身ステップアップ その3

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月25日(土)00時11分3秒   通報   返信・引用

法眼において智慧のエネルギーによる
理から事への変革に徹し
業の流れの同一のパターンが
解っていくのであるが

それでもなお
見える法はそれぞれであり

因と果も厳密には同時にならない。

無分別の一法とは何か?
その法はどこにあるのか?

これが解決しないのである。

ならば一念三千の法門はそのままでは
理から事への変革の法眼までの法門なのである。

三如是の三身を中心軸として反転し
飛翔することが仏眼なのだ。

御書の十如是事
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52262.html

を見るとそういう内容になっている。

思考が先立つが
平易に自分の言葉で論を進める。

法は眼に見えているのか
法は眼に見えていないのか

これに迷うのであるが

見えていない理も
見える化された事も

そう見ることは法眼止まりであり
対象化されたストーリーなので同時とならないのだ。

つまり、ステップアップしてきたこの「見ること」
そのものの「今ここ」こそが実在であり

対象化された見えるも見えないも、
それは夢のようなものなのである。

御義口伝には、それぞれの品で一番大事なのは
題号であるとされている。

そしてまた寿量品とは
南無妙法蓮華経如来寿量品第十六

「この南無妙法蓮華経如来寿量品第十六という題号は、
日蓮大聖人の御身にあたる大事なものである。これこそ
神力品第二十一において、上行菩薩として釈尊より付属
を受けた実体なのである。」と。

ステップアップしてきたこの「見ること」
そのものの「今ここ」こそが
無始無終にして常住不変の
不死の一法なのである。

人間の肉体は死ぬように見えるけれども
この「見ること」は死なないのであり
その寿命は無限であり
一歩も動かず何も変わらないのである。

変わるのは夢のような世界と
それに対する認識だけ。

この世界を考えると同一の「見ること」が
無始無終にして常住不変に連なっており
すでに見終わっていて
すでに見られ終わっている。

完全に人知を超えた部分が多々あり
順を追って説明しなければ
ただのぶっ飛んだおっさんの妄想である。

仏眼からすれば、
全てはすでに仏であり寂光土であるので
すでに広宣流布された世界である。

逆らわなければ全ては最良の
仏の計らいしか起きないので
人知ではあずかり知ることは出来なくとも
委ねて「見ること」を楽しんでいく世界である。

つづく


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452



[457] 宿坊の掲示板から<保存版>

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月24日(金)14時25分19秒   通報   返信・引用

<保存版>我が青年よ!馬上豊かに剣高く・山本伸一  投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50068(1)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50099(2)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50105(3)

≪出だしを抜粋≫
2008年3月3日付聖教(1) ・・今、この時の為・・・

強烈な
魂の光が
激しく
光り始めた

おお 偉大なる青年よ !
精神の王者を妬む
いかなる権力者をも 絶対恐れぬ青年よ !
いかなる強敵(ごうてき)にも 戦い勝ち切る青年よ !
今日も
正義と善の炎に燃えゆく
あの素晴らしく青年よ!

この神々しき
紅顔の青年たちが
厳として
立ち上がり
厳として
動き 走り行く!

そこから
万雷の拍手が鳴り響く
新時代が始まる。
そして煌々(こうこう)と
新しき太陽が昇る如く
全世界は変わっていくのだ・

あの深き信念の青年は
威張り腐った
見栄っ張りの王侯たちを
嘲(あざ)笑っている。
賢者である青年たちは
すべてを明快に知って
その正体を見抜きながら
権力者らを
笑い飛ばしていくのだ。

驕り(おごり)ゆく彼らの前途には
平和の道も
充実の道も
絶対にない。
ただ荒涼として
人民の怒りの風が吹いている。

青年は厳しい。
青年の英知は
冷徹に輝いている。
驕慢な
知識階層に対しても
卑しき権力者に対しても
増上慢の
気取った連中に対しても
あまりにも鋭敏に
悪を見破る君よ!


悪党は
真実の豊かな人生の
喜びを知らない。
つまりは哀れな人間たちだ。
いついつまでも
己に執着している。
慈愛も価値もない。
人目を盗んで 皆の努力を
食い尽くしていく奴らだ。

十七世紀フランスの詩人
ラ・フォウンテーヌは
憤怒(ふんぬ)して喝破(かっぱ)している。
・・いつの世にも庶民は苦しんできたのだ。おえらがたの愚劣な行いのために・・
だからこそ青年が
厳正に監視するのだ!

おお 君の戦いには
剣が鋭く
舞があり
芸術がある。

明敏な君の姿には
天の男子として
使命が輝いている。

眼は涼しく
その意思は鋼鉄の如く
強く光る。

狡賢く(ずるがしこく)
貪欲な連中には
清く潔き君たちの魂の
英邁なる高みを
知ることはできないのだ



[456] 五眼三身ステップアップ その2

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月24日(金)14時11分59秒   通報   返信・引用   編集済

慧眼の段階では
仏は解っても成仏は
理の上であり未来の成仏である。

どうにもならない現実が
まだ眼前には山積したままなのである。

観察する眼は得ても
それを解決する主体が
変わっていないのである。

次のステップは

師とは何者か?
寿量品の仏とは何か?

今までは教え与えてくれる存在であった師を
今度は自身が再現するための
生命の肉薄の闘争の開始である。

誰に言われるからでもなく
そして無理をして奮い立つのでもなく

ただ成された視点の変化によって
もたらされた自身を

あるがままに臆することなく悠々と貫く。

自身の生命による

業の因果、縁起、生滅の法への
変革の挑戦である。

ひたぶるな観察と練磨と格闘によって
世界に現れつくしている法を認識し
本当の生命の尊厳の広宣流布の歩みを
進めていくのである。

これは変革の
智慧のエネルギーの
行使の世界である。

世界を法の現れと見る

これは法眼であり
九識論を絡めてみると
その実、業の流れを見ているのである。

つづく


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452



[455] 五眼三身ステップアップ その1

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月24日(金)08時05分13秒   通報   返信・引用   編集済

仏とは何か?

それは、説明は探せばいくらでもあるだろう。
でも、説明のための説明には実体がない。

いくら説明を聞いても
「とどのつまり仏ってなんなのよ」
と、延々と納得できない。

しかし、それもそのはずである。

全ての既成概念を取り払っても
消えることのない実感を得たいのに
新しい既成概念を取り入れて
補完しようとする逆の作業になっているのだ。

ちょうど、
貫きたい信念があるのは自身の中なのに
他の誰かへの期待や依存に始終している
という事なのである。

例えるなら
トイレに行きたいんだけども
便とは何か、尿とは何か、トイレとは何か
という説明で解決しようとしたり
誰か他の人が行ってくれるから大丈夫だ
と期待依存しても何も解決しないようなものである。

この状態は、生き辛さとなって現象化する。
「誰もわかってくれない」という壁を
自身で作り上げて、自身で憎んでいるのだ。

苦しみ続けて失って初めて気付くか
ほだされて信念を曲げ諦めて最悪の結果を招くか
期待や依存や既成概念を捨ててフリーになり自己自身で解決するか

そういう選択肢になる。

法華経の寿量品の法門である五眼三身から
正しい道のりを考えるならば

期待や依存や既成概念を捨ててフリーになる事が
正しいステップアップとなる。

脱組織主義と脱組織依存は表裏であり
捨てることのできる概念の全て信じているものを
捨てて自我を消すことで脱却できるのだ。

そこに初めて、自己責任の仏の実態を
発見することが出来るのである。

五眼のうち肉眼とは
本能のまま欲望のまま世界を見る眼

天眼とは
与えられた概念に期待依存し
使命を信じて見る眼

慧眼とは
自我を消した中道からの発見・判断の眼である

五眼は九識論とも対応して考えられるが
最終的にはどれがどの法門かという事は
意味が無くなるのでもあるし
ここでは割愛する。

この段階で方便品が解るようになる。
ここで解る仏は方便品の仏である。

つづく


難しいと感じる方へ
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/452



[454] 精密な空想からの飛翔

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月23日(木)10時33分34秒   通報   返信・引用   編集済

人間に精密な空想などいらない !  投稿者:螺髪  投稿日:2016年 6月22日(水)20時21分20秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50005
~~「わが人生を燃やしゆけ」(2014年元旦=第二部)=抜粋=

あの「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」の正木理事長の「今日の発心」が載った日の第2部の紙面二載った池田先生の「詩」です。(※私自身は池田先生ご自身の詩だと感じています)~~

全文でコピペします
http://www.ningenkakumei.com/
(日めくりカテゴリ別・人生 より)

~~昇りゆく太陽の如く わが人生を燃やしゆけ

 おお実在する/人生にあって/決して一生涯/希望を失うな!
 いかなる過酷な戦いにも/吹奏楽を奏でながら/断じて/歩み抜くのだ!/勝ち抜くのだ!/永遠なる太陽の輝き/永久に/わが人生を燃やしゆくのだ!
 忍耐そして宿命/不安そして苦悩/それらは皆/仮装した運命と思え!
 汝は汝自身らしく/その運命に負けずに/決然と前へ進むのだ。
 そこに/生命の勝利の証明がある。/一切を幸福への運命として/勝ったことを知るだろう。
 生命!/大宇宙に溶け込みながら/永劫に流転しゆく/不思議なる生命。
 永遠に/不可能を可能としながら/人類の夢に見た/民衆の生命尊厳と/平和の文化の/王朝の世紀を創るのが/賢者たちの/願いであり誓いだ。
 我々は/今日も/新しい人生を/生きるのだ!
 一生涯/汝自身を成長させながら/自分自身を革命させながら/新しい人生を/生き抜いていくことは/なんと素晴らしいことか!
 極めて/基本的な行動であるべき/生活は/汝自身の成長によって/価値ともなり/無価値ともなる。/進歩ともなり/退歩ともなる。/幸福ともなり/不幸ともなる。/生きがいともなり/堕落ともなる。
 自分自身の出発点を/どのように捉えるか/位置づけるかによって/その人の多くの問題からも/涌き出ずる奔流のように/歓喜を見出すことができるのだ。
  人生に/幻滅があってはならない。/あらゆる苦悩も/素晴らしい人生を磨き/鍛錬しゆく劇として/捉えるべきだ。
 人間に/精密な空想などいらない。/虚栄に走って/幸福を摑もうとする必要も/全くない。
 汝は汝自身らしく/全生涯を通して/魂の無限の広がりを/望みながら/生き抜いてゆくのだ。
 負けてはならない!/汝自身との勝負が/人生である。/人びとの成功など妬む必要は/全くない。
 いかに地道であれ/絶えまなく/汝自身の現実の/生活の高山に/挑みゆくことだ。/険しき絶壁に登りゆく/あの登山家の心境は/爽快なものだ。
 社会的に高度な/職務も/それはそれでいいだろう。/しかし私は/私の行動から/決して動揺せぬ/意味のある明確な/幸福と平和の哲学を/打ち立てていきたい。
 我らの正義の友は/自分自身を/感動させながら/世界の果てまで/越え進む。
 あらゆる茨を/取り除きながら/あらゆる卑劣なものを/打ち倒しながら/太陽の昇りゆく光とともに/追随を許さぬ/日の出の威厳をもった/人生をば/永遠の生に結ぶ。
 揺るぎなき/正義の剣を持ちながら/夜明けの荘厳な道を/日の出の晴れやかな道を/真夜中の勝利のための道を/生き抜き/勝ち抜き/不滅の我らの王宮へ/進みゆくのだ。

「勇敢に堂々と歩みゆけ!わが人生の大道を」より
聖教新聞2014.1.1付 桂冠詩人の世界~~

http://www.geocities.jp/keikansekai/
ここに写真入りPDFファイルありました。
見栄え良くプリントアウトできると思います。

http://www.3colorflags.net/lime/sintyaku/sintyaku/200209244.txt
こちらは2002年
勇敢に 堂々と 歩みゆけ!
わが人生の大道を

ここにも「人間に 精密な空想などいらない」とあります。

精密な空想からの飛翔こそ
人間の本有無作であり
生命論の法華経の非二元の生き方なのだ。

本来をありのままに
輝かせるから蘇生なのだ。



[453] 改名しました

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月22日(水)10時45分30秒   通報   返信・引用

「革命こそ蘇生」改め「飛翔こそ蘇生」です。

経緯は宿坊の掲示板アルベア論スレッドの

ストーリー「物語」 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月21日(火)05時00分32秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/558
観察・区別 投稿者:革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月21日(火)15時06分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/559
観察・区別 革命こそ蘇生様 6/21.15:06 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月22日(水)04時31分25秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/562
飛翔 投稿者:飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年 6月22日(水)09時35分36秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/563

です。

この中で、

>「末法の御本仏の出世の本懐は

三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)

に見られる法華経非二元の境地から

無始無終の寿命を記し残したとも

見れるかもしれないと思います。」


「見れるかもしれないと思います。」ではなく「見てしまう」のです。「見て」

「見られる」ことが同時に起きているのです。「対象化」するから「ストーリー

」になるのです。そうすると、いつまでも「見る側」「読む側」なのです。体感

覚知すると「見て」「見られる」という「不二」感覚が自然に現象化されるので

す。ここにあらゆる事象が「不二」であった事が「了解」されるのです。「境地

冥合」という現象が体感されるのです。

戸田先生の「三十四の『非ず』」が自然に「わかってしまう」⇒「了」となるの

です。「法華経の智慧」を「事」で読むこととなるのです。<

と、語られていますように

ぷるぷる運動?
火の呼吸?
やさしさに包まれたならってユーミンじゃん

仏法に何の関係があるの?

と思われることもあるかもしれませんが

その実
大御本尊様のことを語らせていただいているのでもあるのです。

三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)は
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52407.html

弘安2年10月の御述作であります。

大御本尊様が生身の日蓮大聖人であるならば
その境地は三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)
に見られる法華経の非二元なのであります。

「無分別の法とは一乗の妙法である。善悪を分別することなく、草木にも、樹林にも、山河にも、大地にも、一微塵のなかにも、それぞれが十法界の法を具足している。我が心中の妙法蓮華経の一仏乗の法は十方の浄土にあまねく行き渡って、及ばないところはない。また十方の浄土の依報と正報との功徳にあふれた荘厳な姿は、我が心のなかに収まって瞬時も離れることがない。我が身は、そういう三身即一の本覚の如来であって、このほかには仏の法はないのである。この一法だけが十方の浄土にあって、他の法はない。これを無分別の法というのである。」

「この三如是の本覚の如来は十方法界を身体とし、十方法界を心性とし、十方法界を相好とするのである。このゆえに我が身は本覚三身如来の身体なのである。法界にあまねくいきわたり、しかもそれは一仏の徳用であるから一切の法は皆これ仏法なのである。と釈尊が説かれたとき、その座につらなっていた、もろもろの四衆・八部・畜生・外道等は一人も漏れずに、皆ことごとく妄想の僻目・僻思いが、たちごころに散り止んで本覚の寤に還って、皆仏道を成じたのである。
 仏は寤の人のようなものであり、衆生は夢を見ている人のようなものである。ゆえに生死にとらわれた虚妄の夢を覚まして本覚の寤に還るのを即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも皆成仏道ともいうのであり、ただ一つの法門である。」

「生と死との二つの理は生死の夢の理であり、妄想であり、顛倒した見方である。本覚の寤の悟りをもって自身の心性をただしてみれば、生ずるという始めがないので、死ぬという終わりもないのである。とすれば既に生死を離れた心法ではないか。劫火にも焼けないし水災にも朽ちない。刀剣にも切られず、弓箭にも射られない。芥子の中に入れても芥子も広がらないし、心法も縮まらない。虚空のなかに満ちたとしても虚空も広すぎることはないし、心法が狭ということもない。
 善に背くのを悪といい、悪に背くもを善という。ゆえに心の外に善はなく、悪もない。この善と悪とを離れるのを無記というのである。善と悪と無記と、この外には心はなく、心の外には法はないのである。このゆえに善悪も浄穢も凡夫と聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も、すべて言語の道は断え、心行も所滅するのである。心で分別した思いを言い表すのが言語であるから。心の外には分別も無分別もない。言葉というのは心の思いを響かせて声にあらわしたものをいうのである。
 凡夫は自身の心に迷ってそれを知らずに悟らないのである。仏はその心の働きを悟りあらわして、神通と名づけたのである。神通とは神が一切の法に通じて礙りがないことをいうのである。この自在の神通は一切の有情の心に具わっている。ゆえに狐や狸がそれぞれに通力をあらわすことは皆、心の神を分々に悟っているからである。
 この心という一法から国土世間も出てくるのである。一代聖教とはこのことを説いたのであり、これを八万四千の法蔵というのである。これは皆ことごとく釈尊一人の身中の法門である。」

「我が身と天地とが一体不二であることをもって、天が崩れるならば我が身も崩れ、地が裂けるならば我が身も裂け、地水火風が滅亡するならば我が身も滅亡すると知るべきであろう。しかるにこの五大種は過去・現在・未来の三世は移り変わっても、五大種は変わることがない。正法・像法・末法と三時は異なっても。五大種は同じであり盛衰転変することはないのである」

「結局、己心と仏身と一体であると観ずれば速かに仏に成るのである。このことを止観輔行伝弘決にはまた「一切の諸仏は、己心は仏心と異なるものではないと観ずるゆえに仏になることができたのである」と述べている。
 このことを観心というのである。実に己心と仏心とは同じ心でえあると悟れば、臨終を妨げる悪業もなく、生死界にとどまるに妄念もないのである。
 一切の法は皆これ仏法であると知ったならば、教訓をしてくれる善知識も必要ないのである。そして、思うままに思い、言うままに言い、為すままに為し、振る舞うままに振る舞うというその行住坐臥の四威儀の所作は、皆、仏の御心と和合して一体となるから、過失もなく、障害もない自由自在の身となる。これを自行というのである。」

「我らは迷いの凡夫であるとはいっても、一分の心もあり、理解する力もあり、善悪をも分別し、時節を考え知ることができる。
 しかし宿縁に促され、生を仏法流布の国土に受けたのである。善知識の縁に値えば因果を分別して成仏できる身であるのに、善知識に値っても、草木に劣って、身中の三因仏性をあらわさずにそのままにしてしまう理由があるであろうか。
 このたび必ず必ず、生死の夢を覚まして本覚の寤に還って生死の紲を切るべきである。今から以後は夢のなかの法門に心をかけてはならない。
 三世の諸仏と我が一心と和合して妙法蓮華経を修行し、障りなく開悟すべきである。」

等々という事を
自然のうちにその身に起こす術を
「技化」していくことをしているのです。

御本尊様と
それを信じる側に違いがあると思うことは
二元論です。

それを越えていくことが
境智冥合であり、法華経の非二元なのです・

「よくわかる仏法用語ワイド版・境智冥合
 (月刊誌『第三文明』 1988(S63)年8月号より抜粋転載)
というのを見つけたので貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/gsg48566/20150426/1430004777



[452] 難しいと感じる方へ

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月20日(月)10時14分41秒   通報   返信・引用

大丈夫、いきなり分かったら
逆に怖い。

勉強を重ねて研鑽を重ねてきた
人たちも、全然分かってないから。

でも、誰でもやってみれば
実感していける。

普通の教学や自己啓発等では
思考に寄りすぎてしまう間違いがある。

実感していけば今まで分からなかった
それぞれの人の体感の実録が
分かるようになる。

教学や自己啓発等の本当の意味が
分かるって事。

もし、興味があるなら
まずはアルベア法の体操と
心のずっと奥のほうを読み聴く事を
日々、やってみる事だ。

アルベア法
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/533
1-スワイショウ運動 1分
2-ぷるぷる運動   1~5分
3-火の呼吸     1~5分
4-スワイショウ運動 1分

ぷるぷる運動と火の呼吸は
アルベア法のリンクに動画があります。

スワイショウは手を
ぶらんぶらんさせる。
http://kikou.info/page/cat2/181.php

心のずっと奥のほうの
詩を読んで曲を聴いてみる。
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/437

体感への到達の実感は
必ずやってくる。

生命の詩
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/365
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/366
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/367
これは道しるべとして
たまに見ると良い。

仏智の世界
http://6212.teacup.com/rainbow/bbs/445
これが分かっちゃったら
起こる事の全てが歓喜になる



[451] 宿坊の掲示板から

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月20日(月)03時09分54秒   通報   返信・引用

どこの会合(出陣式)へ行っても  投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 6月19日(日)22時17分12秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49801
忠告  投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 6月19日(日)21時18分20秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49797
日曜討論  投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2016年 6月19日(日)16時24分54秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49786


環太平洋軍事演習に中国海軍が参加  投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)18時24分27秒
環太平洋軍事演習とは米国を中心に環太平洋諸国が行う軍事演習。それに中国海軍艦船(戦闘艦)も参加します。6月29日からハワイ沖で。中国を日米安保の仮想敵国とする皆さん!中国は米国と戦争をするツモリなど微塵も持っていない。敵国と仲良く軍事演習するはずが無いのです。安保法制の唱える中国海軍の海洋進出と云う考え方が如何に皮相なものか、このことからも明らかですね。

北朝鮮が本当に核ミサイルを日本に撃ち込んで来るのか?  投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)16時54分22秒
東京新聞論説編集委員で防衛問題の専門家である半田滋氏は明確に否定しています。北朝鮮脅威論者の頑なさを揶揄して信心のようだと言われていました@2016年6月18日明治学院大学講演会

2000年代の...  投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 6月19日(日)14時37分56秒
所謂ゼロ年代の佐藤優氏の著作を読むと、北朝鮮への武力征伐が露骨に語られていて驚きます。このような人物が池田先生をイエス キリストの再来と持ち上げています。佐藤優氏は創価学会の言論人を手玉に取っているように感じます。

『個人を幸福にしない日本の組織』  投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 6月19日(日)16時41分22秒
『個人を幸福にしない日本の組織』(太田肇)という本が、今の創価学会組織の実情を言語化してくれていると思います。
(特に第三章までと第七章以降)
根本的には池田先生のご指導を文証として破折するのですが、組織の現況がどう悪いのか、説明する言葉を探すために、この本は手助けしてくれるでしょう。
この著者は個人を大切にするという信念から、全体主義と闘っています。その視点は小林節さんに近いでしょう。
池田先生は「人間主義と全体主義は正反対」と言われていました。
小林節さんは「今の創価学会と公明党は池田先生と真逆」と言われていました。
この正反対、真逆の構図が、この本からも理解できるかと思います。

EUの母   投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 6月19日(日)15時13分15秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49781
≪省略≫
・・・転載終わり・・・


アフリカの大地に一人立つ創価の同窓生、ご主人を亡くし、一人で子育て、大学教授として
戦う婦人部の方がいますが・・女性は剛し。

いつの間にか、獣たちに乗っ取られてしまった、
我が学会組織・・学会再建には女性会長、また女性副会長を待望。
少なくとも、SGI理事長は女性を・・


広布一筋・・

【秋谷、原田らの関係、教義変更の背景】ヨッシーさんの論考を再掲します  投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 6月19日(日)12時50分59秒
以下から一部を抜粋し再掲します。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/21993

秋谷氏の影響力、原田会長、原田主任副会長の関係がわかります。

師弟不二アーカイブはこちらです。ヨッシーさんの他の関連投稿をご覧いただくとよくわかります。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5182
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

現在

創価教学確立への動向

*規則改正により創価教学の確立が急務である。路線対立(分裂)回避す
 るためには、何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった。

*秋谷・森田(康)らが非常な危機感を持っている。

*戸田会長以来、皆が日寛上人教学を学んできた、学会教学=日寛上人
 教学であった。今日までは論理的に一枚岩であった。

*が、このようになった今日、日寛上人教学に変わる、超える教義を見い
 ださねばならない(これからの学会教学の構築)。

*秋谷・森田らが中心となり、東大・創大など、ある程度の論客を集めて
 勉強会を開始した。理論武装が焦眉の急である。

*谷川らの若手は、今まで腰を据えて教学をやっていない。

*1月29・30日の記事は、教学部が書かなかった(書けなかった)の
 で谷川・菅野・宮田らが書いたが、あの『教学部解説』では戦えない。

*当然、方向は既に決まっている。「相伝教学=日寛教学」からの脱却
である。

*相伝を信ずる者は宗門に行ってもしょうがない。

*学会は、「大聖人の教義」を追究する。「大聖人直結の教学」。現代の仏
 教研究の成果をふまえ、その上に「創価教学」を築く。まず路線・方針
 を決めてしまう。教義は「後から付ければよい」(谷川)

*宗創一体時代は「相伝教学」できた。これからは直に御書に教義を求める。

*信仰としては、大聖人(仏宝)、日興上人(僧宝)は否定しない。歴代も
 日達上人までは、認め良しとせざるを得ない。

*仏意・仏勅の学会を切った時点で、大聖人の仏法は創価学会に移った。

*宗門に対抗するには、大聖人直結・御書根本以外に道はない。

*今さら、どこからか大聖人の御本尊を手に入れて(買い入れて)、学会
 の中心本尊とする訳にはいかない。

*日寛上人教学を学んだ者だからこそ、宗門に対抗できる。

*創価学会によって、現在に民衆仏法として蘇った。
………………………………………………………………………………………

ここから分かるのは、
①秋谷や森田(康)ら古参幹部を中心とする「相伝教学=日寛教学」からの
脱却を目指す強力な勢力が存在すること。
②その勢力が教学部(=池田先生)の反対を押し切って、準備不足と分かって
いながら見切り発車で、原田会長に「大御本尊との決別」宣言を発表させたこと。
③谷川ら若手を使って弁明の「教学部解説」を書かせたが、“使えない”と
思っていること。
④なぜ、教学部(=池田先生)の反対を押し切ってまで、見切り発車で、
発表させたかというと、「路線対立(分裂)回避するためには、何が何でも
池田存命中に決めなけれぱならなかった」からであること。

たしかに、ここで言うように、「大御本尊と決別」するかどうかは、会内でも
意見の分かれるところでした。池田先生が亡くなった後で、今回のような発表
を行えば、路線対立から学会が分裂する恐れがあったのは事実でしょう。
それを「回避」するためには、「何が何でも池田存命中に決めなけれぱならなかった」。
「何が何でも」というのは、たとえ池田先生が反対したとしても、ということでしょう。
先生が反対しても先生の存命中に公式に発表してしまえば、会員はまさか「先生の意向
に反対してまで会長がやっている」とは思わないであろうし、聖教等に先生のコメント
が、賛成とも反対とも、全く載らないでいれば、会員は勝手に「先生は黙認している」
と受け止めるであろう――そう高をくくって原田会長は発表に踏み切ったというのが
事の真相ではないでしょうか。

問題は、なぜ、秋谷らは先生の意向を無視できるか? 原田会長らはなぜ秋谷らに
付き従ってしまうのか?
です。

端的に言えば、秋谷らは先生を「永遠の師匠」とは思っていないからです。
自分たちと同じ「戸田門下」の一人、単なる「3番目の会長」としか
見ていないので、先生のご意向といえども「絶対」とは思っていない。
だから、第一次宗門問題の時、宗門との決別に突き進む池田先生にブレーキを
かけようと、秋谷が聖教の写真資料部からマジック事件の写真を出させて、矢野絢也に
渡し、矢野が旧知のジャーナリスト・内藤国夫に流して週刊誌に掲載、
それを宗門側が学会攻撃に利用して、池田先生を会長辞任に追い込んだ――
こんな裏工作を先生のお元気な時から、平気で行っていたのです。
お元気な時ですら、こうですから、いわんや、池田先生が病に倒れた2010年
6月以降においてをや、です。

原田会長は秋谷と同じ杉並支部の出身。秋谷が原田(光)の家を折伏し、
原田(光)の家が親戚の原田(稔)の家を折伏したという間柄です。
結局、秋谷は会長時代、本部は事務総長の原田(稔)、聖教は代表理事の原田(光)
という自分の折伏の系統を使って押さえていたわけです。
そんな間柄の原田(稔)が秋谷に逆らえるわけはない。
原田の師匠は実際には、池田先生ではなく、秋谷だったのです。

本来、先生の側に立つべき長谷川が、当初は「原田会長が嘘をついている」と言って
いたのに寝返ったのは、いつもの変わり身の早さと言えばそれまでですが、
「池田先生に判断力はあっても、自分の意思を押し通す統治能力はもはやない」
と見限ったからではないかと言われています。

谷川は、「現況分析」を見ても分かる通り、秋谷らから見れば「若造」。
「会長にさせてやる」と言っておけば、なんでも言うことを聞く「パシリ」にすぎない。

こんな人間の上下関係であるから、秋谷らはまるで「イスラム国」の覆面兵士のような
八尋配下の弁護士らを使って、教学部ら抵抗する勢力のクビを次々に切り落として見せ
しめにすれば、第一庶務とかに残る最後の抵抗勢力も恐れおののいて何もできないだろ
うと、ここでも高をくくっているわけです。
実際、今は、池田先生が自分で判断を下し、それを実現しようとしても、だれも先生の
手足となって動くことができないような「異常な状況」が生まれているのです。



[450] 振舞ってこそ味わえる

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月19日(日)01時27分55秒   通報   返信・引用

知的理解を超えた体感の部分というものは
ただ在るだけで、伝えようと思うときには
それを一度、知的理解の記号に置き換える
ことになる。

つまり、その時には
理解していることを言葉にしているのではなく
ただ在る感覚を
「言葉にしてみたらそうなる」のである。

書き手自身、言葉にして伝えてみて
初めて「ああ、そうか」とフィードバックされることも多い。

インプットとアウトプットの
バランスの重要性でもある。

そもそも根底が知的理解では無いのだから
これを完全に知的に理解しようとしても
「理解に苦しむ」だけである。

物理学という学問の在り方を知ると面白い。

物理学というものの一面は
物事を逐一細かくとらえるのではなく
いかに本質を大雑把にとらえるかという挑戦である。

些細なブレや、積み上げた固定観念から
いかに飛躍して本当の真実に近づけるかという事である。

「理解に苦しむ」ことを越えるには

あるがままに「不思議を味わう」必要があり
それは既成概念を外すことによってもたらされるのだ。

だから、不完全なら不完全なりにも
アウトプットをする必要がある。

「こんなことを言ったら怒られるかな?」
「変に思われるんじゃないだろうか?」
「誰にも解ってもらえるはずがない」
等々という弱さは、自己中心的な保身であるので
これを越えていかなければ
「同じ」「不二」「即」等を味わいきることは出来ないのだ。

体をほぐし
心をほぐし
自然のままに振舞う中で
御本尊の縦横無尽さを知ることが
境智冥合していくことなのである。

だから御本尊様は
権威とセットのものとして
固定的に感知することは好ましくない。

大御本尊への絶対の感覚も
権威や固定観念から解放して
自身の境涯の振る舞いとして
その不思議を味わっていく世界が
本有なのである。

そうであるならば
権威からの解放を唱えることとなり
それを良しとしない権威からの圧力は必然であり
それこそが正法の証明である。

このことを体感していけば
御書がすらすらと分かるのである。

まずは、出来ることから
池田先生のようにやってみることだ。
そして不完全なら不完全のまま
感謝して味わうのだ。

臆しない
疑わない
等はこの事に対してなのである。



[449] 飛翔

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月16日(木)03時28分57秒   通報   返信・引用

公明党が全部悪いわけでは無いであろうし

四人組だけが悪のすべてでは無いだろう。

池田先生のメッセージが
どんな人にも、その立場のままで
心に響くのは当然であろうし

認識のズレを直すための言葉も
自らの偏狭を自ら外し飛翔しなければ
排除の攻撃にしか受け取れないままだ。

偏狭の伝達は人の自由を奪う。

飛翔の伝達は人の生命を開放する。

その手には何を握りしめて
拳を振り上げているのか。

その手を開かないと
諸天は寄って来ない。

まやかしを排し
裸一貫で対峙すれば

対峙した分だけの境涯へと
開かれてゆく。

包み包まれる相互の調和の宇宙。

その交響曲そのものの在り様が
自身の今そのものなのだ。

臆しない
恐れない

自らが妙法の光となる時には
その意識の光を向ける世界では
いかなる魔王であろうとも
妙法を助ける働きしかすることが出来ないのだ。

しかもそれも
向こうにある働きではなく
自身にある働きである。

この世界の全ては
自身を作っている世界であるし
この世界の全ては
自身が作っている世界である。

そうであるならば無作とは何か?

それを覚知し体感するのが
悟りである。

注意深く観察するのだ。

メッセージは必ず現れるのだ。

観察するということは
やってみて観察し
区別していくことであり

何と何が同じであるかに
気付いていくということである。

焦る必要はない。

せめぎあいだった世界が
三世の如意の世界に変わるのである。

大歓喜の世界である。

今まで無理だと思っていたことも
必ず出来るようになる自身になるのだ。



[448] 「戦争法」・・・ガクブル

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月15日(水)02時44分32秒   通報   返信・引用

公明党議員も創価学会職員も答えられない質問  投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 6月14日(火)20時07分39秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49403
~【質問者】一般の会員
【回答者】公明党議員及び創価学会職員~

正論を言うだけで、相手は答えられない。

なぜ安保法を「戦争法」と呼ぶのか?  投稿者:ご参考までに  投稿日:2016年 6月14日(火)19時30分41秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49398
~このように集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲などありません。
公明党パンフレット「戦争を防ぐ平和安全法制」にある佐藤 優氏の発言「閣議決定は、集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲を明確にしたものだ」(4頁)は誤りです。~

めちゃめちゃ気合の入った
資料に基づいたHPを作ってる!

【佐藤優 × ナイツ】今を生きる幸福論(テキスト化)  投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月14日(火)16時07分28秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49372
【佐藤優 × ナイツ】今を生きる幸福論に疑問  投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月14日(火)16時55分32秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49378
ピントのずれなどという問題ではない  投稿者:過疎地の男子  投稿日:2016年 6月14日(火)17時20分47秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49379

デジタル大辞泉の解説
ぶんぱ‐かつどう〔‐クワツドウ〕【分派活動】
一つの団体内部で、信条・利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体の基本方針とは別の行動をとったりすること。

団体の基本方針である会則に
「各人が人間革命を成就」
「初代会長牧口常三郎先生、第二代会長戸田城聖先生、第三代会長池田大作先生の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の広宣流布の永遠の師匠である。」
「世界平和の実現および人類文化の向上に貢献する」
「この会は、前条の目的を達成するため「創価学会総本部」を東京都新宿区信濃町に置く。」
等とある。あれ?目的がおかしくなってる「創価学会総本部」の方が分派活動だよ??

これだから、投票しないのです  投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 6月14日(火)11時33分4秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49345
~公明党は時流に流され公約を変えてしまう。
「裏切られた感」が、会員の中で更に拡大するね。~
~公明党、参院選公約発表 40年超える原発の運転、事実上容認~

ファイル公開:「集団的自衛権と公明党支援」の資料  投稿者:ClearSky  投稿日:2016年 6月11日(土)21時43分55秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49113
~参考までに、3枚だけ載せておきます(アップロードしてある資料は約50ページ)~

見やすい、分かりやすい資料!

日米間の密約  投稿者:生涯広布(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 5月13日(金)17時46分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/46470

集団的自衛権を、日本の「官僚」と「米軍」(日本以外では通常、交渉は「官僚」対「官僚」)の間で交わされた
密約を加味して考えると、アメリカが戦争を始めれば、それが世界のどこであれ、日本は
「米軍の指揮下」に入って参戦する。という図式になる。

地区部長語る!  投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 5月24日(火)02時08分34秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47445
~F地区部長「なんだよ。上の連中が言ってることしか聞いてないの? 時事放談で石破と藤井と、まあ二人自民党の大御所が出てた。藤井は元財務大臣、石破は地方創生大臣ね。
藤井が言ってたぞ、『安保関連法を通したのは良くなかった、戦争ができるようになった』って。どういうことなんだ?説明してくれよ。自民党だって『戦争できるようになった』って言ってんだよ。」

幹部「せ、戦争は、できない、んでしょう?」

F地区部長「いや、あんたはどう思うのか、知りたいね。戦争できるって、テレビで藤井がアッケラカンと言うから、ぶったまげたんだ。なんだ、やっぱりか。もうそれが普通の認識なのに、票ほしさに、学会員にだけそう言っといても信じるだろうと値踏みして、パンフなんか作って、だましてんだろ?」~



[447] 秀逸

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月15日(水)02時39分23秒   通報   返信・引用

次世代  投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 6月 9日(木)23時33分41秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48961
~反対意見に対して、「排除」を選択した。すべての前提が、会の方針は正しく、それに合わせられない人がおかしいという構図。~

在り方が反転している、その根っこは何か?
秀逸な問い。


広宣流布後の未来  投稿者:蘭夢  投稿日:2016年 6月14日(火)00時56分54秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49314
~例えていうなら、厨房に入る時、今日は何を食べようか、何を料理しようかと考えているのである。
よし、今日はステーキにしよう。
そして、分厚いステーキ肉をもって、厨房に入るのである。
その時、自分自身が何を調理するのか、覚えている人、忘れている人がいるのだ。
そして、忘却の人は嘆くのだ、こんな生肉、食べれないよ。まずいよ。
そうだろう、調理していないのだから、塩、コショーして、焼かねば、ステーキとならない。
しかし、忘却の人は、わからない。調理するという事すら忘れているのである。
智慧とは、そのことを思い出すこと。~

必要なものは全て揃っている。
そのことに気付くかどうか。
秀逸な比喩。


【如説修行と不軽菩薩の実践】6/9  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 6月13日(月)10時18分27秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/49239
~多種多様な生命体の塊である地球上で
「仏法を聞くことができない」状態~

言わずもがな秀逸な論考。
だからこそ生命感での再論考が見える場合もある。
生命の躍動自体を仏法と捉え
「仏法を聞く」=「生命のエネルギーに即す」と見た場合
有情非情にわたり、そこに躍動の体感があれば仏法であり
最も「仏法を聞くことができない」状態なのは
何かに追われ例え素晴らしい教えを見ても
狭い概念で文言だけに囚われて
何の歓喜も湧くことのない自我の強い人
かもしれない。
どちらにせよ、ぞっとする話。



[446] 不思議メモと体感

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月14日(火)04時01分45秒   通報   返信・引用

単純に、知識や思考
理屈で言っているんじゃないってこと。

まぁ、煮詰まって凝縮しただけの感覚というものは
一般的に言うと「重い」だけかもしれないけどね。

創価不信仰断言仏と書いてあるから
8年前ぐらいのメモだと思う。

「もうこの信心はやりません」と言って
仏法の変革のサイクルと
智慧のエネルギーを覚知したあたり。

横に死際之他者生存神とある。
希死念慮(自殺願望)に囚われた人
(死んでしまった人も死なせなかった人も)
に関わった経験からの

それでもどんな人にも
生の希望を与えたい想いと願いだね。

私の場合は割と、
苦しみ抜いた経験が
体感のベースにあるということ。

純粋な人類の一員として
感謝の思いに立って

苦しまない誰もが出来る方法で
生命の真実の姿を伝えたい。

生かされている自分がどんな姿なのかを映す鏡を
顕し示したいということだね。

そういう眼で見てアルベア法というものが
いかにすごいものかということだ。

「非二元」のための身体操法 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月11日(土)05時23分34秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/533

「え?そんなことで可能なの!?」
「びっくりぽん」

なのだ。

一方の私は
格闘の技法を研鑽中かもしれない。

ありがとうございます。



[445] 仏智の世界

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月12日(日)02時55分2秒   通報   返信・引用

自己性のストーリーはそれぞれに違う。

だが、行きつくところとして
目指しているのは

人と人とが
完全に平等に
唯一共有できるもの。

なぜかならば
それだけが

「人間とはどこから来てどこへ行くのか」
との問いに答え得るからだ。

そうであるならば「それ」は
三世性を帯びていなければならない。

「それ」を求めるのは本来
人間が幸福を求めるにあたって
必然なのだ。

「それ」の始まりを思索すると
諦めない限り
始まりに行き当たらない。

ここに至って
始まりとは諦めなのだ。

そのような時間的無限性が

人と人だけでなく
人と自己
人と宇宙に対しても

諦めない限り
完全な平等の共有が続いている。

無限の包容力が
そこにはある。

終わりがないという世界に生きることは
勇気がいる。

それはすでに
有限の幸福を手に入れたとき
それが惜しくなるからだ。

有限の幸福を選択した人間にとって
無限の世界に生きる人間は恐ろしい。

有限の幸福を選択することが
狭量な世界に生きる臆病者であることを
まざまざと見せつけられるからだ。

だから、あらゆる有限の力をもって
囲い込み縛りつけ迫害する。

これもまた必然なのだ。

有限の始まりも行きつかない。

有限も無限なのである。

それらは意識しないことには認識できない。

狭量な当たり前に支配されているからだ。

狭量な当たり前を意識から外せば
自然と認識できるということでもある。

教えられてきたことを反発するのではなく
ただ外して無かったことにする。

忘れる。

そして本当の意味を思い出す。

無限に学び
無限に忘れ
無限に思い出す。

思考の世界ではない。

起こることの中身である。

宇宙の新陳代謝が
全てを蘇生させていく。

生命が開かれるとそうなるのである。

この意識の円満は全てを変化させていくのだ。

不可避の仏智の世界なのである。



[444] 想うことを諦めるから難しくなる

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 9日(木)11時01分25秒   通報   返信・引用

なぜ人は難しく考えてしまうのか。

こう思うんだけど
無理なんじゃないかな?って諦めて

策で代案を考えようとするから難しくなる。

想うことは自由なんだ。

戦争になんて行きたくない。
戦争なんて起こってほしくない。
温かみのある社会に生きたい。
平和の中で人生を輝かせたい。

この主語を
「私たち地球の家族は」として
共有し実現したい。

純粋にしてシンプルにして
大きな願い。

そう願う自由。
そう生きる自由。

その自由を
誰も奪っていない。

奪えるはずがない。

いつでもここにある。

ただ諦めて
出来ない理由を考えて

そうやって考え出した
出来ない理由を攻撃して

自分は頑張っていると思い込んで

頑張っていると認めてもらいたくて仕方がない。

全部、自分なんだ。

でもそれは頑張っていると認めてもらったところで
本当の自分の願いは叶わないし
本当の自分の思いは救われない。

「大願」に生きよ。

師匠の示した人生である。
池田先生が開き創った広布の道である。

生ききれ!

生ききって本当の自分を救うのだ!

それが最高の幸福の人生なのである。



[443] JACK様筆録 6/4小林教授 その2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 8日(水)10時33分29秒   通報   返信・引用

6/4の話 小林教授の憲法講座
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48764
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48766
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48768

6/4の話 参加者から小林教授への質問およびその回答
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48742
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48762



[442] 6/4小林節慶應義塾大学名誉教授のお話のメモから

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 7日(火)00時12分14秒   通報   返信・引用

宿坊の掲示板でJACK様が素晴らしい
6/4の話 小林節慶應義塾大学名誉教授のお話
の筆録を書いています
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48605
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48610
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48614
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48655
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48658
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48673
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48679

私も、自分のメモから
何が生まれるかチャレンジしてみましょう。

どうも私のメモは
小林節慶應義塾大学名誉教授のお話を
そのまま持ち帰り伝えるためではなく

自分の生命現象に組み込んで
使いこなすための面があり

文章化できない部分も
あるかもしれません。

というか拙いです。
普段、こんなことしませんからね。

池田先生との出会いは20年前
48歳の時。受け入れた。

宗教というもうものは
地球上におよそ無数にある
生物種の中で、人間のみが持っているもの。

人間だけが自分の不完全性に気付くのであり
完全性への憧れが宗教を生む。

この人間だけの特権を
全部、バカにはしない。

しかし経典というものが出来上がると
その解釈の違いが出てきて
ビジネスへと変貌していく。

池田先生が作った組織の
800万人の中には不完全な人間がいっぱいいる。

創価学会→分裂

信教の自由には
受け入れる自由と吐き出す自由がセットである。
日本人はこれが理解出来ていない。

海外では、例えば発言の自由なら
しゃべる自由と黙る自由がセットにあるのは
当たり前の感覚である。

日本では例えば裁判では
結社の自由によるものとなり
法律上、教団が上であり
教団が勝つようになっている。

第三文明の出会いから立正安国論を読んだ。
良いこと言っていると思った。

ケネディースクールに1年行った。

日蓮の伝記を読んだ。
ああいう生き方をしたい。
疑問に思ったら立ち止まって考える。

正しいと思うことに命を惜しまない。
男なら。
学問の世界で思索し政治を科学し
権力が悪に走ったら立ちはだかる。

戦争法。

野党も利権。

体の限界も近いが私財を投入して戦う。
頭に血が上っての判断はダメだ。

死ぬときに後悔しない。

池田先生とのやりとり。

(天ぷら会食、書簡の経緯はJACK様の話に詳しい)

一番尊敬できる人は池田先生。
自ら学び戦い悩み人を口説く。

知識が熟成し智慧となっている。

「庶民のために」という視点では
創価大学→役に立たなかった
公明党→作ったんだけど変質

松下村塾は
今の日本の岩盤を築いた。
が、政治家になろうと思ったら
苦労せずになる。
そうでない人もその志も
いつのまにやら地位の維持になる。

正義のために戦わない。

自公の議席数2/3を阻止する。

過去は過去、今は今。

王国、神の権威から
民主国家の時代へ
民法・刑法
ジョージワシントン。

骨格 憲法。

99条は
公務員は憲法を守りなさいとなっているが
自民案では全国民が守るものとなる。

今まで権利だったものが義務になる。

何を思っても自由
人に倫理を押し付けるな。

日の丸を素通りしたら非国民として処罰。
君が代を歌わなかったら非国民として処罰。

そういう法律が作れるということ。

本当は自由民主党という「名前」は良い。

自由というのは、それぞれの個々
別々の違いを認めること。
違って当たり前で
ごちゃごちゃ言い合うということ。

それを民主的に議論して
多数決で一旦決めてみて
トライ&エラーを繰り返し向上していく。

本来の、そういう
「庶民が自由になれる社会」
を目指す。

2/3の議席数に至らなければ
話し合いをせざるを得なくなる。

おおらかに話し合う政治を取り戻す。

以上



[441] Re: 6・4の生命現象世界

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 6月 6日(月)07時16分55秒   通報   返信・引用 > No.440[元記事へ]

> 午後の懇談会は
>
> 生命現象としての
> 現状の3名の世界でした。
>
> 「満席」の陣容を受け入れようとする世界。
> 「ぎゅうぎゅう詰め」の思考の一本化の模索の世界。
>
> 産みの苦しみのヘッドバット。
>
> 「なるようになる」ことを
> 信じていてあげよう。
>

革命こそ蘇生さんの文章表現で参加していなくてもその場の様子や状態が伝わってきました。

ありがとうございました。<(_ _)>



[440] 6・4の生命現象世界

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 5日(日)09時32分20秒   通報   返信・引用

午前の部は

滝川光子さんの生命の戦いの世界と
小林節さんの信念と行動と覚悟の世界

に引き上げられていましたね。

午後の懇談会は

生命現象としての
現状の3名の世界でした。

「満席」の陣容を受け入れようとする世界。
「ぎゅうぎゅう詰め」の思考の一本化の模索の世界。

産みの苦しみのヘッドバット。

「なるようになる」ことを
信じていてあげよう。

すごい人材が集っているのだし。

苦しみが大きい分
反転した時の力も大きいのですよ。

腐らないでいることが
宝なのです。



[439] 6・4集会

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 6月 4日(土)22時51分37秒   通報   返信・引用

私も友人と共に参加しました。
前回に比べて女性の参加が多くなっていたので心強く思いました。
懇談会には出ていないので参加された方は内容の書き込みお願いします。
小林節教授はなかなか面白い方でした。日蓮大聖人と池田先生を尊敬されてると何度も語ってました。
なんかそう言っていただいて気分良くして帰ってきました。



[438] 依法不依人、異体同心の団結 と言っても、その中心は、心のずっと奥の方の「それ」と何か違うか?? 三千の不二の世界の中心の一念を味わうのだ

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 3日(金)09時17分51秒   通報   返信・引用

総勘文抄について4/5  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 4月 8日(金)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43564
~~私たちの立場で言えば、池田先生は自身がどんな境遇(辞任)になろうとも、
ただひたすらに私たちの幸福を願い、各々の生命に仏界を開かせるために、

障魔を吹き払い、死力を尽くして言葉を発し続け「生命の本当の姿とは何か」を世界に向かって説き続けました。

悪とは何か、善とは何か、賢人聖人とは何か、愚者とは何か、何と戦うのか、何と団結するのか、
広布を阻むものとは何か、権威主義とは何か、生命尊厳とは何か、人間主義とは――等々、先生の指導は膨大です。

しかし、先生も八十八歳の高齢になりました。

今度は先生に代わって、私たち弟子が
先生の発した言葉を自身の胸中に鳴り響かせて進めば良いと思うし、御書と先生の指導を中心にして団結し、
自身の言葉で、自身の責任で、自身の個性で、自身の表現で、桜梅桃李の如く自分らしく言葉を発信していけば良いと思う。

私たちは誰かの兵隊でもなければ、奴隷でもない。

先生の弟子同士、共感できるところは共に協力し、共感できないことはやらない。
正しいと思うことは正しいと言い、悪いことは悪いと言う。そこに役職や立場は当然ですが関係ありません。

一人の人間として先生の言葉を心の中心に置いて堂々と進めば良いと思う。

信心する目的は、人間(境涯)革命すること、つまり成仏することなのですから地位や名誉など関係ないのです。

話をもどします。
「凡夫は自身の心に迷ってそれを知らずに悟らないのである」(同頁)

凡夫である私たちも仏と同じく、仏道修行をすれば仏が悟った境涯を享受できると言っているのに、
それが分からず、我が心に迷い、我が生命に仏界があることを知らず、それを悟ろうともしないと仰せです。

そもそも凡夫と仏の違いはどこにあるのかというと、自らの心の本性を知っているか、それとも知らずに迷っているか、だけなのです。

(中略)

学会員であるとか、ないとかは関係なく、人権を蹂躙する輩とはどんな形であれ、人権闘争をするべきです。

現代においてその先頭に立って戦ったのが
ヒンズゥー教徒のガンジーであり、キリスト教の牧師であるマーチンルーサーキングであり、仏教徒の池田先生だと考えます。~~

総勘文抄について5/5  投稿者:大仏のグリグリのとこ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43565
~~一切衆生には仏と同じく、
幸福になる因、不幸になる因、賢者になる因、愚者になる因、善人になる因、悪人になる因――等々、さまざまな可能性を秘めています。

結果として「幸・不幸」「賢者・愚者」「善人・悪人」になる道理は「縁」によって決まります。

具体的に言うと、幸福になる「因」は具わっていても幸福になる「善縁」がなければ、幸福という結果は出ません。
反対に、悪人になる「因」はあるけど「悪縁」がなければ、結果として悪人にはなりません。

つまり、心が善悪の縁にあって善悪の法(物事・現象)を作り出しているのです。

これを悟り、知っていくことが信心の目的であり、仏道修行の要だと考えます。

本文中には「心の一法より国土世間も出来する事なり」(同頁)とあります。

個々人の心の一法から出てきた形や物事の集大成が国土世間なのだという意味です。

そう考えていくと、仏の出世の本懐は、悪縁の撲滅と善縁の拡大と団結にあると思うのです。~~

新しい道  投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48084
~~本日(6月1日付)の聖教新聞 「コスタリカ元大統領アリアス博士の講演」より

「皆さんは、問題に満ちた、この惑星を受け継ぎました。しかし、皆さんは、父母や祖父母の世代が思い付きもしなかったような解決法を見いだす可能性にも満ちています。皆さん方が、私たちに新たな道を指し示すのです。示してください。国々を分断する境界にとらわれず、どう世界を見つめるのかを。人類の苦しみを緩和するために、何ができるのかを。人類の命運を変えるのは、もはや限られた人たちだけではないことを。身を粉にしてより良い世界を築きゆく方法を。声を上げるのです。たとえ周囲に何を言われようとも。平和のために。尊厳のために。」

:::::::
上記の言葉を学会内に置き換えると

・個々のイデオロギー(本尊観や政治信条など)にとらわれず、どのように団結していくか
・会員の苦しみを緩和するために、何ができるか
・学会の組織を変えるのは、限られた人たち(職員や幹部)だけではない
・身を粉にしてより良い学会を築きゆく方法

この四つの視点で考えていくことが大切である。いまだかつて、発想すらしなかった柔軟な思考で、新しい道を示すことが出来るか否か。ここに創価学会の未来がある。新しい道を示すためには、世界の英知を結集させる必要があります。それが宿坊の掲示板の完成形態でしょう。54年問題と向き合う先に、創価学会の新しい道がある。~~

「法華経の非二元」 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/503
~~5-日蓮系では
「即身成仏」「加持祈祷」による「民衆救済」が主たるものであり「悟り」につ
いてはあまり語られていない。題目を唱える唱題行による実践を説いている。
6-創価系では、二代会長の「獄中体験」悟達を原点に民衆救済の行動化を展開
している。日蓮系で唯一「身口意の三業」で法華経、日蓮大聖人の御書を読むと
いうことが「悟達」に通じる、その要が「師弟不二」であると説いている。この
ようなことから、創価系の悟り現象を「獄中体験」「悟達」と呼ぶことにする。
7-「法華経の非二元」とは、池田先生の「法華経の智慧」を基に「法のため」
「民衆救済のため」の「体感覚知」、すなわち「悟り」現象を言う。戸田先生の
「獄中体験」をベースにした仏法の生命論であり、生命現象論である。
「法華経の非二元」は仏法の生命論であり、それは個人による「体感・体験する
」生命現象によってのみ「民衆救済」がなされることを意味している。
なぜ創価系と区別するのか、いわゆる教団教学・教義では「生命現象」が膠着化
したものとなり「獄中体験者」「悟達者」が戸田先生・池田先生以後、誰一人出
現していないとう現実から区別しているのである。
それは「相対的現象・現実の」世界にあるからである。相対的世界観では「革命
」「変革」ということが主になる「獄中体験」の在り様は「変革」「革命」では
なく、個人の「超克」「飛翔」という現象なのである。その「超克」「飛翔」体
験が「変革」「革命」という集団現象へとシフトしていくのである。個人におけ
る「人間革命」とは
個人の「超克」「飛翔」という体感覚知があって、他者への働き作用として現象
化していくことによりもたらされている現象であると言える。あくまでも「個人
の生命変革」であり、「超克」「飛翔」である。このことを「法華経の非二元」
と呼ぶのである。~~

「『技』は編み出すもの」 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月 3日(金)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/510
~~★牧口先生は「『教育方法』は『医術』と同じように『技術』とならなければいけ
ない」と述べている。いわゆる職人の技(わざ)武道の技と同じように「技化」
(わざか)することを提示している。
「創価教育」といっても厳密には「技化」はされていない。創価出身の人間を見
ればわかること。ただ「創価高校」「創価大学」を卒業したということであり、
「技化」を教える教員もいない。一般の大学となんら変わらない。

★「不可能を可能にする闘い」とは、
師弟の関係で育まれた「技」によるものなのだ。

★「技」は「智慧」である。知的な理解ではない。生命感覚による体感知である。
真剣が「技」となる、「技」が「活」となる、「活」が「人」となる~~

2015年6月1日投稿文の再掲 投稿者:ルミナリエ 投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/505
~~その行動には2つあります。1つは「不二の体感・体験をすること」「獄中体験」をする
こと。信濃町の人びとさんの悟達体験です。 2つは、今の意識から「池田先生の名代」として
の意識として「振る舞うこと」です。2つの行動はまた、創価学会・SGIの責任を背負うとい
うことでもあります。智慧がもたらされます。
大丈夫です。信濃町の人びとさんにも悟達体感・体験はもたらされます。「法華経の智慧」第1
巻に書かれている「戸田先生と同じように切実に取り組むこと」によりもたらされます。~~

「体感・体験」2  投稿者:アルベア 投稿日:2016年 2月 4日(木)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/151
~~★「体感・体験」で一番わかりやすい実例は「味わう事」である。日本の文化には
「味わう」ことが育まれてきている。茶道・華道・香堂等は「味わう」また日本
庭園等は花鳥風月を表現したものだった。このような「味わう文化」は仏教の影
響を受けている。「自然を味わう」「自然により生かされている」という文化が
根付いていると言える。「悟り」という現象も「味わい」の世界である。

★「味わい」は「体感・体験」の世界である。「歩く」・「走る」事は「自己機能
」である。
私はよく「迷ったら、歩け」「悩んだら、走れ」と言っている。動く事により意
識が変化するからである。このようなことは武道の稽古や職人が生活の中で気づ
いた智慧である。「やれば」智慧が出てくる。身体機能・身体感覚は意識の新陳
代謝となるのだ。行者や修験道等の過程に必ず「歩く」「走る」が組み込まれて
いる。
「体感・体験」する事実、その効用を現代人は無視または排除している。ここに
近代文明のパラドックスがある。「自己機能」の衰退である。心身の不適応者の
多くに見られる共通した姿である。
「自己機能」の活性化は「味わい」を深め「自然治癒力」の活性化をもたらす。~~



[437] 心のずっと奥のほう・・・

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 2日(木)09時34分44秒   通報   返信・引用

生まれたまんまに感じていた世界
生き方を教えてもらったのはありがたいけれど

違ってた、夢の見方を学んだだけだった
全部のメッセージを勘違いしていたんだ

大丈夫、大丈夫
みんな強くなれるから

大丈夫、大丈夫
みんな同じ

何を手放しても
無くならないものこそが大切なんだ

ただ胸の奥に、
始まりのずっと前から持っているもの

勇気を出して
最後の苦しさを感じている自分を大切にしてあげるんだ

人には人を救ってあげることは出来ない
みんな同じ自分しかいないんだ

小さい頃にはまだ感じていた世界
ずっと止まっていた時間を動かしてあげよう

始まりは、いつもここにあったんだ
さぁ、世界から新しいメッセージを受け取ろう

自分が何者だったのか知る事になる
与える人に今なるために

あの人と同じに
君もなれるんだよ

https://www.youtube.com/watch?v=N-uCT3jGEMs
やさしさに包まれたなら - 荒井由実(松任谷由実)

https://www.youtube.com/watch?v=xQJog0rs7Eg
ナターシャ・グジー Nataliya Gudziy - Itsumo Nando Demo (Always With Me)
宿坊の掲示板で生涯広布様が紹介していた、チェルノブイリ出身の歌手の「いつも何度でも」

https://www.youtube.com/watch?v=HOXXDj4OzDI
情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS(Cover)



[436] 幸せはシンプル

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月31日(火)03時26分59秒   通報   返信・引用

先日、コンビニである本を見つけて買った。

幸せな人だけが知っている
シンプルな生き方

人生は手放すほどに
うまくいく!
http://honto.jp/netstore/pd-book_27675879.html

表装がいかにも女性向けなんだけど
こっれって、あれですよね。

同時代現象的に、
人々が何に気付いてきているのか。

何が求められているのか。

この著者、鈴木真奈美さんの
フェイスブックを見てみると

【地球ファミリー】
もし地球が一つの家族だとしたら、あなたの役割は何ですか?
すべての人に眠る「使命」や「魅力」を
引き出すことをライフワークとしています。
https://www.facebook.com/manami25

だって。

何だか昨今のどこかの創価学会の実態より
よっぽど心があるんじゃなかろうか?

言っても、ぱっと見の話だから実態までは知りませんけどね。

本は「視点」として面白い。

まぁ、どう捉えなきゃいけないとか
そんな野暮なことは言わないでおきますよ。



[435] 蓮香様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)14時49分58秒   通報   返信・引用

案外、
そのものそのまま
伝わっているのかもしれませんね。

上手く説明できれば
一切衆生の盲目を開く功徳に
なるような

世界中の人に伝えたい
「何か」の原形のような

まぁ、観念論では無いから
現実の中での「何か」

やっぱり、まだ
はっきり言葉にはならないけど。

そんな感覚です。



[434] 革命こそ蘇生様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月29日(日)11時10分29秒   通報   返信・引用

<池田先生の本当の弟子は、そんな事に微動だにせず、純真な学会員を守り抜くべきだと思います。皆が仲良く楽しく信心深く団結して、何が起きても簡単に弾き飛ばす組織を、願わくは一人も欠けることなく歩んで行きたい。それにはまず、あなたが楽しく信心しているべきで、最後まで信心しきった人が勝利者です>
深く同意しました。
革命こそ蘇生さまの最近の投稿を読むと何かが見えるようになられたように感じます。うまく表現できずらいのですが、何か覚知されたように思えるのですが…



[433] 始まりの頃~あきらめて幸せになるとは? 2/2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)07時55分45秒   通報   返信・引用

 では、何を諦めて何を明らかに見るというのでしょうか?その前にまず、上に述べた危険性のある頑張るとはどういう事だったのかを考えてみましょう。それは「今の自分や環境を否定」し「現実を変革しようとする事」ではないかと思います。
 今を明らかに見る必要があると言いましたが、逆に「現実を変革しようとする事」を諦めるのは念仏ではないかと思います。娑婆世界が苦しいのは仕方ないので、死んだあとの世界で救ってもらおうという教えだからです。
 それでは「今の自分や環境を否定」する事を諦めるとはどういうことなのでしょうか?例えば、社会の最小単位であり社会の出発点である“家族”。その中にいる“自分”。それはどんなに否定しても、家族は家族、自分は自分であり変わりません。まして仏法の目で見れば、また同じ家族の元に、また同じ自分として生まれてくるのです。それを否定し続けることは、無価値な人生を歩み続けることになってしまいます。無理をして受け入れろということではありません。一心に信心をして境涯革命をするならば、自然、受け入れられないはずが無いじゃないかと言っているのです。全部良くなる、安心して信じなさいと言っているのです。そして、まずはありのままの自分の感情、頑張れないなら頑張れない、寂しいなら寂しい、目立ちたいなら目立ちたい、遊びたいなら遊びたい、どんな自分でもそのまま、ありのままを、唱題で、信心で、我が胸中の御本尊に迎え入れれば、南無妙法蓮華経の力で、智慧や功徳へと変換されていくのです。
 そして、師弟もまた久遠の誓いにより共に生まれてきます。ゆえに、同志たちも、久遠からのいつもの顔ぶれです。「今の自分や環境を否定」する事を諦めて明らかに見るのですから、即ち、どんな風に見えたとしても、それが池田先生が作り上げた創価学会の姿であるし、どんな風に感じたとしても、それが御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えた自分自身の姿です。戸田先生がよく「諦めて幸せになれば良いのです」という様な事を言っていました。今、生死流転のある九界の姿で生きている自分が、九界の姿をした世界の中にいる事こそが、大成功の願った通りの南無妙法蓮華経に合致した姿であり、無始無終の仏界の証明であり、歓喜の中の大歓喜である。自分のちっぽけな正義をかざそうとして今を否定して頑張っても、その大真理には敵わないのだから、諦めて受け入れて信じて幸せになりなさい。という事だと思います。
 それを信じる事が出来たならば、自分の内にも外にもある南無妙法蓮華経の力で、世界という大生命をさえ刻々と変化させていく事が出来るのであり、それこそ喜びであり、起こりくる様々な出来事に、ありのままの自分の姿で対処する事にも感謝していけるのです。
 だから、少しでも信心ある人、ただ一遍の題目を唱えた人をも最大に賛嘆する事こそあれ、自分の小さな正義のために至らない自分を責めたり、純真な学会員をおどしたり、出会った小さな壁に逐一腹を立てたりやる気を削がれたりしている場合では無いのです。
 今これからが、大事な時です。少しでも、日蓮大聖人と同意の信心、創価学会初代・二代・三代の会長と不二の信心に立てる人が必要です。
 と言うのも、池田先生がいなくなった後を虎視眈々と狙い定めている勢力が、外にも内にも、少なからずいるであろう事は、想像に難くないからです。
 学会や池田先生をおとしめる方向の事や、逆に、池田先生だけが唯一絶対の指導者で、その魂は私だけが受け継いでいると謳う者も現れるかも知れない。池田先生の本当の弟子は、そんな事に微動だにせず、純真な学会員を守り抜くべきだと思います。皆が仲良く楽しく信心深く団結して、何が起きても簡単に弾き飛ばす組織を、願わくは一人も欠けることなく歩んで行きたい。それにはまず、あなたが楽しく信心しているべきで、最後まで信心しきった人が勝利者です。



[432] 始まりの頃~あきらめて幸せになるとは? 1/2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)07時54分42秒   通報   返信・引用

「もう信心はやりません」と言って7年。
「頼らない」「全部忘れる」と思い

だが、次に立つときは、いよいよ潜聖増上慢と戦う時、
それは仏法上、大変な事が起こっている時だから
私が立つ必要があるような事態には、なってほしくはない。

そんな思いを秘めながらも
意識と確率の関連を意識しながら
休みごとに開店から閉店までパチスロを打ち

メインは修羅界のようで、時折、御本尊に向かっているときに使っていた意識である
ホワイトアウト感覚のゾーンに入るような感覚を持つようになった。

確率なんて、どうしようもない。
仕組みを知って、あとは委ねて、ひたすら打ち込むだけ。
(パチンコは基本的に確率は一定だが
パチスロはシステム上、その波に法則性がある)

そんなある日、「一緒に勤行をしないか?」という、懐かしい同志からの誘い。

あれ?この人が来るということは、もう仕方がないのかな?と思った。

会合に参加して最初の気づきは、頑張る必要の無さである。

そして、池田先生とは何者?ということを考えた時
パチスロを打つことが気持ち悪くなって、打てなくなった。

まだ、アルベア論を知る前。
再発心から2ヶ月ちょい。
悪の四人組なんて知らない。

そんな頃の文章です。

 『あきらめて幸せになるとは?』

2015.7.6 革命こそ蘇生
 たとえどんな事が起きても、いよいよ信心のチャンスだ、なんてありがたい使命なんだろうと感謝し、みなぎる生命力で前進していく。そういう境涯には一体どうすればなれるのだろうか?
 それを考える時、頑張れば何でも乗り越えられると信じて、頑張る事が信心だと思っている場合があろうかと思いますが、本当を言うと、少し違うということを知っておいてほしいのです。
 もちろん、私個人としては、人間一度は限界まで頑張ってみるべきだとは思いますし、草創の頃で言えば、時代背景や学会の成長段階、遭っている難によって、求道心や指導の行き渡り方が違ったこともあり、「頑張りましょう」と言うだけで伝わる事の内容が深かったのかも知れません。ですがもし、通り一遍の指導や教学だけになり、成果主義が表になってしまい、自分を押し殺して成果のために奔走することが「頑張る」ことになってしまえば、「こんなに頑張っているのに、なんでこんな目に合うんだ」「何か自分が悪い事をしたとでも言うのか」となってしまい、それはいくらでも悪いとも言えるし、いくらでも悪くないとも言える、答えの無い信心になってしまう危険があります。
 本当の信心の深淵の事はなかなか言葉には出来ないけれども、頑張れば何でも乗り越えられると言うよりは、南無妙法蓮華経で開けない人生はないと言う方がまだ本来の意図に近いのではないかと思います。
 どういう事かと言いますと、頑張り続けようとして何かしらの抑圧の中に自らを置き、まだまだ自分は至らないと思い続ける事で、すでに得られている事への感謝が薄れ、いろいろな事を明らかに見る事ができなくなり見失う。さらには、その抑圧は「自分はこんなにも正しい事を頑張っているのに、あなたは何をやっているんだ」という思いに至り、敵意となり、おどす心と現れる。それは即ち謗法の心へと直結してしまうのです。
 この事への対処によって、幸福への一歩を踏み出すか、あるいは不幸への一歩を踏み出すのか大きな分かれ道となるのです。
 自分の中に生まれた敵意、それさえも押さえ込んで、さらに頑張ろうとした場合、今度は、周りの人が自分へ敵意をもっているように感じられるようになります。そうなってしまえば、もう頑張る事が出来なくなったり、広布のために戦っているつもりが広布破壊の結果を招いたりしてしまいます。この事はよくよく注意しなければなりません。
 では、どうすれば良いのか?という事ですが、まず、今を明らかに見る必要があると思います。仏法上、明らかに見るという意味で「諦(たい)」という字がよく使われますが、訓読みすれば「あきらめる」となります。その「諦めて忘れる」という意味と、「諦めがついて心が決まる」「今までの常識に囚われず大きく踏み出す」との両面の意味を持つのが「思い切る」という言葉です。「ただひとえ(一途)に思い切るべし」です。



[431] 信心からの出発

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月28日(土)11時03分10秒   通報   返信・引用

~~戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、〝幸福製造機〟にたとえられる」といわれた。生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を〝発明〟してくださった。その〝使用法〟の基本が勤行・唱題なんです。すごすぎて、わからない。簡単すぎて、わからない。「題目を唱える」という、そんな簡単な修行で、どうして宇宙大の力を、自分の生命から引き出していけるのかと。~~
(希望対話 277~頁 )

「大御本尊様は向こうにあると思って拝んでおりますが、じつはあの三大秘法の御本尊様を、即南無妙法蓮華経と唱え、信じたてまつるところのわれらの命のなかにお住みになっていらっしゃるのです。これはありがたい仰せです。この信心をしない者は、仏性がかすかにあるようにみえてひとつも働かない、理即の凡夫です。われわれは御本尊を拝んだのですから、名字即の位です。名字即の位になりますと、もうこのなかに赫々として御本尊様が光っているのです。ただし光り方は信心の厚薄による。電球と同じです。大きい電球は光るし、小さい電球はうすい。さらにこの電球の例でいえば、信心しない者は電球が線につながっていないようなもので、われわれは信心したから大御本尊という電灯がついている。ですから、われわれの命はこうこうと輝いている」(『戸田城聖全集』第6巻)

一心の師弟不二がそのまま
御本尊に書かれている日蓮大聖人の人法一箇(真理)と
それぞれの己心の人法一箇(真如)と
大宇宙の生命の人法一箇(無作)へと
展開されるのが、信心の達するところ。

その三つは、どれが先という事も無く
「今ここ」である。

幸福製造機の使い方(信心の一念)の間違いによる
壊れてしまっている部分。

あるいは、永く使った(達した)事のない錆び付いたり
埃がたまってしまっている部分。

本来ならば
南無妙法蓮華経と唱えるだけで
何の矛盾も無く上手くいくはずであるが

つまり、世法、王法、仏法には
何ら、ジレンマも障害も発生するものではないが

壊れたり錆びたりしていれば
いろんな方法でいろんな力を加え作業して
正常にしていかなければならない。

無理矢理に大きな力を加えなければ
ならないような時もあるだろう。

この正常化する作業が仏因であるが
すでにそこに仏果がそなわっているからこそ

三障四魔も正しく顕れてくるのである。

全ての出発点は信心なのである。



[430] 一本の矢

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月25日(水)02時03分34秒   通報   返信・引用

同じ楽譜を使って楽譜どおりに弾いていても、
人によって演奏は違って聞こえる。
譜面に書かれた音楽は、
演奏者の感性を通して
初めて聴くことができる。

翻訳という作業は、
違う言葉によって作り直すのだから
もっと、違いが出てくる。

我々が読んでいる法華経。
単純に、表面上の音律、教相で言えば
それは鳩摩羅什の視点を通して読んでいるのだ。

これが、どれぐらい重要であるかと言えば
鳩摩羅什がいなければ、
少なくとも一念三千は一念九百になっていたかもしれない
というぐらいには重要な事なのである。

名訳とは、いかなるものか。
映画で言えば「君の瞳に乾杯」等が有名である。
http://ncode.syosetu.com/n9839p/14/

さてさて、実は名訳の素晴らしさを伝えたいだけではない。
この、鳩摩羅什という人物像に着目したいのである。

先日、呼吸は運命を変える力を持つというので拾ったブログ。
なかなかに面白い視点をお持ちのようで、
一旦、彼の視点を借りて鳩摩羅什を見てみよう。
http://bloom.at.webry.info/200901/article_5.html

鳩摩羅什は戒律を守り、高潔で謙虚な俗世間とは隔離された世界ではなく
酒と女に溺れてしまった人間だという。

だが、その汚れた中からだからこそ
生み出せた美しい音律が、
つまり、蓮華の理論に従って
妙法蓮華経になったと言うのだ。

この人物像は、はたして
創価学会の指導者たるものの資質として
本当に重要な部分は何かを考える際に
何か重要なヒントを与えてくれるものではないかとも思う。

視点を大きく広げて、善悪無記を再確認してみる。

http://blog.goo.ne.jp/murokuni/e/f75542a8fad961e4bdc890d4f365177b
 そのためには、釈尊の言葉にある、人の心に刺さっている「差異へのこだわり」という「一本の矢」を抜き取ることから始めなければならない。ヨーロッパのある識者は「人間は生理学上、世界中の誰とでも、驚くほど同じである。この生理学上の同一性の上に文化や人生観、宗教等の差異が構築されている。そうである以上、文化や宗教の違いを根本的対立とするのは誤りである」といった。人間にとって、「差異へのこだわり」という「一本の矢」を抜き取るためには、「異なるもの」「自分にないもの」に耳を傾け、他者の個性を尊重することが必要だ。仏典には、全ての人の生命に仏性が内在していると説く。その人に特有の生命、他人とは違うという生命のこだわりを「小我」とするなら、それらの違いを全て包み込んだ宇宙生命(仏界)は「大我」ともいえる。「小我」を超えて「大我」に生きる、そこにこそ仏の生命がある。成仏とは、仏という特別な存在になることではなく、その身のままで仏という最高の人間性を開き現わすことにある。

http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-234.html
 そうした 「無記」 という考え方が示している 「内なる差異の超克」 ということを、我々の日常生活の実感に即した文脈でいえば、さきほど、釈尊の 「見がたき一本の矢」 のところで触れたように、差異への 「こだわりが消える」、差異が 「気にならなくなる」 という言い方ができます。
 この点に関して、戦後間もないころ、恩師・戸田城聖先生が、忘れることのできない留言(るげん)を残しています。恩師は、日蓮大聖人の因果観に基づく宿命転換に触れたあと、こう述べています。
 「帰依して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果がみな消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります」
 まさしく信仰を発条(ばね)にした「内なる差異の超克」 といえましょう。 「途中の因果」 とは、境涯面、肉体面、精神面で、自分が現在担(にな)っているあらゆる差異を生じさせた、原因であり結果であります。
 国籍、肌の色、家系、学歴、職業、性格、性別等々、十人十色のすべての差異は、自らがなした過去の因によってもたらされた現在の果である――これは、通途(つうず)の仏教で説く、よく知られた因果律です。
 こうした 「途中の因果」 が 「消え去る」 ということは、なくなるということではありません。そんなことはありえない。人間の社会である限り、人相ひとつをとってみても、誰もが差異的存在であり、それを貫く因果律も、三世にわたって厳然と続いていきます。
 そうではなく、「消え去る」 ということは、差異への 「こだわり」 が消え、差異を 「気にする」 ことがなくなる。それが 「内なる差異の超克」 ということなのです。
 真実の仏法に帰依することによって 「久遠の凡夫」 が自らの命の中に立ち現れてくる。「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)と云う義なり」(759P) という意味ですから、一切の作為的なものを拭(ぬぐ)い去った、巧(たく)まずして放射されるその威光勢力に照らされると、「こだわる」 心、「気にする」 心など、夢の中の出来事のような淡(あわ)い、あるかなきかのごとき些細な事柄と化していくのであります。
 ………
 真実の信仰とは、このような偉大なる生命力を涌現させるものなのです。先に 「金剛にして不壊なる澄み切った大境涯」 「創造的エネルギーに満ちた宇宙生命の内的な働き」 と述べたのも、恩師の不磨(ふま)の留言を想ってのことでした。

http://space.geocities.jp/felix_jpn_sgi/Marathon/sgi2000.html
○「言葉による支配・呪縛」を打ち破る仏法の善悪無記論
池田SGI会長はハーバード大学の2回目の講演(『二十一世紀文明と大乗仏教』)において“差異へのこだわり”の克服が平和創出のためのポイントであると強調。
C.G.ユングも「あらゆる対立や分裂にあって、分け隔てるものは人の心にあるという、一般の自覚が成立するならば、実際にどこから手を着けたらいいか、わかるだろう」(C.G.ユング;『現在と未来』;平凡社ライブラリー)と記している。

外面的な善悪にこだわり、固定化してしまうのは、心が言葉の呪縛にかかっている。
呪縛にかかると悪も善に転じうるという可変性を見落としてしまう。
→仏教で説く「善悪無記論」の視点の重要性

「善悪無記」とは、言葉による支配・呪縛を解き放ち、生成流動してやまない現実と向かい合うことを促す思想である。
“善に背くを悪と云い、悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり”
(三世諸仏勘文教相廃立 御書 P.563)
この世は全て差異から成り立っている。
←「世間」という仏教用語が「隔別(きゃくべつ)」「間隔」という意味を持つ。
真実の信仰はこの「差異へのこだわり」を乗り越え、「内なる差異の超克」を実現する。
戸田創価学会第2代会長の言葉:「途中の因果が消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります。」
御義口伝:「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」

「善悪無記論」は、「言葉の呪縛」のヴェールをはがすだけでなく、人々を対話の達人たらしめる。



[429] 池田先生の平和思想 pdf

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月23日(月)11時57分23秒   通報   返信・引用

池 田大作の平和観 と世界秩 序構想 についての一考 察
一 人 間 ・非 暴 力 ・民 衆 を め ぐ っ て 一
中 山 雅 司 (創価大学 法学部 国際平和・外交コース長)
http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/3361/1/kk5-105.pdf

↓アルベア論より
「平和と人間のための安全保障」 東西センターでの講演
 1995年( 平成7年) 1月26日 ハワイ・ 東 西センター( アメリカ)
http://www2.sokanet.jp/download/koen/11.pdf



[428] 呼吸と知性と文底

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月23日(月)11時44分13秒   通報   返信・引用

個性によって表現は異なる。

ありのままこそが継続可能な真実である。

つまり、それは一念三千であり
その主体は五眼三身である。

このことに対しての
同一性による連動こそが
己心の寿量品という文底なのである。

呼吸・鼓動・認識知覚・運動働きかけ・滅不滅。

鼓動と寿命には関連性がある。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000104_all.html

もう一つ考えてみたいのは
呼吸と感情・呼吸と知性の関連性である。

人間はある程度、専門知識が無くても
体のサイズ等の要因により呼吸のリズムの近い哺乳類に対しては
感情を読み取れるのでは無いかと思う。

眠たそうだな、怯えてるんだな、等々。

逆に
昆虫の感情は分かり難い。
魚類の感情も分かり難い。

鳥類については
理解の上では知性に見えるものを確認できるが
それが何なのか、直感的には分かり難い。

http://www.dino-paradise.com/topics/2012/03/pulmonary-airflow-of-birds.html
鳥類の呼吸システム

ただ、こうして考えてみると
威嚇というものは別格に
種を越えて伝わるのかもしれないと思う。

されたくない事をされそうになったら
びっくりさせて追い返すという保身の反応は
植物にさえ具わる、生命の本質の一面かもしれない。

しかしそれは個別の保身だけでなく
結果として全体の調和の保全であるかも知れない。

ともかく、人間以外の生き物というのは
人間に比べて、眼前の現実に対する
直接的反応によって存在していると思われる。

「人間らしい知性」とは何か?
呼吸を合わせるという手法によるチームワークの発展したものではないかとも思う。

~言葉というものは心の声を響かせたものである~

声を響かせるということは
呼吸の変化形であると思う。

呼吸の再現性を文字という記号によって記し残す事で
感情と全体性の再現性を願う。

本来は、そこから発展するものは
「人間のための」というテーマに立ち返るべきであるが

文化としての発展において
向上心と、優れた表現への崇拝は表裏であり、同時に起こる必然である事を
いかにコントロールし、悪用させないかが、
宗教の本来の、否、新しい時代においての役割ではないかと思う。

同時代的現象の、底辺を支える人々と
同じ現実、同じ感情、同じ呼吸、同じ思考量を同苦して知り

コントロールの悪用を、いかに無くすかが課題なのだ。

捨てる事と無くす事は違う。
気づきの問題である。

人間革命とは

自身の絶対的幸福も
自身の信仰の自由の選択も
社会の最小単位である家庭から
全人類と環境の関係性の一閻浮提に至るまで

その実現には
道があるのではなく

今ここにあることが
その全てなんだという
発展性なのである。

何を言っているか分からない人が大半であるかもしれないが
それは、分かる分からないに関わらず不可避でもあると思う。

そもそも分かるという時点で分かっていないという
次元の話であるかもしれない。

http://bloom.at.webry.info/201412/article_5.html
波動と引き寄せ PART7 呼吸は運命を変える力を持つ

http://www.mizunoyoga.com/gakuin/kokyuu.htm
呼吸法の実践(プラナヤーマ)



[427] 学会二世の葛藤

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月22日(日)10時54分28秒   通報   返信・引用

昭和54年、私は3歳でした。
三つ子の魂百まで。
何が起こっているかなどという事は、近年に至るまで知らなかった。
だが、言葉にはならない何か、肌で感じるもの。
3歳の吸収力をなめてはいけない。

父親からは、宗旨を問われたら日蓮正宗と答えよと、信仰の中心にそれを置く心を。
母親からは、創価学会の歓喜、池田先生を求める心を学んだ。

9歳の頃、両親が離婚。母親に引き取られる。
信心は教えられ与えられるものから、自ら求め向き合うものへと。
何が辛いか、自身があまりにも不完全で、いかに悪の要因をもった存在であるかという事だ。
自分が「男」であるという、どうしようもないそんなことさえ
「女子供」を苦しめるものの象徴でもある。
未だに独身であるが、今、この瞬間で言えば、そのことさえ功徳である。

引越しなどの絡みで、少ししか所属していなかったが
少年少女合唱団で歌った歌の中で、母親が好きだと言ったのは「たんぽぽ」の歌だった。
https://www.youtube.com/watch?v=OGh4n2no9jA

ともあれ、幼少の頃の信心の感覚は
薄れさせず、踏まれてなお強く、花開かせるためのもの。
そういう思いがある。

さて、希望の21世紀を目指し
「夢は大きく希望を持って
広宣流布のために池田先生に誓い
信心していけば夢が叶う」
「池田先生は何でも分かるすごい人」
御本尊を粗末にした罰の話や
純真に財務をした大功徳の話。
大雑把に言うと、そういう中で育つ。

夢を追うに際して、学会活動が時として足枷になるが
具体的アドバイスが無いにもかかわらず
ただ熱意で押し切って言いくるめて駆り出す矛盾。
そこいらの学会員というものは
上手いこと言って希望を持たせ持ち上げるが
その希望の実現には、たいした役には立たないのだ。

このあたりが二世の苦悩にはつきもの。
純真ゆえに火が付きにくいという難しさになる。

ただ確かに、池田先生の言葉だけは違う。
行く先々で、具体的なアドバイスをし
確実に希望を与えていく。

現実の矛盾の中で、ただ池田先生の真実の指導を求めた。

思うに、根本的には
「一人の人間として、一人の人間を本当に応援・支援できる人間」か
「上手いこと言って言いくるめて人間を利用してしまっている人間」かの違いがあり

その裏には
「嫉妬に狂い正義の人を追い落とそうとする人間」や
「知らず知らず利用されてしまっている人間」がいる
という事である。

こういった構図は、正法が興隆する際の必然でもあり
だから、本当に信心を貫くという事は
いついかなる時代であっても
壮絶な師子の戦いなのである。



[426] 大御本尊

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月21日(土)09時59分49秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人様お疲れ様です。
その感覚が本道であり王道なのだと思います。

「信心」が「そのまま」「大御本尊」・・・
言葉として合っているか分からないですが

この板でスーパー摧邪人様や清潔な身なり様と語り
また、父親に会って話して強く感じるものです。

やっぱりそれが「信心」なのだと。



[425] 和合と分断

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月21日(土)09時47分46秒   通報   返信・引用

支えていこうとすると折り重なる。従わせようとすると奪い合いになる。
法のため全民衆のためは一時ぶつかっても和合に向かえる。地位名誉のため保身防衛のためは利害で一時結ばれても破壊と分断に向かう。
今ここの同時存在を意識すると開放への智慧となる。過去の慣習に縛られた意識は閉塞への足枷の知識となる。
迫害の矢面で尊厳を護ると尊厳そのものへと磨かれる。特別意識で名聞名利を求めると尊厳を破壊する魔の働きへと堕ちる。
包容による苦しみは創造・和合の歓喜へと拡大される。拒絶による安逸は空虚・迷妄の悲嘆へと縮小される。

なんてことばっかり言ってても
息が詰まってしまうかもしれないけどね。

誰だって、世の中全部見渡せば
反応に困ってしまう話題の方が多いかもしれない。

なにもかもまともに自分の力以上に受け止めようとしたら
つぶれちゃうよね。

時には意識的に意識から外すのも知恵だと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=5ia74BYjjvo
堺正章 songoku youtube 3:46

ふざけではなく、だけど愉快に。

笑顔のあるところに人は集まる。
楽しく行きたいですね。



[424] 風光る初夏の候

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 5月21日(土)08時45分51秒   通報   返信・引用

おはようございます。
仕事に忙殺され続けている摧邪(サイヤ)です。
ちなみに娘の名前は紗綾(サアヤ)ですが、どうでもいいですね。(笑)

今日も会社に出て仕事をしていますが、休日なので合間を見ての投稿です。
蓮香さんの仰る通り私たちの世代は創価学会の組織に育てられました。
ましてや私は学園出身者です。
創価が狂い邪教化しようとしているのを、指をくわえて見ている訳にはまいりません。
前にも申した通り私の闘いは恩返しの闘いです。
不知恩の者にはなりたくありませんので。

創価邪教化の根拠は大御本尊との決別です。
大聖人の慈悲の結晶であり、日蓮仏法の究極である大御本尊です。
昨年2月2日、教学部の「解説」が出た直後の日記にこう記しています。

「本門戒壇の大御本尊を末法御本仏日蓮大聖人の
出世の本懐でないと否定することなど如何なる理由が
あろうとも何者にも許されることではない」

この思いは今も変わりありません。
少し仕事が忙しく投稿できずにいますが、思いに変わりはありません。
日々の仕事と2時間唱題に全精力を傾注している昨今です。

大御本尊への思いは人により厚薄があるようです。
認識の仕方の違いによるものなのでしょう。
私は上記のような認識ですので離れることなどあり得ません。
我が家にご安置の御本尊は大御本尊の分身散体です。
そして生身の日蓮大聖人として日々拝しています。

もちろん肉眼しか持たない私には紙墨としてしか映りません。
しかし仏眼で拝したときにはどう映るのか。
そのように思いつつ日々唱題を重ねています。
創価の発迹顕本を我が使命として祈っています。

http://macska2012.blog.fc2.com/



[423] 厳護朗様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月20日(金)10時57分53秒   通報   返信・引用

私が未来部のころとは時代も違いますし、学会の流れも違いますのでお話しするべきか迷いました。
でも、人材育成にあたっての要諦は変わらないはずですから少しだけ語らせてください。

私のころは中学生といえば、組織の中でもほぼ大人の扱いでした。御書学は毎月ありましたし、教学試験受験も中1からでした。座談会にもでていましたし、毎月の部員会も大人にお膳立てしてもらって参加ではなく、部員さんまわり、企画会、会場をとること、唱題会、反省会等。勿論、初めは男女青年部の人に手取り足取りで教えてもらい中2にもなればいっぱしになってました。このときに御書だけではなく人間革命の読み方も文上だけで理解したと思っては浅いと教わったんですよ。
恐らく当時の男女青年部の先輩方は、この子たちは池田先生からお預かりした子達なんだ、立派に育てて先生のもとへ送るんだと思って育ててくださったんだと思います。ありがたいことです。この時代に習ったことは組織の中はもちろんですが社会に出てからも大いに生かされたことは言うまでもありません。



[422] Re: 依法不依人

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月20日(金)10時24分11秒   通報   返信・引用 > No.420[元記事へ]

法に依って人に依らざれとは、仏道を実践するに当たっては仏の説いた教え(経文や御書)を拠り所にすべきであって、人師や論師の言葉を用いてはならない。

これが本来の意味ですが、結構都合よく使えてしまうんですよね(苦笑)

30数年前の私が女子部だった頃は毎月折伏セミナーがあった時代でしたので、友人に我が身で法の正しさを証明できないことのエックスキューズで使っちゃってました。

自分はまだ未熟で大したことないけどもこの法はすごいのよ~ナンてね…
お恥ずかしい限りです。一見、謙虚に聞こえそうだけど実は凄い増上慢ですものね(苦笑)



[421] Re: 蓮香さん

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月20日(金)07時06分22秒   通報   返信・引用   編集済

> しかし、ここ20数年は明らかに選挙活動に忙殺されて手を抜いてきちゃいました。
> 私の周囲でも青年部を未来部を育てましょうという声は上がってはいましたが、現実は
> それぞれの親任せでした。創価の未来を考えると大いなる反省と危惧を抱いています。

私も未来部担当をやっていますので、蓮香さんの気持ちもよくわかります。
選挙が近くなると、未来部の会合が持てなくなり、上に「違うんじゃないか?」と言ったこともあります。
その後も葛藤はありますが、自分の中で答えを見付けてもいます。
それは、子ども達に大人の勝利の姿を見せることも未来部育成につながるのではないかと・・・。



[420] 依法不依人

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月20日(金)01時55分55秒   通報   返信・引用

2日ほど書き込む余裕が無かったのですが
賑やかですね(^-^)

「依法不依人」と、言うのは簡単だけど
一体どうする事が、「依法不依人」になるのか?

何かを考え発信する相手も人
それを受けて何かを思うこちらも人。

だからと言って、山にこもって瞑想するなんていうのは
小乗の行き方になる。

積極的に人に関わっていくのなら
意見・認識の違いや、目指すベクトルの違い等々
いつでも起こるし、あるいは気付いていないだけで
いつでも起こり続けている。

「善の連帯」を考える時
統一的な「善の価値観」に足並みが揃わなければならないような
印象を受け、人と自分の違いを違いとしてしか認識できない時
「正」と「反」として、それぞれを捉えて、それを超えられない事が
人に依ってしまう人の弱さの現われではないかとも思う。

私にとって「なるようになる」という事は
何らかの対立項の渦中にあってなお
それを俯瞰して両者や全体を変化させるからこそ
「なるようになる」ものだと思っている。

アルベア様にリアル思考実験として拾って頂いた事があるが
他の何でもない、私の起こしたアルベア様への対立項の
顛末のことである。

一歩引いて情報を整理し、自分の方のおかしな点と
相手への、こうした方が良いと思うという点を
並列に述べたものだった。

その時には、それが「依法不依人」なのだとか
思ってやったわけではなかったんだけど
こうしてまた違う視点で見てみると
そうなのかも知れないと思った次第です。

「正」「反」それぞれの認識を超えたところを意識し
実際の変化としてバージョンアップしていく。

つまりはそれが
何かを認識する側の「正報」であるそれぞれの個人と
文字や現象を通して認識される側の「依報」が
「不二」(同じ生命現象の顕れの違い)であるという
「法」に依っていくことにつながるのではないかと思う次第です。

そうして「法」に依っていってこそ
囚われからの脱却や、枠が外れるという現象も
意味を成していくものだと今は私は捉えている。

あくまでも私は今は「創価の再選択」の上での
バージョンアップの実行をしたいといったところだろうか。

私自身、
自分を一人の人間として見たときには
自慢できるところの少ない、隠しておきたい事ばかりの人間であるけれども
そういう法眼に立って見れば、
ここにいるのは何か意味があるんだろうと思う。

「深く大きく」祈った分だけ
「深く大きく」境涯が開かれていくと思います。

どうか深い祈りを
そして大きく祈って動いて
共々に境涯革命してまいりましょう。

諸天よ護りたまえと祈りを送っていきます。



[419] 厳護朗様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月19日(木)12時30分31秒   通報   返信・引用

コメントしていただき、ありがとうございました。

厳護朗さんは3世なんですね、うちの子たちと同じくらいの年代かもしれませんね。
私やサイヤジンさんの子供時代は組織全体が未来部や青年部を大事に育ててくれました。
しかし、ここ20数年は明らかに選挙活動に忙殺されて手を抜いてきちゃいました。
私の周囲でも青年部を未来部を育てましょうという声は上がってはいましたが、現実は
それぞれの親任せでした。創価の未来を考えると大いなる反省と危惧を抱いています。
それでも勝手な言い分ですが、厳護朗さんのような若い方達に期待をかけてしまいます。



[418] Re: 護り方について

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)19時04分27秒   通報   返信・引用

> つまり、目先のことだけの浅い考えで創価を師匠を護れるとしたことだと思います。
> 結局は裏工作では組織や師匠を護ることなんて出来ない。何か起きたときに自分が全て引き受けるまでの肚も決まっていないのにね。

◆宿板の多くが、上からやらされていた感があり、今こうして暴露的なことになっているのではないでしょうか?
「肚も決まっていない」
とは、その通りだと思います。


> 私は師匠をお護りするということで1番大事にしなくてはならいことは、自分自身の言動行動で法を下げることはしてはいけない、つまり、人として真っ当であることです。

◆そうですね!
自らが学会を背負って立つくらいの思いが必要です。
社会に出たら、自分自身の姿からしか学会を理解して貰えません。



[417] 護り方について

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月18日(水)11時48分58秒   通報   返信・引用

確かに私も「依法不依人」だとは思います。
しかしながら宗教団体のトップに愛人がいたとか後始末を池田先生がしたなんて話を内部の人間がする必要あるのかな?そしてそれを言うことが池田先生を宣揚していると思う感覚は理解できません。
宿坊で原田さんや谷川さんの女性関係を糾弾していながら、片方でとうとうとあの手の話をして正当化する神経。書かれた方がでてこられずに関係のない信濃町さんが語るのもわかりませんね。これって男女の違いですか?池田先生やご家族についても同じようなスタンスで創価にはタブーはないとして語っちゃうのかしら…

では、護り方について日頃より感じていることを少々述べさせて頂きます。

学会内部で起きている不協和音の元は「組織の護り方、師匠の護り方」を間違えたことにあると思ってきました。古くは昭和45年に起きた言論問題あたりからでしょうね。創価という組織を先生を守るためとして反社会的と思えることまで幹部は無辜の男子部員に使命という言葉を使ってやらせてきました。
近年では第2次宗門問題の前後、広宣部を動かしてスパイまがいのこともね。今、粛清として学会で起きてることはあの当時に動かしたメンバーを学会の恥部としてなかったことにしようとしてるということでしょう。
つまり、目先のことだけの浅い考えで創価を師匠を護れるとしたことだと思います。
結局は裏工作では組織や師匠を護ることなんて出来ない。何か起きたときに自分が全て引き受けるまでの肚も決まっていないのにね。私は師匠をお護りするということで1番大事にしなくてはならいことは、自分自身の言動行動で法を下げることはしてはいけない、つまり、人として真っ当であることです。
なぁ~んだ、そんなことと思われたでしょうね。でも、それが出来ていたら今のような事態にはなっていませんよ。ふん!所詮中年のおばさんが言うことなんてこの程度と失笑していただいても結構ですよ(苦笑)



[416] Re: ノーカットだとか

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)07時35分19秒   通報   返信・引用

> 知らなくてもよいことがあります。

今の時代、中高生でもネット検索は日常ではないでしょうか?

内部の未来部員も例外ではありません。

学会三世の私の中高時代は、学会から離れたくて仕方ありませんでした。

しかし、その頃はネット社会ではなく、学会の悪い情報はゼロではありませんが、ほとんど入ってくることはありませんでした。

もし、今のように簡単にネットでアンチ情報が目に入っていたら、おそらく、それらを使って学会から離れていたのではないかと思っています。

子どもの純粋さからくる判断力を無視して、「見たくない人は見なければよい」とか、「スルーすればよい」などと、大人として無責任すぎるでしょう。

自分の子どもに18禁を見せますか?

それと同じことではないでしょうか?



[415] 蓮香様

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月18日(水)00時48分0秒   通報   返信・引用 > No.413[元記事へ]

法に依って人に依らざれ、です。信心しているといっても表層だけ見ると一般人と
変わりはないと思います。

凡夫即極でしたっけ?

我々は色相荘厳の仏じゃないですから(笑)


> ごく普通の女性の感覚だと思うんですけどね。


女性の感覚は男性にはなかなか分からないものなんで、ご容赦ください。



[414] ノーカットだとか

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)00時07分0秒   通報   返信・引用

知らなくてもよいことがあります。



[413] Re: 宿板の話題ですが

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月17日(火)23時18分41秒   通報   返信・引用 > No.412[元記事へ]

ありがとうございます。

事実であったら何でも言っていいというのは、ましてあのての話をとうとうと語るなんて私には受け入れ難かったんです。
ごく普通の女性の感覚だと思うんですけどね。



[412] 宿板の話題ですが

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月17日(火)23時02分48秒   通報   返信・引用

蓮香様の心中お察しします。


レンタル掲示板
803件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.