いまさら やめては だめなのだ

反宿坊板、及びそれに類する掲示板へのリンクはご遠慮ください。 串投稿もご遠慮ください。 他者に対する発言は充分な根拠を示してください。



カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


803件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[661] 無限の可能性

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月14日(月)01時52分32秒   通報   返信・引用   編集済



この図を見ると
アルベア論的な視座がある。

「あなたの人生が一瞬で変わる田中信二のブレイン・アップデート・キネシオロジー」なるものの
HPに掲載されているものだ。
http://ameblo.jp/mindupdate/

「ブレイン・アップデートとは」を
クリックすると冒頭の図や
動画がいくつもある。

https://www.youtube.com/watch?v=GOrBHuqr8NI
https://www.youtube.com/watch?v=exQfjwMFXiY
https://www.youtube.com/watch?v=KuR8TLnrG2E

https://www.youtube.com/watch?v=ORnnZe8yd5M
https://www.youtube.com/watch?v=KQ6i6RZOW_I

https://www.youtube.com/watch?v=9sajdj0bk7g
https://www.youtube.com/watch?v=ILSaqlfqnYs

パワフルなメッセージを発している。

アルベア論に紹介された
ジュンコ セレンディーさんの動画
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/881
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/882
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/883
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/884

と比較検証すれば

何が人生を詰まらせているのか

何が創価を疲弊させているのか
見えてくるかもしれない。

「無限の可能性」

創価が思考概念でもたもたしているうちにも

生命の真実は実践的方法を開拓している。




[660] 体感の本心

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月13日(日)11時28分11秒   通報   返信・引用   編集済

身なりさん釣りですか
良いですね。

大いに刺激されます。
ありがとうございます。

本当の狙い、
本心のための行動。

状況に合わせて仕掛けやポイントを変える機転。
その状況を知るための魚や海への知識と論理。
探る探求、体感イメージの比喩。
魚と交わすことばづかい、エサのアクション、釣り上げる駆け引き。

生命の輝き、体感MAX。

我が本心で無きものは外道。

そのいさぎよさ。

それが球の意識であり法である。

世間の中で人々が
この自然さに立ち返れないのは
人間社会の膠着した
パラドクスに気づけない愚考があるからである。

名付ける前には同じものであったはずの
ものに対するダブルバインドがある。

「私はアコウが釣りたい」
「だけどキジハタは釣りたくない」

それだと釣れても釣れなくても叶っているし
釣れても釣れなくても叶っていない。

「仏とは何かが知りたい」
「でも悟りなんて解る必要がない」

自分で自分を迷わせている。

「ギャンブルで勝ちたい」
「ギャンブルで負けたくない」

勝ちも負けもあるのがギャンブル。
勝負不二。
勝ちも負けもその現象の両極にすぎない。
総体は勝っていると同時に負けている。
個として一時勝ちの側に身を置いても
生命には同時に負けが刻まれ
溜めてしまえば大きな形で現象化する。

上手くいくことも
上手くいかないこともあるのが人生。

気づくことは罪障消滅である。

一切が有難い。
そして歓喜の軌道への飛翔である。

求めない世界で一切が回りだす。

『信解品』「我等、今日、仏の音教を聞いて、歓喜踊躍して、未曽有なることを得たり。仏、声聞当に作仏することを得べしと説きたもう。無上の宝聚、求めざるに自ずから得たり」である。

求めて修行して与えられる称号ではなく
光が届いて気づいて歓喜するものなのである。

「無上宝聚不求自得」で検索すると
奇しくも、「先生」という敬称に対する
烈々たる想いのスピーチがHITした。↓
http://d.hatena.ne.jp/peppie/20060712/1190259838

歌を詠まさせてもらいます。

師の想い
 届きて流す
  感涙の
 久遠の縁(えにし)
  思い出すかな

歴史を荘厳するものは
自身の生命である。

~惰性から豁然(かつぜん)
と目を覚ましていく生命の劇~

法華経のドラマである。

自身のドラマなのである。



[659] 大海原で自己機能体感MAX

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年11月13日(日)04時39分26秒   通報   返信・引用   編集済

久し振りに船で沖合いに出かけます。

狙うはキジハタ(アコウ)です。キロ一万円の高級魚です。

浅きを去って深きにつくのが丈夫の心である

このキジハタ以外と浅いところにもいたりします。
探り続けるのが唯一のコツです、探求です。

外道(五重相対ではありませんよ)で鯛やアラカブ、オコゼも釣れます。外道と言えどこれらも十分高級魚です。
高級かどうかも人が決めたこと、ましてや外道とは失礼きわまりない(x_x;)

※釣りでは狙う魚以外は外道と呼びます、例えてそれが幻の超高級魚でも外道なんです。

では出港です、行ってきます。(^^)
星も満天☆彡(☆。☆)



[658] 丈夫の心

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月12日(土)11時01分41秒   通報   返信・引用

いろいろあります。
なるようになります。

「往生際」ですか。
キーポイントです。

「全てを失う覚悟で手放し
宇宙の生命の自然
つまり仏智にゆだねる」

四箇の格言も
本来「あれは悪い、それも悪い」
という囚われを作ることではなく

むしろ最終的には”仏教の教義全般”さえ
手放す勇気の後押しかもしれません。

日蓮大聖人は五重の相対を示しながら
本門までしか明確化していません。

「一人立つ」ためには
手放し抜け出す必要があるのです。

三車火宅です。

生命現象です。
誰もが通るのです。

しかし「往生際」と言っても
生きている限り死にませんから
大丈夫です。安心してください。

苦しんでいる自我機能だけ
往生させれば良いのです。

新陳代謝です。

苦しみを排泄し、新しく
キラキラやワクワクを選択して
取り入れていくのです。

この新陳代謝が健常であれば
本来常に新しく心躍る
エネルギーに満ちているのです。

歓喜踊躍です。

実際の体感として
妙法が展開していくのです。

一切が壮大な生命現象なのです。

法華経に見た生命現象の
意識体の体感イメージが
御本尊です。

ただ今本来、つまり久遠即今一瞬の
生命現象にゆだねることなのです。

自身の内から活性化するのです。

大きな意識で
大きなサポートを受けて
大きな自身へと拡大するのです。

今言っているのはストーリーです。
実際は全部、自身の生命現象ですが
見方を変えれば様々なサポートを受けて
同じようにストーリーが展開するのです。

宇宙人との交信という
突飛なバイブレーションにも
気づけば同じ展開があるのです。

最近アルベア論に紹介された
関野あやこインタビューby Mr Reuben Langdon☆本編
https://www.youtube.com/watch?v=SRBgkwQjnAk

法華経も宇宙大のストーリーです。

折々に振動を起こしながら

はるか遠く過去の威音王仏の話や
多宝如来・十方の諸仏が来集したり
妙音菩薩がやってきたりと

実に壮大です。

法華経を信じるのは良くて
実際に宇宙人と交信するのはダメなんて

どれだけ自分勝手なダブルバインドなのか

多くの人は後生大事にしていますが
思い切ってこれを手放すのです。

慣れれば、簡単に外せます。

外せば新しいキラキラやワクワクを
取り入れる余地が生まれます。

新陳代謝です。

早起き会、ちらっと調べてみましたが
朝起会の名称で知られる
一般社団法人実践倫理宏正会。

なるほど。

奥さんの気づきのための
現象化かもしれませんね。

長男の事で悩むのと表裏の現象化。

いつからか自我機能でガチガチに
言う人が多いですが

折伏という救済活動の中に
抱えている問題の解決がなされるのは

自己機能による勇気の一歩の
一切の現象化の気づきのためです。

言われたからやるのではなくて
自身が自身であることを貫くためです。

内観にしたって
自身がワクワクするタイプのものを
選択すれば良いのです。

「これは誰が作ったの?→私」
これも内観ですから。

『 浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり浅を去て深に就くは丈夫の心なり 』 です。
http://yuyake7.blog.fc2.com/blog-entry-320.html



[657] 早起き会

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年11月11日(金)15時10分9秒   通報   返信・引用

順縁逆縁さまざまですね(^^)

内観は主治医に勧められては一度チャレンジしましたが、素直に取り組めませんでした。どこか自分で言い訳してるのに気付きました、往生際が悪いんだと思います。

妻が長男のことで悩んでます。簡単に言うと不登校なんですが今風に言うと発達障害らしいです。

妻が以前から仏法対話していた知人から逆に早起き会なるものに誘われて行ってみるそうです、止めませんでした。こっちは祈るだけです。

私は長男のことは深刻に考えてません、毎日笑って過ごせてるので満足してます。こちらもまた祈るだけです。

いろいろありますね



[656] 順縁も逆縁も救済は救済

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月11日(金)13時25分19秒   通報   返信・引用

思考というものは自動的に湧いてくる。
止めることは出来ない。

思考というものは
意識を向けたことによって
流れる情動のエネルギーが
概念・認知パターン・信念体系を刺激することによって

自動的に発生する現象である。

思考が発生することによって
そこに情動エネルギーがあることに気づける。

その情動の原因を知って反省すれば
それを解放することが出来る。

ネガティブな情動の解放には
負の感情の発散・爆発がされるが

それは留めて溜めていたからで
本来外に向かうのが自然だったのである。

こんな自分を表に出したら
きっと嫌われるに違いないという
「思い込み」「信念体系」が
情動が外に向かうのを止めて
解消されないまま自分の中で
エンドレスに思考を湧かせているのである。

上手く閉じ込め忘れたつもりでも
縁にふれて感情が漏れ出し自己嫌悪になる。

今度は漏れないように
思考概念を上書きして蓋をする。

あるいは自棄になって逃避する。

感情に蓋をできるのが善で
感情に蓋をできないのが悪?

くそくらえだ。
聖人君子なんて気持ち悪い。
こんな歪な世界にあっては
本当の幸せなんて幻想と思う。

そういう世界に多くの人が
生きているのだろう。

この原因を作ったのは
情動の解放を制限した自分なのである。

なぜこういうことが起こるのかと言うと
まだ社会の仕組み、感情の機微、相手がある事
そういうことを客観的に認識できない小さい頃

嫌な思いをした出来事に対して
その経緯を否定して我慢することを覚えたことに遡る。

ここで閉じ込めたものが自動的に
解放されないままエンドレスに繰り返されているのだ。

これを思い出し、感情を爆発させ、反省し、
解放するのが「内観」である。

大人になった頭で、
いや、大人子供は関係ない

ちゃんとした順を追って内観すれば
「苦しみの根本原因」が解消され
意識が解放へと向かい
ただ「今の思考」しか起きない。

最小限の自我機能である。

内観には、世話になった、愛された
その一つ一つを思い出すこと。

そのお返しがどれぐらい出来ていたか
ただ我儘を言っていたんじゃないかと反省する。

そしてネックになっている出来事の
本当はどうだったのかを
「自分はどう思ったのか」
偽らずありのままに思い出す。

その時「相手はどう思ったのか」
立場を入れ替えて考える。

このことが思考概念の解消になるのである。

囚われたまま瞑想しても
その場の対応でしかない。

解消をして瞑想することで
抵抗値の無い循環へと還るのである。

自身の始まりとも宇宙の始まりとも無関係に
本源的に無限に自動的に起こるのは
ただ九識(阿摩羅識・あまらしき)の歓喜である。

全ての存在そのものの開放性の
内在するビジョン
必ず発揮される変化が
八識(阿頼那識・あらやしき)の因果・縁起である。

経験している体感イメージは
生まれる前から死んだ後にまで
生きている時と同じだけ
生命現象としてそのままある。
七識(末那識・まなしき)の志向エネルギーである。

受精卵として生命現象の役が揃う。
体感イメージ・選択・模索・分裂・分化・調和
しだいに人間として「再現」されていく。

宇宙の歴史、地球の歴史
そのエネルギーそのものの生命現象である。

産まれたての赤ちゃんは宇宙そのものである。

志向性のエネルギーが自動的に
愛の交流を起こす。

おっぱいを飲むという自動経験が
これの継続の必要性を学ぶ。

与えられている愛の中にある。

このエネルギーの交流の経験の形が
個別の人間としての情動の基本になる。

三つ子の魂百までと言うが
情動のパターンは基本的に変わらないということである。

4~5歳のころまでにベースができる。

出来ていく情動は
随時、経験によって
感情を満たすことを学ぶ。

すべて自動的だったものが
自我を経験していく。

上手くいかないことがある事に気づく。

それは周囲から
「こうしなきゃいけない」と
望まれることに対する反転である。

家族・直接関わる人・社会全体の
「こうするべきだ」という
思考概念に沿うように成長する。

パラドックスになる。
それぞれの思考概念は
それぞれに自分勝手なのだ。

思考概念の押し付けの強い環境では
自分勝手に自分を苦しめる自分を形成する。

環境が、それを正義だと思い込んでいるほどにである。

愛が無償ではないから
閉じこもらざるを得ないのである。

自己都合の六識(意識)の中で
利己的に五識(眼・耳・鼻・舌・身体)の欲を
満たすための物語を形成していくのである。

全くの偶然を含めて
きっかけは種々にあるが

この自我の殻から解放されるものが出てくる。

自分というものが自分勝手な思い込みだったと
気づくものである。
無償の無限の愛を思い出すものである。

気づき思い出せば伝えることが出来る。
それが救済である。

縁によって思考を起こすことで気づかせる。

縁によって起こるのは自身の生命現象である。
それは実に、自分勝手である。

しかし縁したことは絶対的に
同じであることの波動なのだ。

順縁にしろ逆縁にしろ
救済は救済なのである。



[655] トランプ

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月10日(木)03時32分36秒   通報   返信・引用

アメリカの大統領選トランプ氏の勝利です。
なるようになっています。

トランプ氏の勝利は予想できていなかったけれども
自然の流れの中で「トランプ」というワードの
インスピレーションはありました。

時間の都合で、結果の前には書けなかったけど
非二元の説明の比喩にカードのトランプを
使おうと思っていて

(それぞれ一つ欠けると意味が変わってしまうような
言葉の組み合わせか何かないかと考えたのが元で
行きついたのが「トランプ」です)

それじゃあトランプ氏が勝つみたいじゃないか
なんて思ったりしてました。

もう、そうなってるんだから
どうでもいいのだけれど

そういう虫の知らせ的なものは
非二元が分かったからとかいう特別なことではなくて

特別な自分を作らないありのままが非二元なので
普通にある普通の偶然がここにあるだけです。

トランプというカードは
四種類のマークの1~13とジョーカーからなる。

どれが一番良いカードか?

ジョーカーですか?

でもババ抜きの場合には持っていれば負けます。

どれが良いカードかなんていうのは
人間の決めたルールに従って競い合う時に
その勝敗の格差をつけるために
ゲームごとに仮にあるだけです。

強い組み合わせを作ったら勝ち。
先に無くなったら勝ち。
たくさん集めたら勝ち。

色々あります。

そんな遊びの中にも
競い合い勝敗を決めるという
人間的な文化があるのです。

大人になっても、社会の中において
どうにかそのルールの中で
より強いカードを手に入れて競争相手に勝つか?

そう生きるのが当然のこととして
自動的に目いっぱい思惑を働かせて
生活しているのです。

勝てばハッピー負ければ惨め。
そのスリルに熱中するあまり
もっと大切なものを置き去りにします。

気づくことです。

大富豪であれ大貧民であれ
同じゲームです。

現象として全体を俯瞰する。

意識の使い方です。

起きている場の意識です。

例えば導師がいなくてバラバラの唱題の時
この場の意識にフォーカスすれば
特段に大きな声を出さなくても
自分の唱題に全体を合わさせることも出来ます。

そういう経験の技の積み重ねです。

体感のチャレンジをして獲得するのです。

「私が来たからもう大丈夫だよ」
「私がいるから心配いらないよ」

そういう境涯へのステップアップです。

これだけの組織で
そういう言葉が体感体系の本当の言葉であることが

池田先生の法華経の非二元なのです。

自分一人が幸せになるだけのものではなく
本当に全員を救える真の大乗
広宣流布する大白法。

これはこの次元では
人数や教団の規模、活動内容は全く関係がない。

自身が全体になった瞬間、広宣流布はされている。

これしかないのだから
これがそれになったら
それでしかない。

トランプはどんなゲームをしている時も
占いに使ったってタワーを作ったって

トランプがトランプでない時は無い。

まぁ中には、手品で何かとすり替えるような
騙しもあるだろうが、事実は
トランプがトランプとして存在している限りは
トランプはトランプなのだ。

宇宙が宇宙として存在して
私という役がそろっている経験。

この役の優劣は人間がかってに決める。

宇宙が宇宙であるためには
どうだっていい概念。

トランプがトランプとして
出荷されるときから
内在している役。

この役が
私はトランプだ

と言うことは真実である。

https://www.youtube.com/watch?v=BOQ2Iy2dE3k



[654] 自我、自己、意識

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 9日(水)04時24分15秒   通報   返信・引用

例えば、従来の
創価らしい言い回しとして

「信心すれば病気が治りますかだって?
信心を何だと思ってるんだ!
そんなの治るに決まっているじゃないか!」

という感じが
戸田先生っぽいかな?

この部分、言語体系だけを
思考概念の自我機能で見ると

疑いを起こす人間には
逆切れして押さえ込めばいい

というような愚考も可能かもしれない。

折伏の決め台詞の
「どんな味だか食べてみないと分からない」
とか、

色々ありますけれど

体感体系の自己機能があってこそ
信心の確信の言葉になります。

体感体系はサボっていれば
愚考に食い破られるのだと思います。

しかもこのサボるのニュアンスは
頑張っていればサボっていないと
いうことでもないという感じ。

戸田先生の言った地球民族主義を考えるならば
言語体系に違和感を覚えたとしても

その拒絶に打ち勝って
体感としての同じを

これは意識の使い方でもあるが

摩擦の無い和合として果たすことだ。

意識というものは向けて
フォーカスするものである。

そこに光を当てることである。

だけどこれは
自我機能の思考概念で曇っていれば
綺麗に光を届けることが出来ないし

受け取ることも出来ない。

曇りのない自我機能への磨きと
活性化した自己機能の強い光への鍛錬が

自在の境涯を開く鍵である。

言語体系に依存してはいけない。

仏法は中道と言いながら
偏った思考の人間も多い。

中道とは非二元である。

思考概念をまとわない
裸一貫の自己機能のフォーカスである。

独自の言語体系をいくら整備したって
そういった「差別化」が

どんな和合を
どんな平和を
どんな幸福をもたらせてくれるというのか。

自我機能に縛られ窮屈になり
差異に対して拒絶や敵対を生むだけだ。

しかし組織がどうであれ
非二元の意識は
王者の魂である。

恐れない。

何ものとも不二の
唯一のこれしかない道である。

師も宇宙
我も宇宙

一切の絶対勝利の光である。



[653] 体感の光

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 8日(火)11時46分58秒   通報   返信・引用

アルベアさんのように言うと
意識体の介入がありました。

半分書き上げた内容が
消えました。

なるようになってます。

まだ書いてはいけない内容だったようです。

不思議なことは色々ある。

体感の世界は思考概念からすれば不思議です。

身なりさんがここに投稿してくれることは
不思議の中の不思議です。

体感は「そうなる」のだから常識は関係ないです。

世の中には人間の性別が作り替わるということだって起きます。

http://www.at-douga.com/?p=11208
↑NHKスペシャル <人体 ミクロの大冒険> 第2回 動画付き
http://blog.goo.ne.jp/miyazaki8007kankodo/e/87f561c8576905b82ee7be5ecccb707c
http://sci.tea-nifty.com/blog/2014/04/nhk-8874.html
↑テキストによる紹介

浮かび書き起こしたことが不可避のエネルギーとリンクするのも体感です。

世の中に実在する、手をかざしただけで
あるいは言葉を伝えただけで
病を癒したりするエネルギーも
体感だから起こるのです。

閲覧者の方々にお伝えします。

「その病、もう治っています」
「この場のエネルギーがあなた自身だからです」
「あなたは光なのです」
「今だけはエネルギーへの抵抗値がゼロだからです」
「祈りは光です、光は祈りです」
「あなたは今、光なのです」
「関与した意識体の膨大な妙法の力が一体となります」
「病は治ります、願いは成就します」
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経



[652] 動の休息

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年11月 7日(月)15時52分23秒   通報   返信・引用

人生で初めて腰をやりました。探求も堂堂巡りに入り気味でしたのでスワイショウとぷるぷる気功で心身のメンテナンス中です。



[651] 勤行は胸中に太陽を昇らせる儀式

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 7日(月)12時38分20秒   通報   返信・引用

池田先生の指導では
勤行唱題は胸中に元初の太陽を
昇らせる儀式なのだという
内容があったかと思います。

チャクラのところで書きましたが
太陽=華です。

太陽というものは
あるいは花というものは
良いカッコしようとはしません。

そのままあるものを
ただ誰が見ていようと
誰が見ていまいと
与えられたそのままの場所で
輝き開いているのです。

出会ったものに
出会ったままに
平等にありのままあります。

ありのままの自身です。

チャクラの位置で言うと
上腹部です。

このありのままを
横隔膜を隔てた
中心に位置する胸中へと
昇らせる。

胸中の受容する愛で
そのままの自身を受け入れ
輝かせていく。

今のままではダメだという
囚われに打ち勝って昇らせる。
自分の判断ではダメだという
歪みに打ち勝って昇らせる。

御本尊をただ見るのではなく
その生命の真実を観るという
妙の力を活性化し

声を響かせることによって
大宇宙の生命の真実と
交流する法を活性化することによって

胸中に太陽を昇らせることによる
「ありのままの自分が傷つくのは嫌だ」
という恐れに打ち勝っていくのです。

この実践・行動自体が経です。

これを全身全霊で行う
ー南無・帰命することによって

その境涯を
どこまでもどこまでも
開いていくことが出来る。

抵抗値がなくなるからです。

進み辛さというものは
自我機能の作り上げた生き辛さだからです。

「ありのままの自分が傷つくのは嫌だ」
という恐れによって

ありのままを我慢して
教えられたままに真面目にあろうとする。

それは利己的な打算です。

これに勝つことが
仏法の勝負なのです。



[650] 非二元超訳 方便品(一部)

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 6日(日)01時33分36秒   通報   返信・引用

妙法蓮華経 方便品第二
http://yoshiok26.p1.bindsite.jp/bunken/cn14/hokekyo2.html
是法悲思量分別。之所能解。唯有諸佛。乃能知之。所以者何。諸佛世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。舎利弗。云何名諸佛世尊。唯以一大事因縁故。出現於世。
諸佛世尊。欲令衆生。開佛知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。佛知見故。出現於世。欲令衆生。悟佛知見故。出現於世。欲令衆生。入佛知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸佛。唯以一大事因縁故。出現於世。
佛告舎利弗。諸佛如来。但教化菩薩。諸有所作。常為一事。唯以佛之知見。示悟衆生。舎利弗。如来但以。一佛乗故。為衆生説法。無有余乗。若二若三。舎利弗。一切十方諸佛。法亦如是。舎利弗。過去諸佛。
以無量無数方便。種種因縁。譬喩言辞。而為衆生。演説諸法。是法皆為一佛乗故。是諸衆生。従諸聞法。究竟皆得。一切種智。
舎利弗。未来諸佛。當出於世。亦以無量。無数方便。種種因縁。譬喩言辞。是諸衆生。従佛聞法。究竟皆得。一切種智。

この非二元は思考で
区別して理解する概念ではなくて
ただ古今東西の完全覚者だけがあって
すなわち「非二元の『これ』」を知っている。

それはなぜか?

古今東西の完全覚者・救済者は
ただ「円融円満・不二の今ここ」
「南無妙法蓮華経の生命活動」
をもっての故にのみ
世に出現したからである。

舎利弗よ、それは何のために
「古今東西の完全覚者・救済者は
ただ『円融円満・不二の今ここ』
『南無妙法蓮華経の生命活動』
をもっての故にのみ
世に出現した」という概念を言うのか?

古今東西の完全覚者・救済者は
人間をして法華経の非二元を開かせ
根本清浄であることを
得させようと欲したがゆえに
世に出現したのである。

人間に法華経の非二元を
示そうと欲したがゆえに
世に出現したのである。

人間をして法華経の非二元を
悟らせようと欲したがゆえに
世に出現したのである。

人間をして法華経の非二元の
道に入らせようと欲したがゆえに
世に出現したのである。

舎利弗よ、これを「古今の覚者は
ただ『円融円満・不二の今ここ』
『南無妙法蓮華経の生命活動』
をもっての故にのみ
世に出現した」というのである。

(覚者は続けて舎利弗に告げる)

古今東西の完全覚者・「なるようになっている」は
ただ、完全覚醒への菩薩道だけを教え導く。

すべての振る舞いは常に
一つの目的のためである。

ただ法華経の非二元をもって
人間に示し悟らせるためである。

舎利弗よ、「なるようになっている」はただ
「完全な空・南無妙法蓮華経そのもの」
をもっての故にのみ
人間のために非二元の法を説く。

ただ一つ「これしかない」のであって
二や三は無い。

舎利弗よ、全てのあらゆる様々にいる
覚者の非二元のメッセージもまた、
同じなのである。

舎利弗よ、過去の様々な覚者も
無量無数の機転と様々な論理と
例え話とことばづかいとをもって
人間のために様々な非二元の法を演説する。

この非二元の法も
「完全な空・南無妙法蓮華経そのもの」
のための故なのである。

この諸々の人びとは
諸々の覚者より非二元の法を聞いて
究極するところは全員が
その全体性の本質
仏智としての働きを得たのである。

舎利弗よ、未来の様々な覚者の
まさに世に出るであろうものも
また無量無数の機転と様々な論理と
例え話とことばづかいとをもって
人間のために様々な非二元の法を演説するのだ。

この非二元の法もすべて
「完全な空・南無妙法蓮華経そのもの」
のための故である。

この諸々の人びとも
諸々の覚者より非二元の法を聞いて
究極するところは全員が
その全体性の本質
仏智としての働きを得るのである。

舎利弗よ、現在の宇宙中の無量百千万億の
フラクタルな生命現象の本来の中の
完全覚者・救済者は
人間を利益し安楽にさせるところが多い。

この諸々の覚者もまた
無量無数の機転と様々な論理と
例え話とことばづかいとをもって
人間のために様々な非二元の法を演説している。

この非二元の法もすべて
「完全な空・南無妙法蓮華経そのもの」
のための故である。

この場にいる人びとも
覚者より非二元の法を聞いて
究極するところは全員が
その全体性の本質
仏智としての働きを得るのである。



[649] 肩こり腰痛 心身の不良不全

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 5日(土)03時51分26秒   通報   返信・引用   編集済

厚生省の調査によると
体の不調として
男性は「腰痛」、女性は「肩こり」
を訴えている方の割合が最も高い。

https://yo-tsu.org/data.html

これは凝り固まった思考概念による
ストレスの多い現代社会で

身体の凝り固まりの現象化として
無関係ではないと見ることが出来る。

社会機構にせよ
人間の身体にせよ

力技で無理矢理に治そうとすれば
その時は良くなったように思えても
後々よけいに酷くなったりする。

心身の不良不全の
悪化のスパイラルである。

痛気持ちいいマッサージは逆効果
http://bui.jp/medical/massage/6179
ためしてガッテン 五十肩の治し方 再放送動画
https://www.youtube.com/watch?v=bqhkF0zO9EY

悪化の仕組みは、改善を期待し
圧力を加えることによって
一次的に良くなったように思えても
その歪みから生まれたシワ寄せが
組織を覆っている膜(枠組み)を
硬直化させることで身動きが取れなくなる。

期待依存の力技は不良不全の元である。

ではどうすれば改善するのか?

支点に対して委ねる形の負荷下で収縮を
行って、柔軟性を回復する方法がある。

コリの緩消法として研究実践者がいる。

腰痛の原因と治し方・治療法
https://www.youtube.com/watch?v=zmj35dRZDrg
肩こりの原因と治し方・治療法
https://www.youtube.com/watch?v=B09p3r344nA
はじめのご挨拶 「腰痛・肩こり・関節痛など 治し方・治療法 無料動画
https://www.youtube.com/watch?v=RypfnUFvkrY

すぐにできる!肩こりを治す方法①
https://www.youtube.com/watch?v=0DPCLoyuGxo
すぐにできる!肩こりを治す方法②
https://www.youtube.com/watch?v=mWyHatZPPn0

緩消法 技術提供セミナー症状別「首痛」編
https://www.youtube.com/watch?v=5lXaUry7uls
緩消法 技術提供セミナー症状別「五十肩」編 (東京都)
https://www.youtube.com/watch?v=ogzTb_x1Kx4

坂戸孝志の9割の腰痛は自分で治せる 2012. 4.17 OA
https://www.youtube.com/watch?v=tEmPrvjfgpc
坂戸孝志の9割の腰痛は自分で治せる 2012. 5.15 OA
https://www.youtube.com/watch?v=KE76Tvw82bE
坂戸孝志の『9割の腰痛は自分で治せる』 20120918 OA
https://www.youtube.com/watch?v=jnC-xGtDRU4

心身の凝り固まりを減らし
生命活動の抵抗値を減らすのが

心身の不良不全の改善
自己機能の活性化につながる。

晴れ晴れと生き生きと
柔らかくあるために

気功のエネルギーを発生する
科学的にも実証される
有酸素運動が効果を発揮する。

コリをほぐすパターンではヨガ的な
ソーラーボディ5・5・5運動法がある。
http://ilchibrainyoga.com/trivia/

asfiのイルチブレインヨガ体験2: 5・5・5運動法、皿まわし体操
https://www.youtube.com/watch?v=z4sbq7lfGY8
ソーラーボディ5・5・5運動法2:つま先たたき
https://www.youtube.com/watch?v=b48uNBDFSAA
ソーラーボディ5・5・5運動法3:脳波振動
https://www.youtube.com/watch?v=gWmGV0xYka0

標準のアルベア法は
続けやすく効果が高い。

マインドフルネス=Mindfulness 瞑想、雑念に気付く、目覚め
https://www.youtube.com/watch?v=8yUiGDc61q4
瞑想と気功でストレス解消!立禅(心の準備)とスワイショウ(体の準備)で簡単「いきいき人生」
https://www.youtube.com/watch?v=G5Y2EogTOB8
ぷるぷる気功(ぷるぷる健康法)
https://www.youtube.com/watch?v=23Tvu1VdntQ
火の呼吸法
https://www.youtube.com/watch?v=U3Q6D3l-0iU
https://www.youtube.com/watch?v=CJJ8ZuKbrNQ
気功_リンパ液を流しツヤ肌に。スワイショウ、セイシュ、(前後式)
https://www.youtube.com/watch?v=DW34N_8O7nc



[648] チャクラと南無妙法蓮華経

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 2日(水)12時03分13秒   通報   返信・引用   編集済

信の一字により
開、示、悟、入する
わが身が仏身。

われわれの頭は妙であり、
喉は法であり、
胸は蓮であり、
胎は華であり、
足は経である。
すなわち、われわれの身体自体が
妙法蓮華経の当体。

http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1429507.html
御義口伝 方便品八箇の大事 第三 唯以一大事因縁の事
創価教学研究室(赤鬼のブログ)

http://www.3colorflags.net/sintyaku5/20090220.txt
池田先生の長編詩 わが勇気ある永遠の同志に贈る

~~妙法蓮華経は
宇宙の大法則である。
生命の大法則である。
御義口伝には仰せだ。
「我等が
 頭は妙なり
 喉は法なり
 胸は蓮なり
 胎は華なり
 足は経なり
 此の五尺の身
 妙法蓮華経の五字なり」~~

~~ケネディ大統領は語った。
「歴史は、
 人間が作るものである」
自分自身の歴史は
自分自身が創るものだ。
いかなる苦労も
いかなる苦難も
いかなる戦いも
いかなる怒涛も
自分自身に与えられた
希望であり
宿命であり
わが人生の教科書だ。
恐れなく
それらを乗り越え
勝ち越えゆく信念を
一段と持ちながら
努力の魂を磨いた人間が
勝利者となるのだ。
さらに
ケネディ大統領は言った。
「もしわれわれが
 つかの間でも休止するならば
 過去の業績に
 甘んじているならば
 進歩の歩調に
 さからうならば
 危険に陥るだろう。
 時と世界は
 じっとしていないからだ。
 変化は生命の法則である」
たしか
このような文言であったと
私は記憶する。
人生は過去に
囚われるものではない。
いな
囚われてはいけない。
ゆえに
青年よ
君たちよ!
未来を常に見つめて
歩むのだ!
戦うのだ!
断固として進むのだ!
宇宙の森羅万象は
たゆみなく動いている。
その一切を
より良く変化させていく
究極の力が妙法である。
そして
この大宇宙をも包みゆく
偉大なる生命力は
わが胸の中にあるのだ。~~

仏法で勝負することは
自己機能で勝負すること。

自我機能の囚われに勝つこと。

三昧、すなわち瞑想は
自己機能を開く方法である。

仏の完全な瞑想から
自発的に説かれたという形を
法華経はとっている。

<頭は妙>
第六チャクラ(サードアイ・ブラウチャクラ)
位置:眉間・両目の間わずか上
創造的才能が生まれる場所
自分の進むべき道をみつけ、世の中の真実を見る

法華経においても眉間から放たれる光によって
妙なる力が発現される場面がある。
神通力(サイキックエネルギー)
の発現に関わる。

<喉は法>
第五チャクラ(スロートチャクラ)
位置:のど
自分を表現し、他人を理解する
交渉、議論、教えることを学ぶ

関わり合いの世界の関わる力。
法を説く能力。波動の伝達。
声仏事として響かせるところ。

<胸は蓮>
第四チャクラ(ハートチャクラ)
位置:胸・心臓
他人と自分との信頼関係を確立し、恵みをわかちあう
愛情、あたたかさ、友情、親密さを活性化する

全てが受容されている愛。
本尊に最も関わる胸中。

<胎は華>
第三チャクラ(ソーラープレキサスチャクラ)
位置:みぞおち・胃の周辺
あるべき道に生きる意思と強さをもたらす
自分が自分の支配者になるための能力を開発する

神経が太陽のように放射状に開いている
太陽神経叢の位置。太陽であり華。
腹を据える意志の強さ。
ただひとえに思い切り不二の道を行く
四面楚歌の孤独にも動じない強さ。

<足は経>
第二チャクラ(セイクラルチャクラ)
位置:へその下指三本分のところにある丹田
人生を楽しむ情熱を生み出す
生きる喜びを経験するように促す

位置がずれていると思うかもしれないが
腹の底から思ったことは即行動になる。
つまり足であり即行動の力である。
思考からは遠い位置であり
無理矢理の思い込みには足取りが重い。
腹の底から納得すること
腹の底からの情熱で湧き立つこと。
そうでなければ歓喜であるはずがない。
歓喜の中の大歓喜は行動と同時である。

第七チャクラ(クラウンチャクラ)と
第一チャクラ(ルートチャクラ)に貫かれる
その在り方は南無に相当する。

その全体は宝塔の全体である。

http://www.winbell-7.com/roman/hisyo/ongi.html
~~「南無」とは梵語であって、これを漢語に訳せば「帰命」という。その帰命する対境、対象に「人」と「法」とがある。「人」とは、文底の釈尊即人本尊たる日蓮大聖人である。「法」とは末法の法華経であり、法本尊であるところの南無妙法蓮華経である。すなわち、人法一箇の大御本尊に帰命することが、真実の中の真実の帰命なのである。
また「帰」というのは、迹門不変真如の理(永久に不変である真実の法理)に帰するのである。「命」とは本門随縁真如の智(縁に随って、刻一刻と変化する事象に対応した幸福への生命活動で、一念三千の当体の生命の確立を意味し、仏界を涌現すること)に命(もとず)くことなのである。南無妙法蓮華経は、宇宙本源の絶対真理である。ゆえに、妙法を唱えることによって、宇宙の本源に合致できうるのである。したがって、不変真如の理に帰したことになる。そして、その偉大なる妙法の力が、わが生命活動に、生活の上に、顕現してくるのである。これ随縁真如の智に命(もとず)いたことになるわけである。結局、帰命とは、南無妙法蓮華経自体のことなのである。~~

<迹門不変真如の理に帰する>
第七チャクラ(クラウンチャクラ)
位置:頭頂
魂の成長と宇宙への絶対的信頼
神と宇宙の善をただちに経験させてくれる

完全との完全調和。依正不二。
空であり無であるところに還る了解。
悟達、解脱、宇宙即我。

<門随縁真如の智に命(もとず)く>
第一チャクラ(ルートチャクラ)
位置:尾てい骨・肛門と性器の間
確かな安心感と根本的な満足感を与える
自分の居場所をみつけられるようにする

仏の獅子座。絶対の座、絶対の場。
宇宙それ自体に座している。
フラクタル的に展開し
生命活動現象の種子であり
生命活動現象それ自体であり
次の生命活動現象の展開の場である。

南無によって不二となり
全てが南無妙法蓮華経の
五字七字となる。

一は全、全は一となる。

自己機能の活性化
チャクラの活性化が
南無妙法蓮華経の覚知として
了解される。

↓チャクラの概要の引用ページ
http://taking-a-stand.jp/chakra-2903



[647] 時間スケールと九識

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年11月 2日(水)03時44分30秒   通報   返信・引用

五識(眼・耳・鼻・舌・身体)
が直接的に対応するのは「今」
である。

が、これには
外界(依法)の今と
内界(正法)の今がある。

外界は共有されているリアリティ
内界は個別の夢や幻覚によるリアリティ。

五識(眼・耳・鼻・舌・身体)は
今を経験している自身。

六識(意識)は
人生の経験の自身。

生まれてから今までの
味わいの記憶。

客観的事実
騙されている嘘
錯覚
主観的真実
思い込みの歪み等が絡む。

経験の知識や技によって
相応の未来の予測が可能であるが

500年後には個別の肉体の六根は
継続していない。

肉体の消滅が自身の消滅である場合
自身に無関係の500年後を思う能力は
はなはだ無価値であり

500年後を思うことに有意義性が
見出せることは
肉体の消滅は根本的な
自身の消滅ではないと根っこで感じるから。

七識(末那識・まなしき)は
エネルギーの起こり
現象化した存在。

想像可能範囲の自身。

さて肉体の消滅は本当は何も消滅しない。

かの名作ゲーム
ファイナルファンタジー5では
ガラフが死ぬとき存在が点滅し、
そして忽然と消えたが

実際の人間では、そんなことにはならない。

個別の肉体を形成していた物質は
それぞれ循環の中で自然へと還っていき
また遺骨として残る。

化和合が解かれるだけである。

それぞれのエネルギーは
それぞれに循環し存在し続ける。

意識からの500年後の想像が
経験知識による論理的思考なのに対して

七識(末那識・まなしき)からの想像は
直感的インスピレーションである。

一般的には第六感と表現されるが
それは意識が末那識に気づく技術
意識の使い方だからである。

自身の各チャクラへのアクセスであり
それぞれのチャクラで特性がある。

http://chiyokyu.exblog.jp/7077910/
http://www.yasuragi-h.com/heaiing-towa2/index.html
http://theta-healing1.com/2015/02/
http://anego.hatenablog.jp/search?q=%E9%A6%96%EF%BC%91%EF%BC%90
http://spi-lab.com/first-chakra-683

真理の読解
可能性の確率
選択的確信
全体性の調和力
時空の直接的知見
等々

論理的想像の及ばない
論理的に隔絶した時空の突飛な
直感のイマジネーションに
全体性のリンクの現象化によって
真実としてのしるしの現れが
起こったりする。

八識(阿頼那識・あらやしき)は
それらがそのように起こっていること
それ自体の全部である自身。

善悪無記(善とも悪とも回答しない)とは
この起こりの源に対してである。

善く起こったと解釈するのも
悪く起こったと解釈するのも
解釈する側の都合である。

自由で至福だと解釈するのも
不自由で虚無的だと解釈するのも
解釈する側の都合である。

法華経如来寿量品の五百塵点劫の
思考も直感も届かないスケールの自身。

始まりを探しても始まりへ到達しない
終わりを探しても終わりへ到達しない

そのまま存在し続ける
変化する全て。

全くそのまま起こっている。

「これ」
ただの「これ」
「これ」が全部。

自分が存在していなく全部である自身。

九識(阿摩羅識・あまらしき)は
超越した完全。

「これ」という全部が無い完全。

「これ」以上の無限である究極。

無いのではなく在り
本当には無いのは「これ」

だからこそ
「これ」は実在であり

「これ」の中でしか
「これ」ですら無いものもない。

一個の凡夫として生きることが
全てでさえある。

向上することに意味のあることの
根拠である。

全てがそのための今ここへの慈悲だと
いうための全身全霊である。

一切が自身であり
不可能を可能にする自身である。

成し遂げることである。



[646] あるようで無い、無いようで有る。

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年11月 1日(火)15時02分56秒   通報   返信・引用

自分の死後、人類が向こう500年続くイメージが湧かない。
逆に500年後の世界も自分が存在してそう

このへんにもヒントがある気がします。





[645] 転回

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月31日(月)09時33分56秒   通報   返信・引用

自由ではないのだとしても
意志と名付けた
本来は空の働き。

起ころうとしていることが
起こるためにある
応答。

応答範囲の現象が
自身の生命現象。

事後の認識は
応答の質。

法華経の非二元は
己心の寿量品。

法華経をする
法華経の行者。

南無妙法蓮華経。

三世十方の仏(仏界)菩薩(九界)が
自身の生命現象(法)の宝塔に
向かい開かれる。

投げかけられたものに
応答が起こる。

自身が南無妙法蓮華経であれば
応答は妙法の光である。

この光に照らされたものは
本有になる。

本有は愛である。
照らすことは慈悲である。

この生命現象が
南無妙法蓮華経である。

己心の御本尊である。

全体の共有には
指し示す認識の質によって

互いに磨かれ高まる。

自我機能による認識を大きくすれば
誇大広告になり歪む。

自己機能による認識を大きくすれば
自然の内に湧き出でる。

文字曼荼羅本尊を拝する時

向かっていると同時に
向かわれている。

見ていると同時に
見られている。

そしてそれが

いついかなる時の
例えどんな何に対してもである。

同じが起こっている。

パラレルな宇宙の移行は
抵抗の有無によって
なるようになっている。

回転軸の選択によって
すり抜けて転回している。

自己機能による
素直で正直
ピュアな選択が

宇宙生命全ての輝きとなっていく。

それは全て
自身の生命現象だからである。



[644] パラドクス

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月30日(日)19時41分33秒   通報   返信・引用

非二元

自由意志は無い

この投稿も含めて

思考さえも

事後認識を自分の意志だと錯覚させられている

何も出来ないのに何をしようとしてるのでしょうか?



[643] 空っぽ

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月30日(日)12時32分34秒   通報   返信・引用

概念から体感へ。

そう口を酸っぱくして言っても
人間というものは体感とは何かを考え
その概念の中に移動しようとする。

移動は起きない。

必要なのは今まさに起こっている自身の生命現象で
不必要なのは今まで教えられてきて学んだ言葉である。

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n343016
jojon_folkさんの般若心経の超訳

そこには、あらゆる執着から離れ
最終的には”仏教の教義”からも離れなさい

それは名があるのみで実体が無い。

ということが浮かび上がっている。

人間は言葉によって定義することの出来る
そういうものだと思って色々を見ているけれど

それは色の名、指し示しだけであって
指された実体の本当は意図の無い空っぽである。

ただ意図の無い空っぽだけが
ことごとく色々の実体として存在しているのだ。

意図なき空っぽに概念を作ったのは人間で
概念で形成された人間の自我の抵抗が
意図なき空っぽの現象に苦しみを見ている。

いたってシンプルな解決策。

空っぽになってみれば空っぽが解る。
全ての学んだ言葉を忘れ執着をなくせば
空っぽになって苦しみが無くなる。

だが多くの人が試みようとするのは

空とは何なのかという概念
体感とは何なのかという概念

その張りぼての
言ってみれば
「マクドナルド ↑2km先」
という看板に到着しようとして

いつまでもハンバーガーにありつけず
空腹に苦しむようなことである。

空の悟りは自身から見て
0秒後0センチ先である。

空っぽの自身が空なのだ。

空である時に
十法界(世界の現象)が自身の心(智慧)
として開かれ
本来の完全な生命現象として蘇生される。

その本来の在り方が
南無妙法蓮華経である。

http://abetoshiro.ti-da.net/e9095818.html
リーラさんTAOの真人の記事

世界は己の鏡であり
抵抗と障壁と開かれることの関係が
すり抜けるという言葉を使って
説明されている。

何かの障壁にぶつかって
深く思い悩みふさぎ込んでいたが
何かのきっかけでふっきれて
今まで悩んでいたのが嘘のように軽くなり
結果にこだわらず取り組むことで
思わぬ良い結果を得る。

そういうストーリーが起こり得るなら
その本質は何なのかである。

無記というものがある。
http://tobifudo.jp/newmon/shugyo/muki.html

回答が無いという回答。
言葉による固定化された概念に
囚われたら得られない回答。

思考よりも内側にある空の了解は
言葉に囚われれば得られない体感。

戸田先生が仏とは生命と言ったのは
無量義経の34の非ずによってである。

明確に概念として回答されていない
空に対しての覚知である。

https://ja-jp.facebook.com/permalink.php?story_fbid=884780888248139&id=230003027059265&substory_index=0
~~まず最初にノンデュアリティ(非二元)そのものを説明する事はできないことをお断りしなければなりません。説明されたノンデュアリティは言語による概念であってノンデュアリティではないからです。~~

同じものである。

あえて違いを言うなら契機であり
その後の実践である。

無になる、空っぽになる。
それ以外の了解の方法を探そうとしても
それは無い。

了解の継承が成されなければ
それはただの
人間社会のエゴのシステムである。



[642] 宗教の生死

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月29日(土)15時36分45秒   通報   返信・引用

社会の不幸の原因が
誤った思想宗教であるとして

宗教を思想の上位に据えるならば

宗教は思想を健全化させるものでなければならない。

社会の不幸の原因だということは
誤った思想が悪しき社会機構の根源だとの論であるので
平和を願い実現するという主張があるのならば
およそ平和思想の顕在化がみられなければ
それは嘘である。

誤った思想で悪しき社会機構が生まれるのは
偏狭な独善による二元論によって
良心が麻痺し差別が黙認され
今ここではない歪んだ認識に囚われ
尊厳性が浪費され全体も自滅に向かう道
が生まれるということではないだろうか?

ゲルマン民族は善、ユダヤ人は悪
それを異常だと認識してなお

○○は善、××は悪という
二元論を使用していないだろうか?

二元論からの責めと
非二元からの責めが
一般には区別しがたい。

非二元性の体得によって
社会を健全化するのが本義の正法であり
生きた宗教と呼べるものである。

非二元に必要な空において
色即是空は分かっても
空即是色と言い直す理由がつかみづらかったりもする。

http://ameblo.jp/earthhealing2/entry-12197728007.html
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_note.php?writer=jojon_folk

地球ひろしさんのブログと
jojon_folkさんのYAHOO!知恵ノート。

jojon_folkさんの色即是空・空即是色について
の中で

菩薩はもともと菩薩という名前のある実態ではなく
そのような実体が無いからこそ菩薩と名付ける

といった内容がある。

この考えはアルベア論との整合性がある。
思考するような実体が無い右脳的体感と
実体が無い現象の理解のための左脳的思考の
働きの違いがある。

先日に書いた
神格、法、人格 あるいは
無我、現象、我。

創価学会として馴染みの言葉に置き換えるなら
仏とは生命なので
生命、南無妙法蓮華経、信の一字である。

jojon_folkさんの信への問いかけがある。(妙法蓮華経 信解品)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12146036222

法華経の智慧には
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6469
「その通りに聞く(如是我聞)」とは、「信心」です。「師弟」です。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6751
仏と同じ心に立とうということです。この姿勢、つまり信
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6893
本来、一体のものであるが、あえてわければ、「信から解へ」、そして解によってさらに信を強める「解から信へ」
http://sgi-shiteifuni.com/?p=7085

等々とある。

生きた宗教の対極に
死せる宗教を考える。
その上で「生」とは何かを考える。

仮の言葉の上の概念である。

意のままに動けることを仮に「生」と呼ぶ。

「死」は白骨化、形骸化への推移である。

血肉となって動く信者がいなくなり
形だけが残っているのは死んだ宗教である。

どれだけ生きているかは
どれだけ意のままであるかである。

しかしてその意は一握りの人間の意であるのならば
それは宗教として生きているのではない。

仏意、宇宙生命の意が
その個々人の中に生きてこそ
生きた宗教と呼べる。

一人の偉大な人間革命が
やがて社会全体を変革するエネルギーである。

形骸化したものに
すがることは法華経ではない。

生き生きと一人立つところに
法華経の実践がある。

今回jojon_folkさんを見つけたのは下記記事から。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11155155521



[641] 変化し続けることは変化しない

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月28日(金)10時10分5秒   通報   返信・引用

明確な決定的な答えが示されることが

必ずしも質問する時の
求めるべきものとも
求められるものとも
限らない。

現実的にも
男女間の相談の中身に
見出そうとするものに
差がみられる傾向がある。
http://woman.mynavi.jp/article/130616-022/

思考概念の明確な答えは
レッテル貼りでもある。

非二元や悟りに関する答えは
答えが有るという終わりも
答えが得られていないという始まりもなく

同時の体感なのだという
イメージによる言葉によってしか
説明という答えは用意されない。

言葉を体感・イメージとして
展開する力が非二元の智慧であり
関わり合いと実践の継続が
変化する今との調和である。

言葉を言葉として
受け取るだけでは
単一のレッテルへの
執着であり
そのバイアスが
生命の自然浄化を阻害する
謗法であるのである。

全ては変化するのが実相なので
進まざるは退転であるのだが

凝り固まった思考を継続して
変化の実相を無視して
これに執着することは
頑張るほどに進みが無い。

頑張らないということは
変化に対しての自然の
浄化作用
変化させる本質との不二である。

この実相の
変化しない瞬間が無い在り方自体が
進まない瞬間のない無作三身である。

変化し続けるということだけが
変化しない。

それの覚知である。



[640] 神格トライアングル

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月26日(水)07時28分56秒   通報   返信・引用

神格というものが
何に対応して神格と言うのかを考える。

そうすると
神格・法・人格という
トライアングルが浮かび上がる。

法とは現象化されるものであり
不幸と感じる現象も
幸福と感じる現象も
神格が起こしたものを
人格が感じている。

本来それは
神格と言い法と言い人格と言っても
一心に納まっているもので

信じて行うという時には

迫力ある物言わぬイメージ像に対して
自身の抱くイメージとの調和調整を行う。

無我・現象・我の関係性の体得が
本来の信仰なのである。

「教え」というものはことごとく
教えるものの我の志向性であり

無我に相対するための導入にすぎない。

愛・慈悲は
無我を先とした我の現れである。

子を愛する親が
自分の事よりも先に
子供の幸せを願うようなものである。

一心における
無我・現象・我のスケールの拡大が
奇跡を起こしていくのであり

そのスケールが境涯である。

「無我から見れば一切は平等」

これは思考概念ではなく

その体感が無我だということである。

無我に気づくための導入として
教えがあるのが本来である。

無我自体は一切に意味付けをせず
何も絶対化しないことによって
自身が絶対である。

つまり何かを絶対化すれば
そこに狂いが生じるのである。

思考概念により
パラドックスにならざるを得ない
現象化が続いているのである。

化儀・相対の世界である。

この世界に対しては
思考概念の実力差というものは
あるのである。

だが同じ土俵で思考概念で
勝負するのは本来の信仰からは
外れているのである。

一心に納まるトライアングルの
体感覚知が無ければ

声高に「絶対」を設定するほどに
疲弊するばかりなのである。

体感覚知の者であっても
言葉で伝えられることには
パラドックスの限界がある。

体感覚知すれば
同時に逆もまた真であることが
自然に了解される。

同時存在であることを覚知することが
智慧の門を開くということなのである。

腐敗をもたらす神格化とは

凡夫とは差別された
神格の絶対化であり
派生した教えの絶対化である。

それによって
無我と相対することが
否定されてしまうのである。

しかしこの負荷も
スケールの拡大には
不必要なわけではない。

最高のチャンスでもある。



[639] 力作へリンク

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月24日(月)02時18分21秒   通報   返信・引用

宿坊の掲示板より
Cleasky + 正義の師子同盟

「法華経の智慧」・日蓮大聖人こそが御本仏
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58642
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58643

「法華経の智慧」・日蓮大聖人は御本仏・菩薩仏・如来神力品
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58645

かなりの力作ですので
ここにも貼っておきます。

~~「法華経の智慧」に学ぶ・・終わりに

この「法華経の智慧から」の章には「十界本有」「久遠元初」「上行菩薩」等の難しそうな仏法用語が使われてい

る。また、「釈尊の悟り」や「事の一念三千」など、「法華経の智慧」ならではの本源の考え方が展開されている。

ともすると、手に取るのが躊躇されるのも当然かもしれない。

しかし、先生はこれらを「順を追って考えてみよう」「順序立てて考えていこう」と各概念を幾つかの要素に分解

し、対談形式で解説を加えながら、精緻に法理を説明されている。原書を読むと、<なるほど、そういうことだった

のか>と膝を打つこと請け合いである。

本資料における本章の要点を記すと、<釈尊の悟りの本質は『永遠の法』と『永遠の仏』であり、釈尊や三世諸仏も

この二つをその身に体現することで仏となった。滅後も同じくせよ><滅後の小乗経の諦めや大乗経の神格化された

仏による救済等の失敗を踏まえて、大聖人は『御本尊』を顕された><『久遠元初』とは『南無妙法蓮華経』の異名

であり、宇宙生命そのもの。南無妙法蓮華経と唱える我が身に久遠元初の仏の生命を涌現させる所縁が御本尊><久

遠以来、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経の本法を所持。故に、日蓮大聖人が『本因妙の教主』『末法の御本仏』>と考

える。

「法華経の智慧」は幾つかの言語でも出版されており、日本だけでなく海外のメンバーにも有益な研鑽教材だと思

う。本章は「御本尊観」「大聖人観」にフォーカスしているが、本来は「信仰観」「善悪論」「組織論」「境涯論」

等、二十一世紀の仏法と社会を指向する内容だと思う。今回の内容を契機として、「法華経の智慧」全体を通して、

真の学会教学と師弟不二の学会精神を共々に研鑽していけると嬉しい。


Clearsky~~



[638] 亜流瞑想~意識の使い方

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月24日(月)02時07分36秒   通報   返信・引用

私の中では
「依存」は非二元から離れる思考
「委ね」は非二元的な意識の使い方
のような感じがします。

でも、良い線だと思います。
それも含めて考えてみます。

それは次回以降にして
先に瞑想ですが

うとうとしている時に
落ちる夢、または落ちる感覚になって
ビクッとなって目が覚めた
なんて経験はありますかね?

自律訓練的な方法で
再現が可能なんですが
昔は出来ていたんだけど
今トライしてみたら出来なかったです。

まぁ落下感覚にまでなってしまったら
怖くなったりビクッとなったりして
瞑想・自己暗示状態が解けてしまうので
出来るのが良いのか?出来ないのが良いのか?

ともあれ、それが可能ということは
脱力感覚・浮遊感覚は
この方法で出来るということです。

1.明るすぎないところで仰向けに寝て目を閉じる。
2.下腹部の丹田に意識を向けて口から細く長く息を吐く。
3.鼻からゆっくりと息を吸う。
4.2~3を3回ほど繰り返す。
5.呼吸を落ち着け静かな呼吸にする。
6.呼吸をしているかしていないか分からないぐらいだけど苦しくはない状態にする。
(苦しくなったり、ドキドキとしている状態なら2からやり直す)
7.手や、そして身体全体の自然な重みや温かさを感じ味わう。

8.急なウォータースライダーなどの楽しい落下に近い実体験の身体感覚を思い起こす。

それで落下感覚の再現が
これは出来ても出来なくても良いけど

出来てしまって、そこで自律訓練法が解けてしまう場合は
次からは落下感覚にならない、
楽しいフワフワしたイメージに置き換える。

9.解除動作。手を握ったり開いたり、伸びをしたりする。

これが、弛緩・脱力・リラックスの方向。

それでは物足りないんだという場合
「今ここ」への意識の込め方の鍛錬法があります。

これは最近に自得したものです。

絶対に動かないものを動かそうと
力を込めるアイソメトリック筋トレ法
http://diet.netabon.com/exercise/bodyworkhow/isometric.html
なんてものがありますが

これを視覚でやります。

目を閉じるだけでは、いくらか
周りの光はまぶたを通り抜けて
見えていますので
さらに手で覆ったり
アイマスクなどの物で覆って光を遮断します。

この状態で、視覚に思いっきり意識を集中して
今ここに見えているものを見ます。
何らかの光的なものが見えるかもしれません。
本当にそれが今ここに見えているものなのか
自問自答し、さらに今ここの視覚に集中します。
明らかに想念が作ったビジュアルが見えた場合
それじゃない等と否定し、今ここを見ます。
ホワイトアウト感覚が分かる場合は
ホワイトアウト感覚をこの状態で使おうとします。
集中し終わったら
目を覆っているものを外し
少し慣らしてからゆっくり目を開きます。

これは見えざるものを見る集中です。
本当に必要な方だけやって下さい。

それでもまだ足りない方は

この習得の後
これはまったくおすすめはしませんが
逆の見えているものが消える
意識の使い方も出来ます。

少しの間接照明の薄暗い所で大きめの鏡を見るか
明るい所でも、大きめの自分の姿が映る
色のついた(形・立体はシャープに映るけど
色合いが損なわれるような)ものに自分を映し

意識と視覚の使い方の調整で
自分の鏡像を消します。

背景色とのトーンが近ければ
人の写真等でも出来ます。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51537396.html
↑こういう
意識して注目しないと
見えてこないものがあるという事は

注目を外せば
見えていたものが見えなくなる
ということです。

実際に自分の鏡像を消すと
「やだ、なにこれ、きもちわるい」
です(笑)

さて、夢ですが
非二元にしても九識論にしても
もちろん戸田先生の生命論にしても

意識は
深い所では繋がって一つになっている。

脳というものは
完全な主体性のものではなく
受信機であり
その認識、論理的思考の場であり
体験、意味付け、意味関連の
保存の場ではないだろうか?

http://baby-chiiku.com/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E/harts/
最新の研究でも
意識や心は解明しきれていない。

例えば、落下の夢でビクッとなって起きてしまうのは
実際に筋肉の弛緩が起きて
その浮遊感の信号によって作られた夢と思われ
脳だけが夢を作っているわけではないと思う。

寝ているという無意識状態であればこそ
自身の生命活動としての
繋がっている全体性の影響を
夢として構築するのかもしれない。

自分だけで自分があるという
自分は無いということ。

縁があって起きているだけ。



[637] 夢の不思議

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月23日(日)17時15分46秒   通報   返信・引用   編集済

以前、夢の中で御本尊様を破いたことをカミングアウトしたんですが、

その事でふと思いました、その夢の中で母親が激怒したのですが、そのあとテープで繋げればバレないと言い出したのです。私はその発想にビックリしたのを覚えてます。

でもでも、夢の中ですからその母親も母親の行動も私の脳みそが作ったんですよね、なんかおかしくないですか?
その夢に限らず、夢の中の登場人物から背景まで自分で作ってるんですよね、しかもその事に気付かずビックリしたり喜んだり悲しんだりと、かなりおめでたい事になってます。

凄い能力(^^;)

案外、今いる世界も似たようなモノなのかも知れないですね(・・?



[636] 依存

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月23日(日)14時06分17秒   通報   返信・引用   編集済

蘇生さんのあげられた神格化という言葉をみて最初に頭に浮かんだ言葉は”依存”または”ゆだね”です。

自分に欠陥があるんだと、本能的に思い込んでいる生物ゆえ、全知全能の対象物に依存したいという欲望から生まれるのではないでしょうか?

話は変わるのですが、布団の中でトライできる瞑想の方法でお勧めがあれば教えてください。マインドフルネス的な感じでも構いません。

今やってるのが自分の呼吸と肌の感覚、聞こえてくる音に集中する事です。目はつぶってます。
たまに体のどこかで脈が打ってるときはそこにも注意を向けてます。想念が浮かんだら「オイオイオイ」と脳みそに意識を向け「お静かに!!」と想念を断ち切ります。

しか~し、瞑想といえるものではないです。想念に気付くまでの早さはひと月前より各段にあがりましたが、それだけです。

俗に言う”瞑想”と呼べるような、無の境地や自我が薄らぐ精神を目指してます。

欲張りですみません(-_-;)



[635] 神格化とは何か?

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月23日(日)09時54分19秒   通報   返信・引用

差別各別
意味付け
意味関連
崇拝

意識とは何か?
神格化とは何か?

このあたり
考えてみたい。



[634] 順調

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月21日(金)10時10分55秒   通報   返信・引用

身なりさん
1ヶ月の成果としては
順調です。

探求の精度の向上が
了解の体感へと
転じていくのです。

他人の目を見た時の
それのように。

探求の終わりが悟りです。

探求し尽くせば
反転するのです。



[633] 1ヶ月

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月20日(木)20時06分34秒   通報   返信・引用   編集済

非二元というモノに取り組んでちょうど1ヶ月経ちました。

蘇生さんいろいろありがとうございます(^^)

思考観察は板についてきたかんじですが、精度が低いがします。精度がどうのと言ってる時点でズレてるんでしょうが、最近は自我の思いだからしょうがないと割り切ってます。

変化については、他人の目を見たときに変な気持ちになります。具体的に説明するのは難しいのですが、その人の気持ちになると言うかその人そのものになると言うか、
ちょっとヤバいのかなぁ~

近々マインドフルネスに取り組もうと思ってます。



[632] 認識って不思議ですね

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月20日(木)15時19分13秒   通報   返信・引用

鏡に「お前は誰だ」って
ゲシュタルト崩壊のあれですね
(^-^;

http://matome.naver.jp/odai/2133950768605438001

抑圧下で
片手落ちで無理に悟ろうとすると
あれなんで

プルプル運動を継続しながら
そういう見方もあるのかって
軽めに流す感じで

気が付いたらなってた
って感じが良いかもね。

その上で
信心の基礎があるっていう前提は
そういう経験と相まって
強いと思います。

外すべき思考も多いかもだけど。

繰り返しの中で磨かれる。



[631] 距離、速度、位置は相対的

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月20日(木)14時55分12秒   通報   返信・引用

例えば視覚のみの存在であれば
自分が移動しているのか
景色が向かってくるのか
判別がつかない。

歩くという経験を組み合わせて
自分が移動しているという
認識を作っている。

天動説が破られ
地動説が真実と言うが
日常的には
都合の良い天動説の体感で
生活している。

普段、地球の乗って
宇宙を旅しているという感覚は
希薄なのだ。

基準次第では歩かなくても
1日4万km移動している。

赤道付近での円周の
移動距離である。

その場合、昨日の自分とは
4万kmの移動を経た先に
いることになる。

それどころか、基準次第では
移動速度は光速を超える。

相対性理論の光速という限界は
相対的に距離が変化する速度であって
空間自体の速度は制限していない。

体感としての天動説を
基準にした場合
地軸を中心に全天という
相対距離の変化しない空間丸ごとは
1日1回転する。

1光年先にある星の移動距離は
1日で約6.28光年だ。

1光年先にある星が地球と同じように
1日1回転していて
基準をそこに設けた場合
1日で約6.28光年移動しているのは
こちらのほうだ。

自分の視覚を基準にすれば
1秒でくるりと1回転すれば
1光年先のものは
秒速で約6.28光年の移動だ。

重力や慣性系や加速度
また自分という認識を度外視して
視覚だけが経験しているのは
そういう世界なのだ。

移動距離はいくらでも大きくなることが出来る。
逆にいくらでも小さくなることも出来る。

真実への距離はそのようなもので
いくらでも遠回りすることが可能で
視点次第で距離を縮めることも可能だ。

頑張って何かを変化させて理想を実現しようという時
今の現実が理想から離れているという距離が発生している。

何のために努力するのかを突き詰めると

本当の自分はこんなんじゃない
という否定が発生していて

本当の自分を知りたいという欲求がある。

様々なものを得れば
理想の納得いく自分に
なれる気がしているが
何かが違うとも感じている。

自分なんていうものは
何もしなくても今ここの経験が自分なのだ。

何かをしようとして向かっていた主体性が
自分だと思っていたものが

経験が自分として向かってくるのだという
反転が起こる。

反転が起こるというが何も起こらない。

すでに今経験しているものが
それであるからだ。

始めから
必要なものが必要なだけ
必要な順に起こっている。

自身の生命現象以外の何ものも
経験してはいない。

全ての経験そのものが
自身であるからだ。

この全体性に
ハートの躍動を乗せる
意識の使い方を
抵抗値ゼロのエネルギーにする。

必要ならば
必要なだけ起こる。

変化は自ずからやってくるのだ。

呼吸、エネルギー
法のため人のため。

真実の言葉は真実になる。

必ず了解出来ます。



[630] 情報処理

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月20日(木)10時37分43秒   通報   返信・引用

たまに脳みそが情報処理できずに訳が分からなくなるときがありますよね。

そこまでいかなくても違和感をビンビンに感じることがあります。

私の場合はホームビテオの中の自分です。
誰だ!!??俺か!?2秒位したら状況を脳が組み立て理解します。コレって理解しているのではなく本当は自我の騙しにあってると思うのですがどうでしょう?

似たようなので録音された声や、昔の作文を目にした時なんかもそんな気分になります。

中学2年の頃は10分くらい鏡の中の自分に「お前は誰だ」と訪ねてたこともあります。その時は何やってんだと思いましたが、案外それが真実に近づいてたのかもしれないですね(^^)



[629] どうしても動いてますね

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月20日(木)09時39分37秒   通報   返信・引用

一歩も動いていない。

これは一瞥体験無しには得られない感覚のような気がします。

だって歩けば進みます。



[628] 仕組みは

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月19日(水)17時57分34秒   通報   返信・引用

「ここ」にいて

頑張らない(これ伝わりにくい)
でいると

全体性の中の働きが
勝手に起こる。

仏智に逆らわないでいると
申し合わせたように
なるようになる。

そんな感じです。



[627] 例えば口笛

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月19日(水)10時20分16秒   通報   返信・引用

例えば

声帯によらず
口内を笛のように使い
音を出す事に名前を付けたのが
「口笛」です。

同じように

思考概念によらず
意識を球のように使い
存在が在る事に名前を付けたのが
「悟り」です。

言葉だけで説明するのは難しいし
理解することと出来ることは違う。

出来たとしてそれを
どのように活用するかも違う。

法華経には
悟った後の事までがある。
その現実の中に活かす方法。

話は変わるが
たまに思い出す歌がある。

NHK教育番組 みんななかよし OP
https://www.youtube.com/watch?v=Wld4JKzJhio

だから何ってことはないのだけど。

口笛ふいて~空地へ行ったら~

悟りの切り口の一つとして
悟りって何? スティーブン・ノーキスト
https://resonanz360.com/2013/07/16/norquist-what-is-enlightenment/



[626] 参考参照の妙

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月19日(水)09時31分12秒   通報   返信・引用

飛翔さん

こんにちは

いつも動画やブログなど興味深いモノや、タイムリーなモノを紹介してくださるのには感心しています。

どんな仕組みになってるのでしょう?たまたまかな?



[625] 巡る秋

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月18日(火)01時19分23秒   通報   返信・引用

生かされている自然の巡り。
花は自らの美しさも香りも知らず
自ら誇ることはない。

無作の姿です。

息子さん元気に登校出来て何より。

ブログに返事書いた分ですが
URLリンクされないし
こちらにも転載しておきます。

http://blog.livedoor.jp/gogensanzin/archives/7424897.html#comments

区別するなら色々と区別があると思うけど
この記事は基本形ですから
「これしかない」の段階です。

まぁ「これ」も種類があって
ちょうど面白い記事を見つけていたので
貼ります。
http://abetoshiro.ti-da.net/e9054324.html

同じブログで
検索で最初に見つけた記事は
http://abetoshiro.ti-da.net/e8175856.html

アルベアさんが見られているという
意識を指南することがありますが
そういうことに関する記事です。

さて
「空」「無」というレベルは
主体的に何もすることの無い完全。

「真我」「ワンネス」といったレベルは
その無限性の中で有限性とルールの
始まりで観察し味わう。

個々のエネルギーの起こりの
現象化として無意識的な
「ハート」「自己機能」というレベルがある。

意識というものは
相互に互換しうるような特性があり
その使い方の習得が肝要。

「自我」「マインド」というレベルは
思考・概念。

般若心経には
空の輪郭がある。

法華経・一念三千には
意識の相互の互換がある。

悟り系も切り口は様々で
志向性がある。



[624] キンモクセイが香ってます。

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月17日(月)12時50分22秒   通報   返信・引用

今年もキンモクセイの季節がやってきました。

ちょっと遅い気がしました。

ある時からキンモクセイの匂いを鼻にすると、なんとも言えぬ気持ちになります。淋しいような虚しいような、理由は判りません

深層心理に何かあるのかもしれません。

今日は月曜日です。息子が珍しく朝から元気に登校しました。月曜日の朝はほとんど給食登校だったのですが、こちらも理由は判りません。

なんだかんだでみんな元気です。(^^)



[623] 形容詞16個で連想

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月16日(日)09時48分38秒   通報   返信・引用

いやはや、面白いね。

甘い+優しい>聖母
狡猾な+猛々しい>創価幹部

>>神格化の腐敗

うるさい+優しい>○○(個人名)
女々しい+楽しい>ずるずると

>>避けられないテーマ

高価な+軽い>太陽エネルギー
禍々しい+神々しい>異教・スピリチャル

>>生命の真源

突飛な+幸せな>光の世界
苦しい+強気な>過負荷の克服力

>>反転のエネルギー

次のふたつの言葉は
一番関心を持っている言葉
深層心理が表す自分の立ち位置

>>神格化の腐敗+
>>避けられないテーマ

>>>宗教枠の解除

>>生命の真源+
>>反転のエネルギー

>>>空の完全救済実践

なるほど。

そして最後は
>>>>全宇宙ステージアップ

もう、
笑ってしまいますね。



[622] 人生の課題

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月15日(土)01時10分40秒   通報   返信・引用

良い父親ですね。

何が上手く出来なくとも
そのまま愛してあげて下さい。
必ず解決します。

人生の課題が
息子を通して軽く出ているのです。
転重軽受なのです。
有難いことなのです。

息子との対話
妻との対話
自身の自己内対話
それぞれマインドマップ形式で
メモを取りながらしてみると
カウンセリングのような効果になるかもしれません。

http://blog.goo.ne.jp/inocch2007-/c/831fb0fed7e3b93ac31b3b1db036f7d1
http://p.booklog.jp/book/47987/page/1020145

また、自身を知る心理テストに
形容詞か形容動詞を16個書いて
2つずつセットで連想する言葉や文を書く。
そうやってできた8個の言葉を
同じように4個へまた2個へ
最後に1個になった言葉が
今あなたが一番大事だと思っていること
なんてのもあります。

http://ameblo.jp/sysmrm/entry-12137207795.html

これはマインドマップの逆順のような感じです。

自身を知り相手を知り
信頼できるもの同士として
言葉を伝え合う。

子供には子供の世界があり
大人には大人の世界がある。

でも南無妙法蓮華経です。

その過不足のないありのままの体感を主軸にして
コンプレックスによるブレズレのない目的を
明確にしていくならば

必ず全て解決します。

もしくは、解決も何も
すでに完全であったことに
気づきます。

意識の使い方の
飛翔の時です。



[621] 気づいてあげよう!!

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月14日(金)14時53分57秒   通報   返信・引用

息子が週の半分は朝から学校に行きません。

何をしてもダメです。妻が昼前まで説得しようやく車に乗り込みます。

息子は朝からネガティブな気持ちが湧いてくるようです。まだ小学校一年生なんですが湧いてくるそれは、かなり強烈に思います。

寄り添って少しでも気づいてあげれるよう心がけます。



[620] 気づきの実効力

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月14日(金)10時18分42秒   通報   返信・引用

気づいてあげる
気づかせてあげる。

普通に考えて
全く当然の円満の秘訣に
なりうるものであると思う。

「最近ウチの子の考えていることが分からないんです」
なんていうのは、円満な状態とは言えないんではないだろうか?

「思い込み」「信じ込み」「押し付け」には
気づきが無い。

気づきが無く自分の思いを先行させるから
言う事を聞いてくれなくなった子に対して
思い通りにならないことに苦しむ。

気づいて円満になればそこに苦しみは無いのに
変えられない方の起こり終わったことにばかり
注意を向けて執着し躍起になり苦しむ。

ありのままの自然さを否定し
不自然に自分の思いに現実を合わせようとするのだから
自然の自浄作用、蘇生力の恩恵にあやかれない。

ハッキリ言うと
そういった愚考信心に陥っている家庭の子供は
心を病んでいることが多い。

だからダメという論調は控えておく。
そういう選択であるし
気づくためのメッセージである。

気づきには実効力があり
実践をしなければ
気づきの質は向上しない。

サプライズというものがあるが

プレゼントをもらったら嬉しい
何かしてもらったら嬉しい

という事だけを大掛かりにして
温度差が広がってしまえば

一人で盛り上がっちゃって、何それ
である。

心を動かすのは、気づき思いやりではないだろうか。

貴方のこんな側面にも実は気づいていますよ
貴方のこんな本心にも実は応えようとしていますよ

というメッセージであって感動につながるのではないか。

そうやって思いが届くなら
そうやって思いがつながるのなら

いじけて自暴自棄になっていたものが
自然と活力が湧いてくるような
そういう効果があるのではないかと思う。

さて、そういった気づきが
もたらしてくれる円満というものは
身近な人間関係に限ったことではない。

例えば人類の恒久的な発展のためには
地球環境に耳を澄まし、その声に気づくことで
良質な自然との調和に向かうことができる。

そういったことを無視し続ければ自滅である。

究極は一念三千、南無妙法蓮華経への気づきである。
宇宙生命そのものである。

気づくべき対象として顕れてくれているものだから
そこには気づくことの可能なメッセージがあるのだ。

現行の創価執行部は、気づきが少なすぎる。
もしくは無い。
思い込ませ信じ込ませに走っている。

しかし嫌でも気づかなければ取り残され自滅する。

都知事が女性となり
アメリカの大統領も女性となる可能性が高い。

日本はアメリカ追従型であるし
様々な機構が見直しを余儀なくされるかもしれない。

戸田先生はマッカーサーを梵天と見たが
日本にとってアメリカの行いは梵天の
働きとなることがあるようである。

この現象化のメッセージに
気づけるのか取り残されるのか。

いよいよもって「女性会長誕生を」
と声を大にして言う時である。



[619] 気づき方の飛翔

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月13日(木)01時14分45秒   通報   返信・引用

ブラックホールという概念を
人類が発見したのはここ100年ぐらい?
それまでは夜空にひっくるめられて
特別な分離した存在ではなかった。
しかし探求し相対性理論に気づけば
導かれる答えであることは必然で
光速の探求を突き詰めれば
相対性理論に気づくのも必然で
それは自動的で決まっていた。
幻想として気づくなら幻想であるし
事実として気づくなら事実である。

映画を見ているように
どうなるかは決まっているけど
見るまでは知らないので
見て知って感動する。

分からない知らない時こそ分離がない。

分離が不幸を生むのだとしたら
分かった→それがどうした→どうでもいい
と非分離に帰ることで不幸は生まれない。

気づく瞬間の感動だけを味わっていれば
感動的な人生である。

イメージや
フィーリングや
インスピレーションは

いつ湧くのか?

縁にふれ気づいた時である

その瞬間の今である

自分を自分だと認識しているのは
それである

五感と意識の六根によって
縁にふれたその瞬間瞬間に

私が始まり

その特定の私は
その瞬間に終わる

今気づかれうるすべては
気づきうる今という意識に向かって

ただある

何かの意図としてではなく
ただ気づかれた時に
気づかれたままに
気づかれる

何にどう気づくかは
気づく側の選択である

気づけるという時点で
本来は完全で完結している

気づくという経験こそ
本来の存在が
味わいたかったことなのだ

気づいたよ
それはあるよ

それだけでいい

間違いなんて無い

オリジナルでいい

存在からしてみれば
こんな気づき方もあるんだね

と味わうだけである

全ての気づき方は受け入れられているし
気づき方を受け入れているのは

他ならぬ自分自身である

気づき方を学び
さらなる気づき方へと飛翔する

ただ気づいていくだけでいい

それは無と無限との存在
永遠性への蘇生であり

気づき方こそ
感動と奇跡の創造である

http://blog.livedoor.jp/gogensanzin/archives/8090425.html



[618] ブラックホールもまた幻?

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月12日(水)17時29分8秒   通報   返信・引用

ブラックホールもまた自我が造り上げたストーリーの一部でしょうか?

不思議ですね~



[617] 光速の境界面

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月12日(水)10時14分48秒   通報   返信・引用

3次元の世界
あるいは時空という4次元の中に
分厚さのない2次元があったら
それに気づくことが出来るかどうか?

最初、小学生の頃に考えていたのは
それは分厚さのないものなんて
3次元以上の空間に
現れえない、影響しえない
気づくことは出来ないと思っていた。

しかし、今あらためて考えると
境界面として2次元は存在している。

一つ完全な境界面は
ブラックホールの表面。

重力からの脱出速度が
光速を超える境界だ。

重力からの脱出速度というのがあるのは

重力から解放されるための速度=
与えられた加速運動のエネルギー-
無限遠を基準とした重力に引っ張られる位置エネルギー

位置エネルギーに対して
無限遠でも損なわれない十分な運動エネルギー
がある場合に、その重力圏から飛び出すことが出来る。
地球からの脱出速度は秒速約11km。

ざっくりそんな計算になる。

重力とはその方向に常に加速度が働いているという事でもある。

参照:〔NHK白熱教室〕宇宙白熱教室 第3回
https://www.youtube.com/watch?v=2nXV7em06eY

脱出速度が光速を超えるブラックホールの表面は
光速はマクロ的にこの宇宙の限界の速度なので
あらゆるものはその境界からは脱出できない。

よって、光速を限界とするマクロの観測方法では
その境界の先を直接観測することは出来ず
「理」のみが存在する。

一方の観測できる宇宙を観測した結果は
起こったという事実であり
推論を交えない事実そのものは
「事」のみの存在である。

光速と時間と空間との間には密接な関係がある。
時間の流れというものの最先端の今という瞬間は
光速に達した自由落下、あるいは飛翔のようでもあり
自らの飛跡に現れた波を見ているのかもしれない。

さて、観測点という概念があるが
点として捉えると場所として固定され
その他の性質が損なわれるのではないだろうか。

不確定性原理により
位置を固定すると運動量の情報が得られない。

本来、起きて寝て
生きて死んで
それにもかかわらず無始無終の永遠なら
「今」の在り方は点という固定されたものではない。

ただ「理」と「事」の境界である。

それがただあるだけ。

思い切って身を投じるという事を
清水の舞台から飛び降りると表現するが

江戸時代には年平均1.6人ほどの人が
実際に飛び降りていたそうである。

江戸時代の1694年から1864年のうち、
欠落部を除く148年分の記録があり

未然に引き留められたものを含めて234件の
記録が残っている。

これは自殺ではなく、厚い信仰心からの観音様に願いを
かなえてもらうための願行として行われたようで
願には、「親の病気回復」「自分の病気の回復」などがあった
という話だ。

当時、木々が茂り地面が柔らかかったこともあり
生存率は85.4%、死亡率は14.6%と
意外と多くの人が、助かっている。

それでも34人の方が亡くなったという記録です。

http://kazenotabi-kyoto.com/wonders/kiyomizunobutai.html
http://style.nikkei.com/article/DGXNASIH1300D_U3A111C1AA1P00

創価学会初代会長牧口先生は
「真実がどのようなものであれ
我々の実生活には直接関係がない」と

真善美の価値観を破り
美利善の価値観を打ち立てました。

最終的に自我がゼロではなくて
ただある中で
「最小限の自我」と共に
「最大の価値」を創造すれば良いのだと思います。

何を見てどう感じるのも
結局のところ全て
自身の生命現象である
というのも寿量品の五眼三身です。

今しかない今に
どれだけ気づいてあげられるか?
周りを見渡すのも
自身を見ていることと同じです。

こちらに起こることは
あちらにも起こる。

同じだからです。



[616] 観察してる私

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月11日(火)20時24分12秒   通報   返信・引用

観察している私も自我に捕まってる気がするんです。

光速で逃げ込もうとするのですが、寸前で自我に捕まるんです。逃げ切ったと思っても意識した瞬間捕まるんです。

自我が自我を観察し自我がうなだれてます。



[615] 認識ぐるぐる

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月 9日(日)09時19分14秒   通報   返信・引用

自動的・分離・私とは何か?
ぐるぐるしますね。

>時間という感覚が無くなる、自我は無い、これらは脳みそで考えても理解できるし体感出来そうな気もする。

その必要もある。
それによってしか
それを認識できないが
それは個人の志向性になる。

考えてみよう。

私という意識は常に観察する側であり
それは今にしかない。

観察された対象は
すでに起こった後であり
事実は変えることは出来ないが
認識は変えることが出来る。

認識を変えるというのは
今まで思い込んでいた認識を捨て
新しく気づいた認識と入れ替える
という新陳代謝である。

認識の対象は過去の事実
あるいは未来への憶測であるが
認識の内容が変わるのは
観察して気づいて
変えたその時である。

認識・認知パターンの変化の
ビフォーアフターは
対象化して観察し認識することが出来る。

自分の過去の出来事や
それに対する認識
また未来に対する思考や認識も
対象化し観察することが出来る
ということだ。

そうして自分を対象化している時
その対象化された自分と
観察している側の私と
意識はどちらに所属しているかを考えると
観察している側の私である。

対象化することのない
観察している私という瞬間
そのものを観察できるかどうか?

それを考えると
光速の法則に似ている。

観察している私という瞬間
は質量のない光速そのもので
認識という質量をもった時点で
光速に至るには無限のエネルギーが
必要となり不可能となる。

認識がないという瞬間においてのみ
観察している私と自分とは同一である。

その同一の自分には
一切の認識が無いのであるから
一切の概念は存在せず
あらゆる概念の否定形によってしか
表現することが出来ない。

それが絶対的価値の
根源の生命活動である。

しかし人間というものは
何に価値を置いて信じるかという時
どうしても認識の量に頼りたくなる。

知識・お金・人脈・過去の努力・未来の展望・
先人の積み上げたもの・対象化された神仏。

それらにも相対的に耐性はあるが
それ以上のエネルギーの現象の前には
崩落し、破綻する。

価値観の相対的な認識の量は
崩落・破綻の危険性の量であり
絶対的な価値に対してのズレなのである。

このズレは本質的に未来への不安であり
全てを崩落し破綻させる死は
最も恐ろしいものとして映る。
しかし、この相対的世界において
人間は必ず死ぬ。

相対的な価値観の生に
ジタバタとしがみつく様は哀れである。

その恐れの心は
認知の歪みを引き起こし
言い訳・自己正当化の常態化を起こす。

自身の中に表と裏、光と影を分離し
正直者はバカを見る世界に生きる。

一定の耐性のある相対的な
理想の価値感を設定しながらも
それは建前で馬鹿正直に貫くことはないと
相対的な価値からさえもブレる。

自分可愛さから自分自身の価値を下げ続ける。

だってしょうがないよねと
傷を舐めあい徒党を組む。

徒党が組まれると図に乗る。

この徒党の人びとは
恩を知らず恥を知らない。

最初のわずかなズレやブレが
知らず知らずのうちに
もはや善かれと思ってやることも
やることなすこと悪道となる。

「悪積れば地獄となる.善積れば仏となる」
「大悪起これば大善来る」

崩落・破綻は
次なる大善への新陳代謝でもある。

対象化され観察される縁は、ふれた後には
自動的に起こった後であり
その事実は変えることは出来ない。

それは本質は平等である。
根源を言えば全ては
南無妙法蓮華経である。

自覚的に幸・不幸を決めているのは
自身の認識・認知パターン
観察の心の姿勢という因である。

これは変えることが出来る。

恩を観察し、正直に反省し
作り上げ思い込んでいた
自分を特別視することを崩落させ
恩に報いていく生き方に転換する。

自分はどこまでいっても
反省すべきことの多い凡夫である。
悪い所があるから善くなれる。

真に人間らしく生きようとすることの
究極が人間革命である。

それを可能にするための転換点が
人間を越えている存在と同一の
観察している側の絶対的な私である。

ゆえに即、この出発点の人間革命は
全体性に対して有効なのである。

概念の存在しない世界において
時間の流れや空間の在り方は
マクロでみる定まった方向性でなく
量子論でみるパラレルな実存である。

これは光速に先回りした
選択を可能とする。

仏法が量子論にも通じることは
広く認識されているが
それは自身で自得するしか
確認・実用の方法がない。

発迹顕本しかない。

http://www.ningenkakumei.com/%E6%97%A5%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA%E5%88%A5/%E7%99%BA%E8%BF%B9%E9%A1%95%E6%9C%AC/

作り上げ思い込んでいた
自分を特別視することが
崩落することは
それまでの自分が死ぬことでもある。

『日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて』である。

また
認識・認知パターンによる選択が
難を乗り越え未来を拓く力であることは
エジソンの火事のエピソードに関する
スピーチが思い起こされる。

http://newfnet.blog62.fc2.com/blog-entry-796.html
http://jounin.web.fc2.com/sugawara2005/speech.htm

アルベア論が他の非二元より一歩踏み込んでいるのは
どの自動が、何から起こった自動なのかの区別を
明確に見極める点である。

それによって、実際の救済の現象を確かに把握している点である。

そこへ至る方法論がしっかりある点である。

実践して確かめていくしかない。



[614] 分離してますよね

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月 8日(土)19時46分13秒   通報   返信・引用

時間という感覚が無くなる、自我は無い、これらは脳みそで考えても理解できるし体感出来そうな気もする。

分離なんてしていない。
非二元を体感した方が漏れなく口にしますが、分離してますよね。分離感が無くなったとき人間で留まる自信が無いです。



[613] 最近の考え方

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年10月 8日(土)12時59分2秒   通報   返信・引用

地球規模で、石ころから土地や動物、人にいたるまで所有者はいない。

人間の言動でさえも、雨が降るのと同じく自然現象である。

幼少期こんな事をよく考えていたことを思いだします。

この考え方は、どうすることも出来ないと言う無力感に襲われるので注意が必要ですね。

この考え方をしてるのは、まさしく自我であり、その自我さえも自然現象であると、本当の”私”が体感的に客観視出来るとき、受容出来るのかもしれないですね。



[612] 信行学

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2016年10月 8日(土)11時15分12秒   通報   返信・引用

学ぶという事は
真実に気づくために
気づく方向・方法を学ぶのです。

それは
行動・実践によってのみ
気づけるのです。

その時になって初めて
「あぁ、このことだったんだ」
と心から納得し
信じることが出来るのです。

それをしていくと
気づいているものを
信じて実践していると
これは何だろうと思って調べると
あぁそうそう、これだよね
という学びになる。

人の在り方
人の振る舞いである。

「人間のための宗教」
でなければ価値はない。

教義の解釈の絶対化と
職業宗教家の権威化と
過去の指導者の神格化は

「宗教のための人間」
という構造である。

思考に囚われ
「正しいこと」を知ろうとする反面
「間違ったもの」を見つけ出し
「それは間違っている」と強調する。

間違っているものに向かい
「間違っているよ」と唱える実践の
信心になっている。

間違っちゃいけないと
汲々としながら
どんどんズレてブレて
間違っていく。

一瞬一瞬の選択の全てが
実は信心であり
信心の実践であり

十界は互いに具わっているのだから
向き合っているものは
自分にも具わっているのだ。

それに向かって
「間違っているよ」と言っても

自分自身に
それは返ってくるのである。

同じ言葉でも
姿勢によって違う。

言葉に囚われてはいけない。

真実の実践の上で
開くために出た言葉が
真実の言葉なのだ。

これは人間の働き
宇宙のシステム
生命の活動なのである。

全ては南無妙法蓮華経である。
南無妙法蓮華経に向かって
南無妙法蓮華経と唱えるのが
日蓮仏法なのである。


レンタル掲示板
803件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。

お知らせ · よくある質問(FAQ) · お問合せ窓口 · teacup.レンタル掲示板

© GMO Media, Inc.