いまさら やめては だめなのだ

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カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


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[441] Re: 6・4の生命現象世界

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 6月 6日(月)07時16分55秒   通報   返信・引用 > No.440[元記事へ]

> 午後の懇談会は
>
> 生命現象としての
> 現状の3名の世界でした。
>
> 「満席」の陣容を受け入れようとする世界。
> 「ぎゅうぎゅう詰め」の思考の一本化の模索の世界。
>
> 産みの苦しみのヘッドバット。
>
> 「なるようになる」ことを
> 信じていてあげよう。
>

革命こそ蘇生さんの文章表現で参加していなくてもその場の様子や状態が伝わってきました。

ありがとうございました。<(_ _)>




[440] 6・4の生命現象世界

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 5日(日)09時32分20秒   通報   返信・引用

午前の部は

滝川光子さんの生命の戦いの世界と
小林節さんの信念と行動と覚悟の世界

に引き上げられていましたね。

午後の懇談会は

生命現象としての
現状の3名の世界でした。

「満席」の陣容を受け入れようとする世界。
「ぎゅうぎゅう詰め」の思考の一本化の模索の世界。

産みの苦しみのヘッドバット。

「なるようになる」ことを
信じていてあげよう。

すごい人材が集っているのだし。

苦しみが大きい分
反転した時の力も大きいのですよ。

腐らないでいることが
宝なのです。



[439] 6・4集会

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 6月 4日(土)22時51分37秒   通報   返信・引用

私も友人と共に参加しました。
前回に比べて女性の参加が多くなっていたので心強く思いました。
懇談会には出ていないので参加された方は内容の書き込みお願いします。
小林節教授はなかなか面白い方でした。日蓮大聖人と池田先生を尊敬されてると何度も語ってました。
なんかそう言っていただいて気分良くして帰ってきました。



[438] 依法不依人、異体同心の団結 と言っても、その中心は、心のずっと奥の方の「それ」と何か違うか?? 三千の不二の世界の中心の一念を味わうのだ

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 3日(金)09時17分51秒   通報   返信・引用

総勘文抄について4/5  投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2016年 4月 8日(金)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43564
~~私たちの立場で言えば、池田先生は自身がどんな境遇(辞任)になろうとも、
ただひたすらに私たちの幸福を願い、各々の生命に仏界を開かせるために、

障魔を吹き払い、死力を尽くして言葉を発し続け「生命の本当の姿とは何か」を世界に向かって説き続けました。

悪とは何か、善とは何か、賢人聖人とは何か、愚者とは何か、何と戦うのか、何と団結するのか、
広布を阻むものとは何か、権威主義とは何か、生命尊厳とは何か、人間主義とは――等々、先生の指導は膨大です。

しかし、先生も八十八歳の高齢になりました。

今度は先生に代わって、私たち弟子が
先生の発した言葉を自身の胸中に鳴り響かせて進めば良いと思うし、御書と先生の指導を中心にして団結し、
自身の言葉で、自身の責任で、自身の個性で、自身の表現で、桜梅桃李の如く自分らしく言葉を発信していけば良いと思う。

私たちは誰かの兵隊でもなければ、奴隷でもない。

先生の弟子同士、共感できるところは共に協力し、共感できないことはやらない。
正しいと思うことは正しいと言い、悪いことは悪いと言う。そこに役職や立場は当然ですが関係ありません。

一人の人間として先生の言葉を心の中心に置いて堂々と進めば良いと思う。

信心する目的は、人間(境涯)革命すること、つまり成仏することなのですから地位や名誉など関係ないのです。

話をもどします。
「凡夫は自身の心に迷ってそれを知らずに悟らないのである」(同頁)

凡夫である私たちも仏と同じく、仏道修行をすれば仏が悟った境涯を享受できると言っているのに、
それが分からず、我が心に迷い、我が生命に仏界があることを知らず、それを悟ろうともしないと仰せです。

そもそも凡夫と仏の違いはどこにあるのかというと、自らの心の本性を知っているか、それとも知らずに迷っているか、だけなのです。

(中略)

学会員であるとか、ないとかは関係なく、人権を蹂躙する輩とはどんな形であれ、人権闘争をするべきです。

現代においてその先頭に立って戦ったのが
ヒンズゥー教徒のガンジーであり、キリスト教の牧師であるマーチンルーサーキングであり、仏教徒の池田先生だと考えます。~~

総勘文抄について5/5  投稿者:大仏のグリグリのとこ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43565
~~一切衆生には仏と同じく、
幸福になる因、不幸になる因、賢者になる因、愚者になる因、善人になる因、悪人になる因――等々、さまざまな可能性を秘めています。

結果として「幸・不幸」「賢者・愚者」「善人・悪人」になる道理は「縁」によって決まります。

具体的に言うと、幸福になる「因」は具わっていても幸福になる「善縁」がなければ、幸福という結果は出ません。
反対に、悪人になる「因」はあるけど「悪縁」がなければ、結果として悪人にはなりません。

つまり、心が善悪の縁にあって善悪の法(物事・現象)を作り出しているのです。

これを悟り、知っていくことが信心の目的であり、仏道修行の要だと考えます。

本文中には「心の一法より国土世間も出来する事なり」(同頁)とあります。

個々人の心の一法から出てきた形や物事の集大成が国土世間なのだという意味です。

そう考えていくと、仏の出世の本懐は、悪縁の撲滅と善縁の拡大と団結にあると思うのです。~~

新しい道  投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48084
~~本日(6月1日付)の聖教新聞 「コスタリカ元大統領アリアス博士の講演」より

「皆さんは、問題に満ちた、この惑星を受け継ぎました。しかし、皆さんは、父母や祖父母の世代が思い付きもしなかったような解決法を見いだす可能性にも満ちています。皆さん方が、私たちに新たな道を指し示すのです。示してください。国々を分断する境界にとらわれず、どう世界を見つめるのかを。人類の苦しみを緩和するために、何ができるのかを。人類の命運を変えるのは、もはや限られた人たちだけではないことを。身を粉にしてより良い世界を築きゆく方法を。声を上げるのです。たとえ周囲に何を言われようとも。平和のために。尊厳のために。」

:::::::
上記の言葉を学会内に置き換えると

・個々のイデオロギー(本尊観や政治信条など)にとらわれず、どのように団結していくか
・会員の苦しみを緩和するために、何ができるか
・学会の組織を変えるのは、限られた人たち(職員や幹部)だけではない
・身を粉にしてより良い学会を築きゆく方法

この四つの視点で考えていくことが大切である。いまだかつて、発想すらしなかった柔軟な思考で、新しい道を示すことが出来るか否か。ここに創価学会の未来がある。新しい道を示すためには、世界の英知を結集させる必要があります。それが宿坊の掲示板の完成形態でしょう。54年問題と向き合う先に、創価学会の新しい道がある。~~

「法華経の非二元」 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/503
~~5-日蓮系では
「即身成仏」「加持祈祷」による「民衆救済」が主たるものであり「悟り」につ
いてはあまり語られていない。題目を唱える唱題行による実践を説いている。
6-創価系では、二代会長の「獄中体験」悟達を原点に民衆救済の行動化を展開
している。日蓮系で唯一「身口意の三業」で法華経、日蓮大聖人の御書を読むと
いうことが「悟達」に通じる、その要が「師弟不二」であると説いている。この
ようなことから、創価系の悟り現象を「獄中体験」「悟達」と呼ぶことにする。
7-「法華経の非二元」とは、池田先生の「法華経の智慧」を基に「法のため」
「民衆救済のため」の「体感覚知」、すなわち「悟り」現象を言う。戸田先生の
「獄中体験」をベースにした仏法の生命論であり、生命現象論である。
「法華経の非二元」は仏法の生命論であり、それは個人による「体感・体験する
」生命現象によってのみ「民衆救済」がなされることを意味している。
なぜ創価系と区別するのか、いわゆる教団教学・教義では「生命現象」が膠着化
したものとなり「獄中体験者」「悟達者」が戸田先生・池田先生以後、誰一人出
現していないとう現実から区別しているのである。
それは「相対的現象・現実の」世界にあるからである。相対的世界観では「革命
」「変革」ということが主になる「獄中体験」の在り様は「変革」「革命」では
なく、個人の「超克」「飛翔」という現象なのである。その「超克」「飛翔」体
験が「変革」「革命」という集団現象へとシフトしていくのである。個人におけ
る「人間革命」とは
個人の「超克」「飛翔」という体感覚知があって、他者への働き作用として現象
化していくことによりもたらされている現象であると言える。あくまでも「個人
の生命変革」であり、「超克」「飛翔」である。このことを「法華経の非二元」
と呼ぶのである。~~

「『技』は編み出すもの」 投稿者:アルベア 投稿日:2016年 6月 3日(金)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/510
~~★牧口先生は「『教育方法』は『医術』と同じように『技術』とならなければいけ
ない」と述べている。いわゆる職人の技(わざ)武道の技と同じように「技化」
(わざか)することを提示している。
「創価教育」といっても厳密には「技化」はされていない。創価出身の人間を見
ればわかること。ただ「創価高校」「創価大学」を卒業したということであり、
「技化」を教える教員もいない。一般の大学となんら変わらない。

★「不可能を可能にする闘い」とは、
師弟の関係で育まれた「技」によるものなのだ。

★「技」は「智慧」である。知的な理解ではない。生命感覚による体感知である。
真剣が「技」となる、「技」が「活」となる、「活」が「人」となる~~

2015年6月1日投稿文の再掲 投稿者:ルミナリエ 投稿日:2016年 6月 1日(水)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/505
~~その行動には2つあります。1つは「不二の体感・体験をすること」「獄中体験」をする
こと。信濃町の人びとさんの悟達体験です。 2つは、今の意識から「池田先生の名代」として
の意識として「振る舞うこと」です。2つの行動はまた、創価学会・SGIの責任を背負うとい
うことでもあります。智慧がもたらされます。
大丈夫です。信濃町の人びとさんにも悟達体感・体験はもたらされます。「法華経の智慧」第1
巻に書かれている「戸田先生と同じように切実に取り組むこと」によりもたらされます。~~

「体感・体験」2  投稿者:アルベア 投稿日:2016年 2月 4日(木)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/151
~~★「体感・体験」で一番わかりやすい実例は「味わう事」である。日本の文化には
「味わう」ことが育まれてきている。茶道・華道・香堂等は「味わう」また日本
庭園等は花鳥風月を表現したものだった。このような「味わう文化」は仏教の影
響を受けている。「自然を味わう」「自然により生かされている」という文化が
根付いていると言える。「悟り」という現象も「味わい」の世界である。

★「味わい」は「体感・体験」の世界である。「歩く」・「走る」事は「自己機能
」である。
私はよく「迷ったら、歩け」「悩んだら、走れ」と言っている。動く事により意
識が変化するからである。このようなことは武道の稽古や職人が生活の中で気づ
いた智慧である。「やれば」智慧が出てくる。身体機能・身体感覚は意識の新陳
代謝となるのだ。行者や修験道等の過程に必ず「歩く」「走る」が組み込まれて
いる。
「体感・体験」する事実、その効用を現代人は無視または排除している。ここに
近代文明のパラドックスがある。「自己機能」の衰退である。心身の不適応者の
多くに見られる共通した姿である。
「自己機能」の活性化は「味わい」を深め「自然治癒力」の活性化をもたらす。~~



[437] 心のずっと奥のほう・・・

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 6月 2日(木)09時34分44秒   通報   返信・引用

生まれたまんまに感じていた世界
生き方を教えてもらったのはありがたいけれど

違ってた、夢の見方を学んだだけだった
全部のメッセージを勘違いしていたんだ

大丈夫、大丈夫
みんな強くなれるから

大丈夫、大丈夫
みんな同じ

何を手放しても
無くならないものこそが大切なんだ

ただ胸の奥に、
始まりのずっと前から持っているもの

勇気を出して
最後の苦しさを感じている自分を大切にしてあげるんだ

人には人を救ってあげることは出来ない
みんな同じ自分しかいないんだ

小さい頃にはまだ感じていた世界
ずっと止まっていた時間を動かしてあげよう

始まりは、いつもここにあったんだ
さぁ、世界から新しいメッセージを受け取ろう

自分が何者だったのか知る事になる
与える人に今なるために

あの人と同じに
君もなれるんだよ

https://www.youtube.com/watch?v=N-uCT3jGEMs
やさしさに包まれたなら - 荒井由実(松任谷由実)

https://www.youtube.com/watch?v=xQJog0rs7Eg
ナターシャ・グジー Nataliya Gudziy - Itsumo Nando Demo (Always With Me)
宿坊の掲示板で生涯広布様が紹介していた、チェルノブイリ出身の歌手の「いつも何度でも」

https://www.youtube.com/watch?v=HOXXDj4OzDI
情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS(Cover)



[436] 幸せはシンプル

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月31日(火)03時26分59秒   通報   返信・引用

先日、コンビニである本を見つけて買った。

幸せな人だけが知っている
シンプルな生き方

人生は手放すほどに
うまくいく!
http://honto.jp/netstore/pd-book_27675879.html

表装がいかにも女性向けなんだけど
こっれって、あれですよね。

同時代現象的に、
人々が何に気付いてきているのか。

何が求められているのか。

この著者、鈴木真奈美さんの
フェイスブックを見てみると

【地球ファミリー】
もし地球が一つの家族だとしたら、あなたの役割は何ですか?
すべての人に眠る「使命」や「魅力」を
引き出すことをライフワークとしています。
https://www.facebook.com/manami25

だって。

何だか昨今のどこかの創価学会の実態より
よっぽど心があるんじゃなかろうか?

言っても、ぱっと見の話だから実態までは知りませんけどね。

本は「視点」として面白い。

まぁ、どう捉えなきゃいけないとか
そんな野暮なことは言わないでおきますよ。



[435] 蓮香様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)14時49分58秒   通報   返信・引用

案外、
そのものそのまま
伝わっているのかもしれませんね。

上手く説明できれば
一切衆生の盲目を開く功徳に
なるような

世界中の人に伝えたい
「何か」の原形のような

まぁ、観念論では無いから
現実の中での「何か」

やっぱり、まだ
はっきり言葉にはならないけど。

そんな感覚です。



[434] 革命こそ蘇生様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月29日(日)11時10分29秒   通報   返信・引用

<池田先生の本当の弟子は、そんな事に微動だにせず、純真な学会員を守り抜くべきだと思います。皆が仲良く楽しく信心深く団結して、何が起きても簡単に弾き飛ばす組織を、願わくは一人も欠けることなく歩んで行きたい。それにはまず、あなたが楽しく信心しているべきで、最後まで信心しきった人が勝利者です>
深く同意しました。
革命こそ蘇生さまの最近の投稿を読むと何かが見えるようになられたように感じます。うまく表現できずらいのですが、何か覚知されたように思えるのですが…



[433] 始まりの頃~あきらめて幸せになるとは? 2/2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)07時55分45秒   通報   返信・引用

 では、何を諦めて何を明らかに見るというのでしょうか?その前にまず、上に述べた危険性のある頑張るとはどういう事だったのかを考えてみましょう。それは「今の自分や環境を否定」し「現実を変革しようとする事」ではないかと思います。
 今を明らかに見る必要があると言いましたが、逆に「現実を変革しようとする事」を諦めるのは念仏ではないかと思います。娑婆世界が苦しいのは仕方ないので、死んだあとの世界で救ってもらおうという教えだからです。
 それでは「今の自分や環境を否定」する事を諦めるとはどういうことなのでしょうか?例えば、社会の最小単位であり社会の出発点である“家族”。その中にいる“自分”。それはどんなに否定しても、家族は家族、自分は自分であり変わりません。まして仏法の目で見れば、また同じ家族の元に、また同じ自分として生まれてくるのです。それを否定し続けることは、無価値な人生を歩み続けることになってしまいます。無理をして受け入れろということではありません。一心に信心をして境涯革命をするならば、自然、受け入れられないはずが無いじゃないかと言っているのです。全部良くなる、安心して信じなさいと言っているのです。そして、まずはありのままの自分の感情、頑張れないなら頑張れない、寂しいなら寂しい、目立ちたいなら目立ちたい、遊びたいなら遊びたい、どんな自分でもそのまま、ありのままを、唱題で、信心で、我が胸中の御本尊に迎え入れれば、南無妙法蓮華経の力で、智慧や功徳へと変換されていくのです。
 そして、師弟もまた久遠の誓いにより共に生まれてきます。ゆえに、同志たちも、久遠からのいつもの顔ぶれです。「今の自分や環境を否定」する事を諦めて明らかに見るのですから、即ち、どんな風に見えたとしても、それが池田先生が作り上げた創価学会の姿であるし、どんな風に感じたとしても、それが御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えた自分自身の姿です。戸田先生がよく「諦めて幸せになれば良いのです」という様な事を言っていました。今、生死流転のある九界の姿で生きている自分が、九界の姿をした世界の中にいる事こそが、大成功の願った通りの南無妙法蓮華経に合致した姿であり、無始無終の仏界の証明であり、歓喜の中の大歓喜である。自分のちっぽけな正義をかざそうとして今を否定して頑張っても、その大真理には敵わないのだから、諦めて受け入れて信じて幸せになりなさい。という事だと思います。
 それを信じる事が出来たならば、自分の内にも外にもある南無妙法蓮華経の力で、世界という大生命をさえ刻々と変化させていく事が出来るのであり、それこそ喜びであり、起こりくる様々な出来事に、ありのままの自分の姿で対処する事にも感謝していけるのです。
 だから、少しでも信心ある人、ただ一遍の題目を唱えた人をも最大に賛嘆する事こそあれ、自分の小さな正義のために至らない自分を責めたり、純真な学会員をおどしたり、出会った小さな壁に逐一腹を立てたりやる気を削がれたりしている場合では無いのです。
 今これからが、大事な時です。少しでも、日蓮大聖人と同意の信心、創価学会初代・二代・三代の会長と不二の信心に立てる人が必要です。
 と言うのも、池田先生がいなくなった後を虎視眈々と狙い定めている勢力が、外にも内にも、少なからずいるであろう事は、想像に難くないからです。
 学会や池田先生をおとしめる方向の事や、逆に、池田先生だけが唯一絶対の指導者で、その魂は私だけが受け継いでいると謳う者も現れるかも知れない。池田先生の本当の弟子は、そんな事に微動だにせず、純真な学会員を守り抜くべきだと思います。皆が仲良く楽しく信心深く団結して、何が起きても簡単に弾き飛ばす組織を、願わくは一人も欠けることなく歩んで行きたい。それにはまず、あなたが楽しく信心しているべきで、最後まで信心しきった人が勝利者です。



[432] 始まりの頃~あきらめて幸せになるとは? 1/2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月29日(日)07時54分42秒   通報   返信・引用

「もう信心はやりません」と言って7年。
「頼らない」「全部忘れる」と思い

だが、次に立つときは、いよいよ潜聖増上慢と戦う時、
それは仏法上、大変な事が起こっている時だから
私が立つ必要があるような事態には、なってほしくはない。

そんな思いを秘めながらも
意識と確率の関連を意識しながら
休みごとに開店から閉店までパチスロを打ち

メインは修羅界のようで、時折、御本尊に向かっているときに使っていた意識である
ホワイトアウト感覚のゾーンに入るような感覚を持つようになった。

確率なんて、どうしようもない。
仕組みを知って、あとは委ねて、ひたすら打ち込むだけ。
(パチンコは基本的に確率は一定だが
パチスロはシステム上、その波に法則性がある)

そんなある日、「一緒に勤行をしないか?」という、懐かしい同志からの誘い。

あれ?この人が来るということは、もう仕方がないのかな?と思った。

会合に参加して最初の気づきは、頑張る必要の無さである。

そして、池田先生とは何者?ということを考えた時
パチスロを打つことが気持ち悪くなって、打てなくなった。

まだ、アルベア論を知る前。
再発心から2ヶ月ちょい。
悪の四人組なんて知らない。

そんな頃の文章です。

 『あきらめて幸せになるとは?』

2015.7.6 革命こそ蘇生
 たとえどんな事が起きても、いよいよ信心のチャンスだ、なんてありがたい使命なんだろうと感謝し、みなぎる生命力で前進していく。そういう境涯には一体どうすればなれるのだろうか?
 それを考える時、頑張れば何でも乗り越えられると信じて、頑張る事が信心だと思っている場合があろうかと思いますが、本当を言うと、少し違うということを知っておいてほしいのです。
 もちろん、私個人としては、人間一度は限界まで頑張ってみるべきだとは思いますし、草創の頃で言えば、時代背景や学会の成長段階、遭っている難によって、求道心や指導の行き渡り方が違ったこともあり、「頑張りましょう」と言うだけで伝わる事の内容が深かったのかも知れません。ですがもし、通り一遍の指導や教学だけになり、成果主義が表になってしまい、自分を押し殺して成果のために奔走することが「頑張る」ことになってしまえば、「こんなに頑張っているのに、なんでこんな目に合うんだ」「何か自分が悪い事をしたとでも言うのか」となってしまい、それはいくらでも悪いとも言えるし、いくらでも悪くないとも言える、答えの無い信心になってしまう危険があります。
 本当の信心の深淵の事はなかなか言葉には出来ないけれども、頑張れば何でも乗り越えられると言うよりは、南無妙法蓮華経で開けない人生はないと言う方がまだ本来の意図に近いのではないかと思います。
 どういう事かと言いますと、頑張り続けようとして何かしらの抑圧の中に自らを置き、まだまだ自分は至らないと思い続ける事で、すでに得られている事への感謝が薄れ、いろいろな事を明らかに見る事ができなくなり見失う。さらには、その抑圧は「自分はこんなにも正しい事を頑張っているのに、あなたは何をやっているんだ」という思いに至り、敵意となり、おどす心と現れる。それは即ち謗法の心へと直結してしまうのです。
 この事への対処によって、幸福への一歩を踏み出すか、あるいは不幸への一歩を踏み出すのか大きな分かれ道となるのです。
 自分の中に生まれた敵意、それさえも押さえ込んで、さらに頑張ろうとした場合、今度は、周りの人が自分へ敵意をもっているように感じられるようになります。そうなってしまえば、もう頑張る事が出来なくなったり、広布のために戦っているつもりが広布破壊の結果を招いたりしてしまいます。この事はよくよく注意しなければなりません。
 では、どうすれば良いのか?という事ですが、まず、今を明らかに見る必要があると思います。仏法上、明らかに見るという意味で「諦(たい)」という字がよく使われますが、訓読みすれば「あきらめる」となります。その「諦めて忘れる」という意味と、「諦めがついて心が決まる」「今までの常識に囚われず大きく踏み出す」との両面の意味を持つのが「思い切る」という言葉です。「ただひとえ(一途)に思い切るべし」です。



[431] 信心からの出発

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月28日(土)11時03分10秒   通報   返信・引用

~~戸田先生は、御本尊様を「もったいないことだが、〝幸福製造機〟にたとえられる」といわれた。生命力を強くして、幸福になるために、日蓮大聖人は御本尊を〝発明〟してくださった。その〝使用法〟の基本が勤行・唱題なんです。すごすぎて、わからない。簡単すぎて、わからない。「題目を唱える」という、そんな簡単な修行で、どうして宇宙大の力を、自分の生命から引き出していけるのかと。~~
(希望対話 277~頁 )

「大御本尊様は向こうにあると思って拝んでおりますが、じつはあの三大秘法の御本尊様を、即南無妙法蓮華経と唱え、信じたてまつるところのわれらの命のなかにお住みになっていらっしゃるのです。これはありがたい仰せです。この信心をしない者は、仏性がかすかにあるようにみえてひとつも働かない、理即の凡夫です。われわれは御本尊を拝んだのですから、名字即の位です。名字即の位になりますと、もうこのなかに赫々として御本尊様が光っているのです。ただし光り方は信心の厚薄による。電球と同じです。大きい電球は光るし、小さい電球はうすい。さらにこの電球の例でいえば、信心しない者は電球が線につながっていないようなもので、われわれは信心したから大御本尊という電灯がついている。ですから、われわれの命はこうこうと輝いている」(『戸田城聖全集』第6巻)

一心の師弟不二がそのまま
御本尊に書かれている日蓮大聖人の人法一箇(真理)と
それぞれの己心の人法一箇(真如)と
大宇宙の生命の人法一箇(無作)へと
展開されるのが、信心の達するところ。

その三つは、どれが先という事も無く
「今ここ」である。

幸福製造機の使い方(信心の一念)の間違いによる
壊れてしまっている部分。

あるいは、永く使った(達した)事のない錆び付いたり
埃がたまってしまっている部分。

本来ならば
南無妙法蓮華経と唱えるだけで
何の矛盾も無く上手くいくはずであるが

つまり、世法、王法、仏法には
何ら、ジレンマも障害も発生するものではないが

壊れたり錆びたりしていれば
いろんな方法でいろんな力を加え作業して
正常にしていかなければならない。

無理矢理に大きな力を加えなければ
ならないような時もあるだろう。

この正常化する作業が仏因であるが
すでにそこに仏果がそなわっているからこそ

三障四魔も正しく顕れてくるのである。

全ての出発点は信心なのである。



[430] 一本の矢

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月25日(水)02時03分34秒   通報   返信・引用

同じ楽譜を使って楽譜どおりに弾いていても、
人によって演奏は違って聞こえる。
譜面に書かれた音楽は、
演奏者の感性を通して
初めて聴くことができる。

翻訳という作業は、
違う言葉によって作り直すのだから
もっと、違いが出てくる。

我々が読んでいる法華経。
単純に、表面上の音律、教相で言えば
それは鳩摩羅什の視点を通して読んでいるのだ。

これが、どれぐらい重要であるかと言えば
鳩摩羅什がいなければ、
少なくとも一念三千は一念九百になっていたかもしれない
というぐらいには重要な事なのである。

名訳とは、いかなるものか。
映画で言えば「君の瞳に乾杯」等が有名である。
http://ncode.syosetu.com/n9839p/14/

さてさて、実は名訳の素晴らしさを伝えたいだけではない。
この、鳩摩羅什という人物像に着目したいのである。

先日、呼吸は運命を変える力を持つというので拾ったブログ。
なかなかに面白い視点をお持ちのようで、
一旦、彼の視点を借りて鳩摩羅什を見てみよう。
http://bloom.at.webry.info/200901/article_5.html

鳩摩羅什は戒律を守り、高潔で謙虚な俗世間とは隔離された世界ではなく
酒と女に溺れてしまった人間だという。

だが、その汚れた中からだからこそ
生み出せた美しい音律が、
つまり、蓮華の理論に従って
妙法蓮華経になったと言うのだ。

この人物像は、はたして
創価学会の指導者たるものの資質として
本当に重要な部分は何かを考える際に
何か重要なヒントを与えてくれるものではないかとも思う。

視点を大きく広げて、善悪無記を再確認してみる。

http://blog.goo.ne.jp/murokuni/e/f75542a8fad961e4bdc890d4f365177b
 そのためには、釈尊の言葉にある、人の心に刺さっている「差異へのこだわり」という「一本の矢」を抜き取ることから始めなければならない。ヨーロッパのある識者は「人間は生理学上、世界中の誰とでも、驚くほど同じである。この生理学上の同一性の上に文化や人生観、宗教等の差異が構築されている。そうである以上、文化や宗教の違いを根本的対立とするのは誤りである」といった。人間にとって、「差異へのこだわり」という「一本の矢」を抜き取るためには、「異なるもの」「自分にないもの」に耳を傾け、他者の個性を尊重することが必要だ。仏典には、全ての人の生命に仏性が内在していると説く。その人に特有の生命、他人とは違うという生命のこだわりを「小我」とするなら、それらの違いを全て包み込んだ宇宙生命(仏界)は「大我」ともいえる。「小我」を超えて「大我」に生きる、そこにこそ仏の生命がある。成仏とは、仏という特別な存在になることではなく、その身のままで仏という最高の人間性を開き現わすことにある。

http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-234.html
 そうした 「無記」 という考え方が示している 「内なる差異の超克」 ということを、我々の日常生活の実感に即した文脈でいえば、さきほど、釈尊の 「見がたき一本の矢」 のところで触れたように、差異への 「こだわりが消える」、差異が 「気にならなくなる」 という言い方ができます。
 この点に関して、戦後間もないころ、恩師・戸田城聖先生が、忘れることのできない留言(るげん)を残しています。恩師は、日蓮大聖人の因果観に基づく宿命転換に触れたあと、こう述べています。
 「帰依して南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが、よりよき運命への転換の方法であります。この方法によって、途中の因果がみな消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります」
 まさしく信仰を発条(ばね)にした「内なる差異の超克」 といえましょう。 「途中の因果」 とは、境涯面、肉体面、精神面で、自分が現在担(にな)っているあらゆる差異を生じさせた、原因であり結果であります。
 国籍、肌の色、家系、学歴、職業、性格、性別等々、十人十色のすべての差異は、自らがなした過去の因によってもたらされた現在の果である――これは、通途(つうず)の仏教で説く、よく知られた因果律です。
 こうした 「途中の因果」 が 「消え去る」 ということは、なくなるということではありません。そんなことはありえない。人間の社会である限り、人相ひとつをとってみても、誰もが差異的存在であり、それを貫く因果律も、三世にわたって厳然と続いていきます。
 そうではなく、「消え去る」 ということは、差異への 「こだわり」 が消え、差異を 「気にする」 ことがなくなる。それが 「内なる差異の超克」 ということなのです。
 真実の仏法に帰依することによって 「久遠の凡夫」 が自らの命の中に立ち現れてくる。「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)と云う義なり」(759P) という意味ですから、一切の作為的なものを拭(ぬぐ)い去った、巧(たく)まずして放射されるその威光勢力に照らされると、「こだわる」 心、「気にする」 心など、夢の中の出来事のような淡(あわ)い、あるかなきかのごとき些細な事柄と化していくのであります。
 ………
 真実の信仰とは、このような偉大なる生命力を涌現させるものなのです。先に 「金剛にして不壊なる澄み切った大境涯」 「創造的エネルギーに満ちた宇宙生命の内的な働き」 と述べたのも、恩師の不磨(ふま)の留言を想ってのことでした。

http://space.geocities.jp/felix_jpn_sgi/Marathon/sgi2000.html
○「言葉による支配・呪縛」を打ち破る仏法の善悪無記論
池田SGI会長はハーバード大学の2回目の講演(『二十一世紀文明と大乗仏教』)において“差異へのこだわり”の克服が平和創出のためのポイントであると強調。
C.G.ユングも「あらゆる対立や分裂にあって、分け隔てるものは人の心にあるという、一般の自覚が成立するならば、実際にどこから手を着けたらいいか、わかるだろう」(C.G.ユング;『現在と未来』;平凡社ライブラリー)と記している。

外面的な善悪にこだわり、固定化してしまうのは、心が言葉の呪縛にかかっている。
呪縛にかかると悪も善に転じうるという可変性を見落としてしまう。
→仏教で説く「善悪無記論」の視点の重要性

「善悪無記」とは、言葉による支配・呪縛を解き放ち、生成流動してやまない現実と向かい合うことを促す思想である。
“善に背くを悪と云い、悪に背くを善と云う、故に心の外に善無く悪無し此の善と悪とを離るるを無記と云うなり、善悪無記・此の外には心無く心の外には法無きなり”
(三世諸仏勘文教相廃立 御書 P.563)
この世は全て差異から成り立っている。
←「世間」という仏教用語が「隔別(きゃくべつ)」「間隔」という意味を持つ。
真実の信仰はこの「差異へのこだわり」を乗り越え、「内なる差異の超克」を実現する。
戸田創価学会第2代会長の言葉:「途中の因果が消え去って、久遠の凡夫が出現するのであります。」
御義口伝:「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」

「善悪無記論」は、「言葉の呪縛」のヴェールをはがすだけでなく、人々を対話の達人たらしめる。



[429] 池田先生の平和思想 pdf

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月23日(月)11時57分23秒   通報   返信・引用

池 田大作の平和観 と世界秩 序構想 についての一考 察
一 人 間 ・非 暴 力 ・民 衆 を め ぐ っ て 一
中 山 雅 司 (創価大学 法学部 国際平和・外交コース長)
http://libir.soka.ac.jp/dspace/bitstream/10911/3361/1/kk5-105.pdf

↓アルベア論より
「平和と人間のための安全保障」 東西センターでの講演
 1995年( 平成7年) 1月26日 ハワイ・ 東 西センター( アメリカ)
http://www2.sokanet.jp/download/koen/11.pdf



[428] 呼吸と知性と文底

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月23日(月)11時44分13秒   通報   返信・引用

個性によって表現は異なる。

ありのままこそが継続可能な真実である。

つまり、それは一念三千であり
その主体は五眼三身である。

このことに対しての
同一性による連動こそが
己心の寿量品という文底なのである。

呼吸・鼓動・認識知覚・運動働きかけ・滅不滅。

鼓動と寿命には関連性がある。
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000104_all.html

もう一つ考えてみたいのは
呼吸と感情・呼吸と知性の関連性である。

人間はある程度、専門知識が無くても
体のサイズ等の要因により呼吸のリズムの近い哺乳類に対しては
感情を読み取れるのでは無いかと思う。

眠たそうだな、怯えてるんだな、等々。

逆に
昆虫の感情は分かり難い。
魚類の感情も分かり難い。

鳥類については
理解の上では知性に見えるものを確認できるが
それが何なのか、直感的には分かり難い。

http://www.dino-paradise.com/topics/2012/03/pulmonary-airflow-of-birds.html
鳥類の呼吸システム

ただ、こうして考えてみると
威嚇というものは別格に
種を越えて伝わるのかもしれないと思う。

されたくない事をされそうになったら
びっくりさせて追い返すという保身の反応は
植物にさえ具わる、生命の本質の一面かもしれない。

しかしそれは個別の保身だけでなく
結果として全体の調和の保全であるかも知れない。

ともかく、人間以外の生き物というのは
人間に比べて、眼前の現実に対する
直接的反応によって存在していると思われる。

「人間らしい知性」とは何か?
呼吸を合わせるという手法によるチームワークの発展したものではないかとも思う。

~言葉というものは心の声を響かせたものである~

声を響かせるということは
呼吸の変化形であると思う。

呼吸の再現性を文字という記号によって記し残す事で
感情と全体性の再現性を願う。

本来は、そこから発展するものは
「人間のための」というテーマに立ち返るべきであるが

文化としての発展において
向上心と、優れた表現への崇拝は表裏であり、同時に起こる必然である事を
いかにコントロールし、悪用させないかが、
宗教の本来の、否、新しい時代においての役割ではないかと思う。

同時代的現象の、底辺を支える人々と
同じ現実、同じ感情、同じ呼吸、同じ思考量を同苦して知り

コントロールの悪用を、いかに無くすかが課題なのだ。

捨てる事と無くす事は違う。
気づきの問題である。

人間革命とは

自身の絶対的幸福も
自身の信仰の自由の選択も
社会の最小単位である家庭から
全人類と環境の関係性の一閻浮提に至るまで

その実現には
道があるのではなく

今ここにあることが
その全てなんだという
発展性なのである。

何を言っているか分からない人が大半であるかもしれないが
それは、分かる分からないに関わらず不可避でもあると思う。

そもそも分かるという時点で分かっていないという
次元の話であるかもしれない。

http://bloom.at.webry.info/201412/article_5.html
波動と引き寄せ PART7 呼吸は運命を変える力を持つ

http://www.mizunoyoga.com/gakuin/kokyuu.htm
呼吸法の実践(プラナヤーマ)



[427] 学会二世の葛藤

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月22日(日)10時54分28秒   通報   返信・引用

昭和54年、私は3歳でした。
三つ子の魂百まで。
何が起こっているかなどという事は、近年に至るまで知らなかった。
だが、言葉にはならない何か、肌で感じるもの。
3歳の吸収力をなめてはいけない。

父親からは、宗旨を問われたら日蓮正宗と答えよと、信仰の中心にそれを置く心を。
母親からは、創価学会の歓喜、池田先生を求める心を学んだ。

9歳の頃、両親が離婚。母親に引き取られる。
信心は教えられ与えられるものから、自ら求め向き合うものへと。
何が辛いか、自身があまりにも不完全で、いかに悪の要因をもった存在であるかという事だ。
自分が「男」であるという、どうしようもないそんなことさえ
「女子供」を苦しめるものの象徴でもある。
未だに独身であるが、今、この瞬間で言えば、そのことさえ功徳である。

引越しなどの絡みで、少ししか所属していなかったが
少年少女合唱団で歌った歌の中で、母親が好きだと言ったのは「たんぽぽ」の歌だった。
https://www.youtube.com/watch?v=OGh4n2no9jA

ともあれ、幼少の頃の信心の感覚は
薄れさせず、踏まれてなお強く、花開かせるためのもの。
そういう思いがある。

さて、希望の21世紀を目指し
「夢は大きく希望を持って
広宣流布のために池田先生に誓い
信心していけば夢が叶う」
「池田先生は何でも分かるすごい人」
御本尊を粗末にした罰の話や
純真に財務をした大功徳の話。
大雑把に言うと、そういう中で育つ。

夢を追うに際して、学会活動が時として足枷になるが
具体的アドバイスが無いにもかかわらず
ただ熱意で押し切って言いくるめて駆り出す矛盾。
そこいらの学会員というものは
上手いこと言って希望を持たせ持ち上げるが
その希望の実現には、たいした役には立たないのだ。

このあたりが二世の苦悩にはつきもの。
純真ゆえに火が付きにくいという難しさになる。

ただ確かに、池田先生の言葉だけは違う。
行く先々で、具体的なアドバイスをし
確実に希望を与えていく。

現実の矛盾の中で、ただ池田先生の真実の指導を求めた。

思うに、根本的には
「一人の人間として、一人の人間を本当に応援・支援できる人間」か
「上手いこと言って言いくるめて人間を利用してしまっている人間」かの違いがあり

その裏には
「嫉妬に狂い正義の人を追い落とそうとする人間」や
「知らず知らず利用されてしまっている人間」がいる
という事である。

こういった構図は、正法が興隆する際の必然でもあり
だから、本当に信心を貫くという事は
いついかなる時代であっても
壮絶な師子の戦いなのである。



[426] 大御本尊

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月21日(土)09時59分49秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人様お疲れ様です。
その感覚が本道であり王道なのだと思います。

「信心」が「そのまま」「大御本尊」・・・
言葉として合っているか分からないですが

この板でスーパー摧邪人様や清潔な身なり様と語り
また、父親に会って話して強く感じるものです。

やっぱりそれが「信心」なのだと。



[425] 和合と分断

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月21日(土)09時47分46秒   通報   返信・引用

支えていこうとすると折り重なる。従わせようとすると奪い合いになる。
法のため全民衆のためは一時ぶつかっても和合に向かえる。地位名誉のため保身防衛のためは利害で一時結ばれても破壊と分断に向かう。
今ここの同時存在を意識すると開放への智慧となる。過去の慣習に縛られた意識は閉塞への足枷の知識となる。
迫害の矢面で尊厳を護ると尊厳そのものへと磨かれる。特別意識で名聞名利を求めると尊厳を破壊する魔の働きへと堕ちる。
包容による苦しみは創造・和合の歓喜へと拡大される。拒絶による安逸は空虚・迷妄の悲嘆へと縮小される。

なんてことばっかり言ってても
息が詰まってしまうかもしれないけどね。

誰だって、世の中全部見渡せば
反応に困ってしまう話題の方が多いかもしれない。

なにもかもまともに自分の力以上に受け止めようとしたら
つぶれちゃうよね。

時には意識的に意識から外すのも知恵だと思う。

https://www.youtube.com/watch?v=5ia74BYjjvo
堺正章 songoku youtube 3:46

ふざけではなく、だけど愉快に。

笑顔のあるところに人は集まる。
楽しく行きたいですね。



[424] 風光る初夏の候

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 5月21日(土)08時45分51秒   通報   返信・引用

おはようございます。
仕事に忙殺され続けている摧邪(サイヤ)です。
ちなみに娘の名前は紗綾(サアヤ)ですが、どうでもいいですね。(笑)

今日も会社に出て仕事をしていますが、休日なので合間を見ての投稿です。
蓮香さんの仰る通り私たちの世代は創価学会の組織に育てられました。
ましてや私は学園出身者です。
創価が狂い邪教化しようとしているのを、指をくわえて見ている訳にはまいりません。
前にも申した通り私の闘いは恩返しの闘いです。
不知恩の者にはなりたくありませんので。

創価邪教化の根拠は大御本尊との決別です。
大聖人の慈悲の結晶であり、日蓮仏法の究極である大御本尊です。
昨年2月2日、教学部の「解説」が出た直後の日記にこう記しています。

「本門戒壇の大御本尊を末法御本仏日蓮大聖人の
出世の本懐でないと否定することなど如何なる理由が
あろうとも何者にも許されることではない」

この思いは今も変わりありません。
少し仕事が忙しく投稿できずにいますが、思いに変わりはありません。
日々の仕事と2時間唱題に全精力を傾注している昨今です。

大御本尊への思いは人により厚薄があるようです。
認識の仕方の違いによるものなのでしょう。
私は上記のような認識ですので離れることなどあり得ません。
我が家にご安置の御本尊は大御本尊の分身散体です。
そして生身の日蓮大聖人として日々拝しています。

もちろん肉眼しか持たない私には紙墨としてしか映りません。
しかし仏眼で拝したときにはどう映るのか。
そのように思いつつ日々唱題を重ねています。
創価の発迹顕本を我が使命として祈っています。

http://macska2012.blog.fc2.com/



[423] 厳護朗様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月20日(金)10時57分53秒   通報   返信・引用

私が未来部のころとは時代も違いますし、学会の流れも違いますのでお話しするべきか迷いました。
でも、人材育成にあたっての要諦は変わらないはずですから少しだけ語らせてください。

私のころは中学生といえば、組織の中でもほぼ大人の扱いでした。御書学は毎月ありましたし、教学試験受験も中1からでした。座談会にもでていましたし、毎月の部員会も大人にお膳立てしてもらって参加ではなく、部員さんまわり、企画会、会場をとること、唱題会、反省会等。勿論、初めは男女青年部の人に手取り足取りで教えてもらい中2にもなればいっぱしになってました。このときに御書だけではなく人間革命の読み方も文上だけで理解したと思っては浅いと教わったんですよ。
恐らく当時の男女青年部の先輩方は、この子たちは池田先生からお預かりした子達なんだ、立派に育てて先生のもとへ送るんだと思って育ててくださったんだと思います。ありがたいことです。この時代に習ったことは組織の中はもちろんですが社会に出てからも大いに生かされたことは言うまでもありません。



[422] Re: 依法不依人

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月20日(金)10時24分11秒   通報   返信・引用 > No.420[元記事へ]

法に依って人に依らざれとは、仏道を実践するに当たっては仏の説いた教え(経文や御書)を拠り所にすべきであって、人師や論師の言葉を用いてはならない。

これが本来の意味ですが、結構都合よく使えてしまうんですよね(苦笑)

30数年前の私が女子部だった頃は毎月折伏セミナーがあった時代でしたので、友人に我が身で法の正しさを証明できないことのエックスキューズで使っちゃってました。

自分はまだ未熟で大したことないけどもこの法はすごいのよ~ナンてね…
お恥ずかしい限りです。一見、謙虚に聞こえそうだけど実は凄い増上慢ですものね(苦笑)



[421] Re: 蓮香さん

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月20日(金)07時06分22秒   通報   返信・引用   編集済

> しかし、ここ20数年は明らかに選挙活動に忙殺されて手を抜いてきちゃいました。
> 私の周囲でも青年部を未来部を育てましょうという声は上がってはいましたが、現実は
> それぞれの親任せでした。創価の未来を考えると大いなる反省と危惧を抱いています。

私も未来部担当をやっていますので、蓮香さんの気持ちもよくわかります。
選挙が近くなると、未来部の会合が持てなくなり、上に「違うんじゃないか?」と言ったこともあります。
その後も葛藤はありますが、自分の中で答えを見付けてもいます。
それは、子ども達に大人の勝利の姿を見せることも未来部育成につながるのではないかと・・・。



[420] 依法不依人

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月20日(金)01時55分55秒   通報   返信・引用

2日ほど書き込む余裕が無かったのですが
賑やかですね(^-^)

「依法不依人」と、言うのは簡単だけど
一体どうする事が、「依法不依人」になるのか?

何かを考え発信する相手も人
それを受けて何かを思うこちらも人。

だからと言って、山にこもって瞑想するなんていうのは
小乗の行き方になる。

積極的に人に関わっていくのなら
意見・認識の違いや、目指すベクトルの違い等々
いつでも起こるし、あるいは気付いていないだけで
いつでも起こり続けている。

「善の連帯」を考える時
統一的な「善の価値観」に足並みが揃わなければならないような
印象を受け、人と自分の違いを違いとしてしか認識できない時
「正」と「反」として、それぞれを捉えて、それを超えられない事が
人に依ってしまう人の弱さの現われではないかとも思う。

私にとって「なるようになる」という事は
何らかの対立項の渦中にあってなお
それを俯瞰して両者や全体を変化させるからこそ
「なるようになる」ものだと思っている。

アルベア様にリアル思考実験として拾って頂いた事があるが
他の何でもない、私の起こしたアルベア様への対立項の
顛末のことである。

一歩引いて情報を整理し、自分の方のおかしな点と
相手への、こうした方が良いと思うという点を
並列に述べたものだった。

その時には、それが「依法不依人」なのだとか
思ってやったわけではなかったんだけど
こうしてまた違う視点で見てみると
そうなのかも知れないと思った次第です。

「正」「反」それぞれの認識を超えたところを意識し
実際の変化としてバージョンアップしていく。

つまりはそれが
何かを認識する側の「正報」であるそれぞれの個人と
文字や現象を通して認識される側の「依報」が
「不二」(同じ生命現象の顕れの違い)であるという
「法」に依っていくことにつながるのではないかと思う次第です。

そうして「法」に依っていってこそ
囚われからの脱却や、枠が外れるという現象も
意味を成していくものだと今は私は捉えている。

あくまでも私は今は「創価の再選択」の上での
バージョンアップの実行をしたいといったところだろうか。

私自身、
自分を一人の人間として見たときには
自慢できるところの少ない、隠しておきたい事ばかりの人間であるけれども
そういう法眼に立って見れば、
ここにいるのは何か意味があるんだろうと思う。

「深く大きく」祈った分だけ
「深く大きく」境涯が開かれていくと思います。

どうか深い祈りを
そして大きく祈って動いて
共々に境涯革命してまいりましょう。

諸天よ護りたまえと祈りを送っていきます。



[419] 厳護朗様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月19日(木)12時30分31秒   通報   返信・引用

コメントしていただき、ありがとうございました。

厳護朗さんは3世なんですね、うちの子たちと同じくらいの年代かもしれませんね。
私やサイヤジンさんの子供時代は組織全体が未来部や青年部を大事に育ててくれました。
しかし、ここ20数年は明らかに選挙活動に忙殺されて手を抜いてきちゃいました。
私の周囲でも青年部を未来部を育てましょうという声は上がってはいましたが、現実は
それぞれの親任せでした。創価の未来を考えると大いなる反省と危惧を抱いています。
それでも勝手な言い分ですが、厳護朗さんのような若い方達に期待をかけてしまいます。



[418] Re: 護り方について

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)19時04分27秒   通報   返信・引用

> つまり、目先のことだけの浅い考えで創価を師匠を護れるとしたことだと思います。
> 結局は裏工作では組織や師匠を護ることなんて出来ない。何か起きたときに自分が全て引き受けるまでの肚も決まっていないのにね。

◆宿板の多くが、上からやらされていた感があり、今こうして暴露的なことになっているのではないでしょうか?
「肚も決まっていない」
とは、その通りだと思います。


> 私は師匠をお護りするということで1番大事にしなくてはならいことは、自分自身の言動行動で法を下げることはしてはいけない、つまり、人として真っ当であることです。

◆そうですね!
自らが学会を背負って立つくらいの思いが必要です。
社会に出たら、自分自身の姿からしか学会を理解して貰えません。



[417] 護り方について

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月18日(水)11時48分58秒   通報   返信・引用

確かに私も「依法不依人」だとは思います。
しかしながら宗教団体のトップに愛人がいたとか後始末を池田先生がしたなんて話を内部の人間がする必要あるのかな?そしてそれを言うことが池田先生を宣揚していると思う感覚は理解できません。
宿坊で原田さんや谷川さんの女性関係を糾弾していながら、片方でとうとうとあの手の話をして正当化する神経。書かれた方がでてこられずに関係のない信濃町さんが語るのもわかりませんね。これって男女の違いですか?池田先生やご家族についても同じようなスタンスで創価にはタブーはないとして語っちゃうのかしら…

では、護り方について日頃より感じていることを少々述べさせて頂きます。

学会内部で起きている不協和音の元は「組織の護り方、師匠の護り方」を間違えたことにあると思ってきました。古くは昭和45年に起きた言論問題あたりからでしょうね。創価という組織を先生を守るためとして反社会的と思えることまで幹部は無辜の男子部員に使命という言葉を使ってやらせてきました。
近年では第2次宗門問題の前後、広宣部を動かしてスパイまがいのこともね。今、粛清として学会で起きてることはあの当時に動かしたメンバーを学会の恥部としてなかったことにしようとしてるということでしょう。
つまり、目先のことだけの浅い考えで創価を師匠を護れるとしたことだと思います。
結局は裏工作では組織や師匠を護ることなんて出来ない。何か起きたときに自分が全て引き受けるまでの肚も決まっていないのにね。私は師匠をお護りするということで1番大事にしなくてはならいことは、自分自身の言動行動で法を下げることはしてはいけない、つまり、人として真っ当であることです。
なぁ~んだ、そんなことと思われたでしょうね。でも、それが出来ていたら今のような事態にはなっていませんよ。ふん!所詮中年のおばさんが言うことなんてこの程度と失笑していただいても結構ですよ(苦笑)



[416] Re: ノーカットだとか

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)07時35分19秒   通報   返信・引用

> 知らなくてもよいことがあります。

今の時代、中高生でもネット検索は日常ではないでしょうか?

内部の未来部員も例外ではありません。

学会三世の私の中高時代は、学会から離れたくて仕方ありませんでした。

しかし、その頃はネット社会ではなく、学会の悪い情報はゼロではありませんが、ほとんど入ってくることはありませんでした。

もし、今のように簡単にネットでアンチ情報が目に入っていたら、おそらく、それらを使って学会から離れていたのではないかと思っています。

子どもの純粋さからくる判断力を無視して、「見たくない人は見なければよい」とか、「スルーすればよい」などと、大人として無責任すぎるでしょう。

自分の子どもに18禁を見せますか?

それと同じことではないでしょうか?



[415] 蓮香様

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月18日(水)00時48分0秒   通報   返信・引用 > No.413[元記事へ]

法に依って人に依らざれ、です。信心しているといっても表層だけ見ると一般人と
変わりはないと思います。

凡夫即極でしたっけ?

我々は色相荘厳の仏じゃないですから(笑)


> ごく普通の女性の感覚だと思うんですけどね。


女性の感覚は男性にはなかなか分からないものなんで、ご容赦ください。



[414] ノーカットだとか

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月18日(水)00時07分0秒   通報   返信・引用

知らなくてもよいことがあります。



[413] Re: 宿板の話題ですが

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月17日(火)23時18分41秒   通報   返信・引用 > No.412[元記事へ]

ありがとうございます。

事実であったら何でも言っていいというのは、ましてあのての話をとうとうと語るなんて私には受け入れ難かったんです。
ごく普通の女性の感覚だと思うんですけどね。



[412] 宿板の話題ですが

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月17日(火)23時02分48秒   通報   返信・引用

蓮香様の心中お察しします。



[411] 一面的には

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月16日(月)14時45分13秒   通報   返信・引用

「誰か」がどんな理想を持っていて、それを実現させたとしても、それはその「誰か」の理想が実現しただけであって、自分の理想が実現したわけではない。

自分で何かをやろうと思えば、それは大変だけど、大変だからこそそれを越えた時、境涯が大きく開かれていくと思う。

漫画ドラゴンボールのスーパーサイヤ人も何倍もの重力の修行に耐えた肉体があったからこそ、その境涯(?)を開けたと見れるかもしれない。

同じ師匠を持ち、それぞれ理想を目指していくならば、一つ一つは一見違う事のように見えても、それが折り重なって、素晴らしい未来を切り開いて行けると信じたい。

最後に池田先生のスピーチを引用します。

>我々の胸中にも、永遠に勝利しゆくための、厳然たる「不二の山」が実在していることを、絶対に忘れまい。それが創価学会の信仰である。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29705



[410] 革命こそ蘇生様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月16日(月)10時18分50秒   通報   返信・引用

お答えいただきありがとうございました。

3名の方たちが何を目指し何を望み、どこを着地点とされようとしているのかは私には今の時点では判りかねます。

ですが、3名の方たちが実名で声をあげ顔を出した行動は、創価の組織改革の分水嶺となるのではないでしょうか。そろそろ組織という枠ぐみが外れる時を迎えるのかもと少々の期待をしています。



[409] Re: 6月4日

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月16日(月)09時45分45秒   通報   返信・引用

おはようございます。
ここ共感しました。

> やわらかくいくと
> 悪いのは自分ではなく本部なのだと聞いて安心したい というところに共感をひろげ減速となり

悪いのは自分ではないと思いたい、この弱い心に打ち克たないとと、我が身を振り返って考えさせられました。

数人の執行部の思うように数十万、数百万の大勢が、なんなく動いてしまうことの異常性。自分がこの現象の一部であったことは間違いないからです。



[408] Re:6月4日

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月16日(月)06時06分31秒   通報   返信・引用

3名の方たちが本当に何かを変えたいと思うなら
期待にそのまま応えていくというのは
微妙なところであり
難しいところであると思う。

大衆心理として
本部はこんなに悪いところだと聞きたいというのは

やわらかくいくと
悪いのは自分ではなく本部なのだと聞いて安心したい
というところに共感をひろげ減速となり

激しくいくと
極悪の学会本部を撲滅する日まで
たとえいかなる犠牲をだそうとも・・・
って、憎し憎しが先立って平和思想とはほど遠くなる。

いろいろ模索しながらになるんだろうなと思う。

一人ひとりが主体者の心で
アドバイスしあいながら
共戦していくものの内の一つ

というぐらいのつもりで
それぞれが善知識として縁していければ良いんじゃないかな?

小林節さんの参議院に立候補は知ってか知らずか
どちらにせよ

この運動の延長線上、無関係では無いところで
この段階で国政へ声を届ける新しい動きが顕在化するというのは
なかなかに面白いとも思う。



[407] 6月4日の横浜集会

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月15日(日)12時16分26秒   通報   返信・引用

小林節さんが見える予定のようですが、どうなるんでしょうね?

3名の方たちは小林節さんが参議院に立候補されることを知っていたのか?

フライングなのか?

私は本部内で起きてる問題を3名の方たちが語ってくれることを期待してましたが1回目の時は

方向性が違ってましたね。



[406] 思考の囚われ

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月13日(金)12時22分32秒   通報   返信・引用

私を含めた学会員の生命の傾向性として
自分の方が正しい、偉いと思い込み
絶対に自らの非を認めず
その対象の方が悪いと決め付ける
というものがあると思います。

あなた題目あがってるの?
変な情報に生命力を奪われているんじゃないの?
処分されるのはそれだけの理由があるんじゃないの?
学会本部に魔が入るはずがないでしょう?
日顕宗と共産党は悪なのよ。

自動的に反射的に反応する。

これでは対話にならないと思う。
皮肉な事に、対話を掲げる創価学会員こそ
対話が苦手なのかもしれない。

これは実に臆病な姿であると思う。
これもまた皮肉な事に、勇気を掲げる創価学会員こそ
臆病者なのだと、世間から笑われてしまうのである。

面白いところでは
>>極端な一例として私の紹介者を挙げますと、彼は学会三世で高等部までバリ活(だったらしい)ですが、まず素直に謝罪出来ません。
かれこれ二十数年の付き合いになりますが、まともに自分の非を認めた事が一度しかありません。独善的な考え方は改めろって何度も忠告しているにも関わらず、治りません。
「この皿は今日、割れる運命だった。だから俺が割ったんじゃない」このぐらいの事を平気で言います。
全て回りのせいにして全ての忠告に独自の反論をしてきます。世間ではそれを言い訳と呼ぶんだよって教えてあげたんですが、治りませんw<<

これは、信心が分からず離れていく人たちの声だ。
そういう姿を見て創価学会から去っていくのだ。
https://signifie.wordpress.com/2016/05/04/%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E5%89%B5%E4%BE%A1%E8%84%B3/#comments

さて、
自動的に反射的に反応する生命に対して
自動的に反射的に反応できない事案をぶつけたら
どうなるだろうか?

冷静に判断するきっかけにならないだろうか?

その事案の一つとして可能性があるのは「嵐桜」が思い当たる。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43331
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43667
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43671
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43679

「嵐桜」は、池田先生と学会員の「心の財」ですよね?
当然、蔵の財より身の財より大切にしなくてはならないですよね。
それが簡単に処分されてたらどうなんでしょう?

ただでさえ桜の木というものは学会員にとって
「日興上人は、伊豆・鎌倉と、大聖人に常随給仕される一方、四十九院の住僧の資格も持ち続け、そこを拠点に天台宗の僧侶らを次々と折伏していかれた。
 文永五年(一二六八年)、二十三歳の日興上人は、決然と幕府に訴状を提出されている。
 これは、実相寺の院主の乱行を、五十一力条にわたって糾弾されたものである。
 その訴状によれば、たとえば、院主は、本堂や諸堂・経蔵などが破損しても、全く修理しなかった。
 ましてや、今日、信徒の赤誠の浄財の供養によって建立された尊い建築物を、自ら勝手に破壊するなどという所業は、言語道断である。
 また、その一項目として、寺の由緒ある桜を切ったことも糺されている。
 桜を一本、無闇に切っただけでも、日興上人は弾劾された。
 これほどに桜を愛惜される御心を汲んで、私は幾多の桜を植樹して、総本山を荘厳した。
 その桜を、幾百本も無残に切り倒したのが、現宗門である。
 さらに院主の坊に遊女を招き、遊興にふけるという醜行を、日興上人は容赦なく指弾された。
 いわんや、一宗の法主が裁判所によって、買春の事実を明白に認定されるなどという現代の醜態は、仏法史上、前代未聞の不祥事である。」
http://d.hatena.ne.jp/peppie/20010206/981436977

というもののはずである。

ましてや池田先生の心の入った桜である

<参照>【北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43668

処分される方が悪いとは、まさか言えませんよね。
桜の木は立っているだけだから処分する方が100%悪いですよね。

つまり
創価学会は間違った判断や処分をすることもあるって事ですよね。

創価学会の未来を考える時
思い込みを一旦外して(創価脳を意識的にフリーズさせて)
客観的な意見や現実を見聞きして判断する事が
必要不可欠な時代に入っていると思います。

そうしないと、まともな対話にならず
建設的な価値創造の未来は開けないと思います。

池田先生が一人切り開いてきた道ですが
次は私たち一人ひとりがやっていかなければ
道は断絶し閉ざされてしまうのです。

目を背けず「中は正しく外は間違いという事に囚われた偏見」を外すべきです。

「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」とは

深く(信心の強さ=仏性、生命の尊厳への気付き、諸法実相)
大きく(思い込みの囚われを超える、三毒四苦八苦も排除でなく包み込む、法のため人のために行動)
境涯を開き(今ここ、自己自身の問題、人間革命)
自分自身と(自ら世界を知れ、自ら世界を見よ、自ら世界と交流せよ)
創価学会の(創価自ら世界を知れ、創価自ら世界を見よ、創価自ら世界と交流せよ)
目の覚めるような・発迹顕本を(新たなステージ、新たな潮流、新たな和合)
頼む(池田先生はやり抜いた、後は弟子の我々の戦いである、出でよ十万の池田大作)

とのメッセージではないかと思うのです。

聞く耳を持ってもらう意味でも
嵐桜の件は重要だと思います。

そういう中道に立って
宗門との関係も考えて行きたい。



[405] Re: 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月12日(木)18時53分13秒   通報   返信・引用

蓮香さん

「一人の犠牲も出さない」
とは、口では簡単に言えますが
なかなか難しいことですね。

教学部レポートでも、そんなようなことが云々されていましたが、はてさて・・・。



[404]

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月12日(木)14時50分40秒   通報   返信・引用

映画、屋根の上のバイオリン弾き
http://white-miso.seesaa.net/s/article/277880036.html
伝統的なしきたり(戒律)を守る信仰
娘たちの幸せと天秤にかけ揺れる心
押し寄せる時代の暗雲

なんか、そんなのを思い起こしてみたり。

日蓮仏法の戒について考察している
ブログを見つけた。
http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-221.html

なんていうか、
何に縛られているんだろうな?

暗黙のルールみたいな
そういうのなんなんでしょうね。

何の枠組み、何の壁だろうかと思う。



[403] Re: 参考までに

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月12日(木)09時31分27秒   通報   返信・引用 > No.402[元記事へ]

> なるほど、そんなことがあったのですね。
>
> その御友人は、第二次の時はどうされたのですか?
> そのまま日顕宗に残られたのですか?
>
> 彼女は、第一次も第二次も先生と学会が悪かったと思っているのでしょうか?
>
友人は第2次宗門問題が起きるまでは、法華講員でありながらも 選挙のときは北陸から東京まで公明の支援活動をしていました。しかし、第2次宗門問題が起きてからは徐々に学会に対しても先生に対しても変化していきました。先生に対して、池田先生?名誉会長?池田さん?池田氏。私の気持ちを気遣って決して呼び捨てにはしませんでしたけどね。私は第2次宗門が起こった時にこれで彼女を学会に戻せると思い聖教新聞、創価新報の記事を送ったり何年にもわたり話し合いましたが平行線状態で、それは今も続いています。

特に学会が教義改正をしてからは友人は「学会がおかしかったんだ、学会はあの時に私を受け入れなかったけど、お寺は違うよ、いつでも蓮香ちゃんや学会の人たちを歓迎するわよ」と言ってます(苦笑)

学会関連の裁判の結果が聖教で報道されていることと真実は違うことも彼女を通じて知りました。

それでも創価をでずに池田先生を信じている私のことを強烈な創価??にやられてるとか(笑)



[402] Re: 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月12日(木)07時29分16秒   通報   返信・引用

なるほど、そんなことがあったのですね。

その御友人は、第二次の時はどうされたのですか?
そのまま日顕宗に残られたのですか?

彼女は、第一次も第二次も先生と学会が悪かったと思っているのでしょうか?


> 戸田先生のご指導をご紹介いただきありがとうございました。
>
> その通りなのでしょうが、第1次宗門問題のときは組織の長が本人に了解を取らずに法華講に移動してしまったなんて、今では有り得ないと思うことがざらにあいました。私の学生時代の友もその中の一人でした。
> 彼女から自ら望んで宗門にいったのではないから学会の組織に戻りたいと私に相談がありました。
> 私は微力ながらも彼女を壮年の区幹部に合わせ指導を受けさせたり当時の私の出来得る限りのことをしました。最終的には私自身が学会本部に出向き彼女を学会の組織に戻してほしいと談判もしました。
> しかし、当時の学会本部の答えはNOでした。「やっと宗門と学会の関係が修復の道筋ができ始めたんです。例えどんな事情があったとしても信徒の取り合いはまた火種をつくることになりかねません。法華講も学会も同じ大御本尊に南無してる同志です。組織は違ってしまいましたが、そちらで頑張ってくださいとお友達にお伝えください。」こういわれ友は法華講の中で信仰を頑張って結果を出すことに燃えて毎年のように折伏をして本尊流布をなしとげ、考えられないようなご供養を続けています。これが自分を受け入れていくれなかた学会へのリベンジだそうです。こんなことが数十年前にありました。どうしようもなかったことです。単純に誰が悪いとか決めつけられることではありませんでした。



[401] Re: 参考までに

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月11日(水)21時36分46秒   通報   返信・引用 > No.399[元記事へ]

戸田先生のご指導をご紹介いただきありがとうございました。

その通りなのでしょうが、第1次宗門問題のときは組織の長が本人に了解を取らずに法華講に移動してしまったなんて、今では有り得ないと思うことがざらにあいました。私の学生時代の友もその中の一人でした。
彼女から自ら望んで宗門にいったのではないから学会の組織に戻りたいと私に相談がありました。
私は微力ながらも彼女を壮年の区幹部に合わせ指導を受けさせたり当時の私の出来得る限りのことをしました。最終的には私自身が学会本部に出向き彼女を学会の組織に戻してほしいと談判もしました。
しかし、当時の学会本部の答えはNOでした。「やっと宗門と学会の関係が修復の道筋ができ始めたんです。例えどんな事情があったとしても信徒の取り合いはまた火種をつくることになりかねません。法華講も学会も同じ大御本尊に南無してる同志です。組織は違ってしまいましたが、そちらで頑張ってくださいとお友達にお伝えください。」こういわれ友は法華講の中で信仰を頑張って結果を出すことに燃えて毎年のように折伏をして本尊流布をなしとげ、考えられないようなご供養を続けています。これが自分を受け入れていくれなかた学会へのリベンジだそうです。こんなことが数十年前にありました。どうしようもなかったことです。単純に誰が悪いとか決めつけられることではありませんでした。



[400] 俯瞰

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月11日(水)21時30分33秒   通報   返信・引用

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3942.html
http://www.correct-religion.com/ryouran/html/souka_1.html
http://jagihashaku.main.jp/shoshinkai/29.htm

破門通告が平成3年
永遠に日顕宗と決別のスピーチが
平成4年11月

意味合いとして僧俗差別、唯授一人血脈
との決別じゃないかと思う。

そうすると
個々人の信心・創価の師弟の信心によって
一大秘法の大御本尊と日蓮大聖人に
直結し、「戸田先生と同じ悟達の境涯」を
得る事が絶対的幸福境涯であり
一生成仏であるというニュアンスが
あったのではないかと思われる。

しかるにここへ来て
悟達の中身を説明しようとした
法華経の智慧を学ばず
一大秘法を捨て

身延の教学に近くなり
学会本部の絶対化が進み
会長の血脈が顕在化してくるとあらば

あれ?何かおかしいぞ。であり
元の木網であり

一から考え直さなくては
ならないのでは無いだろうか?

二世たちの信心の動向に
親の墓がある宗門に戻っていく流れや
創価学会は宗教とは呼べない活動しか
していないとして離れていく流れがある。

例えば
https://signifie.wordpress.com/
こんなブログもあるようだ。

永遠に決別と言って
アルベア論で言う
反作用に始終しているようでは
同じ事が繰り返されるだけ
では無いかと思う。

超えるという方向性は
どうすれば得られるのか?

そういうところをこそ
私はずっと述べてきたつもりである。

アルベア論で言う
正、反、→合という事を考えると
あながち宗門との事を考え直すのは
無駄では無いと思う。

俯瞰した立ち位置で
永遠に決別の文言も
もう一度とらえ直せないだろうか?



[399] 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月11日(水)17時05分10秒   通報   返信・引用

下記は、昭和27年6月28日に大講頭を罷免された戸田先生の坊主および脱会者に対する言葉(聖教新聞・寸鉄)です。

一、信心の弱い者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる。

一、それぢゃその坊さん屑(くず)買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。

一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしているよ。

一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのは凄いだろうね。

一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童(おおわら)わだ、天晴れものだ。
(昭和27年10月20日)



[398] Re: 永遠に決別

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月11日(水)08時54分0秒   通報   返信・引用 > No.397[元記事へ]

私が先生の真意は僧俗和合を望んでいると思う理由は先に述べた以外でもう一点あります。

それは、池田先生は創価学会の会長だけではなかったからです。法華講の総講頭でもあられたからです。

第1次宗門の問題の時に地域によっては支部や地区単位で個人の意思にかかわらず宗門側について行かれた人達が結構いました。勿論、そのことは先生もご存じでした。そういう人たちを先生が忘れてしまったとは私には思えません。





[397] 永遠に決別

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月11日(水)07時33分50秒   通報   返信・引用

本幹だったと思いますが、先生が言われていました。

それまでは、日蓮正宗がまた正常に戻れば一緒に広布を目指すと思っていましたが、それは無いんだなと認識したことを記憶しております。

ただ『日顕宗とは』と言われていたと思いますので、「また正常に戻れば」とも受け取れなくもありませんが、聞いた時の私は『日蓮正宗とは』無いと受け取りました。

今でも、そう思っています。



[396] Re:先生の真意

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月10日(火)01時04分47秒   通報   返信・引用

蓮香様の見解、非常に頼もしく思います。

またここへ来て頂き、ありがとうございます。
だいぶ迷いが減ったようにお見受けします。
なによりです(^-^)



[395] 先生の真意

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月 9日(月)18時10分27秒   通報   返信・引用

久しぶりに書き込ませていただきます。
私は先生のご真意は今でも僧俗和合を望んでいると思っています。
そして、それを執行部を中心とする弟子に託されたのでは…
そう考えると先生が表に出られなくなる数年前より、執行部達を糾弾されたことも
宗門と袂を分かって20年以上も大御本尊についてふれずにきたことも
納得がいくのです。
日蓮仏法を正しく令法久住していくためには僧俗和合していかなければ達成して
行くことは出来ないと。



[394] Newtype様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 9日(月)10時19分9秒   通報   返信・引用

貴重な新来者です。ありがとうございます。

>私としては、創価の宗教団体としての正統性は、やはり日蓮正宗に列なる(外護する)信徒
>組織という点にあったと思う。創価が宗門に破門されたことにより、外野が煩くなってき
>たが、教義変更までしてまったく別物の宗教であるかのようにこちらが変わってしまう
>必要はなかったろうと。

これは全くその通りだと思うのです。

集金や集票のシステム、組織の体裁を残して
外野の煩わしさから信仰の中心をなんだかよく分からないものにするのは

一般の社会で言うと
上司から、「会社を辞めるか、信仰を捨てるか、どちらかを選べ」と迫られ
「信仰を捨てます」と答えているようなもの。

そう見れる眼があれば、それが間違いである事は明白です。

四条金吾への日蓮大聖人の指導、
創価学会が今までしてきた指導に違背しています。

心が退転となっています。

そういう後ろめたさがあって
言論を封殺し、除名などを乱発する。

悩乱状態だと思うのです。



[393] Re: 宗門問題俯瞰への一歩

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月 8日(日)16時25分37秒   通報   返信・引用 > No.392[元記事へ]

お初です。ここのところ宿坊板に現れるようになった者で、こちらでもよろしくお願いします。

> 「日顕宗撲滅キャンペーン」に比べると
> 日蓮正宗の方がまだ冷静に見解を述べているようにも見える。
> http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/SHIRYO2/C02.htm

ところで、こちらのリンク先を読む限りでは、創宗対立の問題で、あちら側の言い分にも
分かる面はあるなと自分は思いましたね。

> 今現在のような、互いのところの御本尊を
> 魔が住んでいて祈ったら地獄に堕ちるもの
> としているような状態がまともか今一度見つめ直すべきかもしれない。

私としては、創価の宗教団体としての正統性は、やはり日蓮正宗に列なる(外護する)信徒
組織という点にあったと思う。創価が宗門に破門されたことにより、外野が煩くなってき
たが、教義変更までしてまったく別物の宗教であるかのようにこちらが変わってしまう
必要はなかったろうと。
あくまでも破門した宗門が変節したのだと主張し続けていればよかったのではないかと
思うんですよね。



[392] 宗門問題俯瞰への一歩

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 8日(日)01時24分37秒   通報   返信・引用

宿坊の掲示板から
>男の嫉妬は、火がボゥ~ボゥ~  投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 5月 7日(土)15時24分58秒

昭和55年の御法主日顕上人御指南を読まれた方は、アレ?と思われたと思います。全く怒りが無い、正常な人間の発言です。

それが、何故、『あの野郎の首をカットする意味だ、へっへっへっ』となるのか?
ここに、彼自身に内在していた畜生の生命が縁(人脈)によって惹起して、男の嫉妬に火をつけることになります。犯人は、ご承知の通り、今も健在な創価学会最高幹部さま方。

実は、この犯人は、先生に嫉妬していたから益々、僧侶やら外部の識者にも火を放ちますが、小林節さんや全うな方々は相手にしない為に、逆ギレして『学会は認めない!』なんて犬みたいにキャンキャン言う訳です。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45930

昭和55年ですと、私は4歳・・・

多くの時間を何の疑いも無く執拗な
「日顕宗撲滅キャンペーン」の中で生きてきた私などにしてみると
自力では外しがたい囚われの向こう側の視点かもしれません。

「日顕宗撲滅キャンペーン」に比べると
日蓮正宗の方がまだ冷静に見解を述べているようにも見える。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/SHIRYO2/C02.htm

昭和54年を改めて考えてみるに
本来ならば、宗門と創価と共の発迹顕本を目指していたのかもしれない。

万年の時の流れに耐える世界宗教への飛躍とでも言おうか。

それを考えるにつけ、日蓮仏法本来の
「民衆自身が自ら自由を勝ち取っていく妙法」
の部分を開ききらなければならない。

それは必然、在家中心の信仰活動の部分でもあり
一時的に日蓮正宗の伝統と対立してでも

池田先生が矢面に立ち、責任を負って
両立・共存・和合・止揚等の道を模索し目指していたのでは
ないだろうか?

その大切な局面で、池田先生を裏切り
全部ぶち壊しにした人々がいるということだ。

そしてその生き残りが未だ
創価学会の最高幹部に居座っているという事だ。

先日、反宿坊板に書かれていた宿坊批判の記事だが
視点を変えれば「秋谷学会の体質」そのものではないだろうか?
私自身、その体質を免れきっていないかもしれないし
日蓮正宗も反作用をなしている根深いものだ。
創価学会がしてきた「日顕宗撲滅キャンペーン」に照らして
冷静に判断するべきではないか?

今現在のような、互いのところの御本尊を
魔が住んでいて祈ったら地獄に堕ちるもの
としているような状態がまともか今一度見つめ直すべきかもしれない。

以下、かの記事から 秋谷学会の体質を考え、言い換えてみる。

「日顕宗撲滅キャンペーン」には三種類の立ち位置がある。

一つは、根拠のないデマ話を本当にあった出来事かのように文書等にする輩。こ
れは主に、54年の裏切り者の生き残りを中心とした職員連中が当たる。知り得た
断片的な情報を繋ぎ、誇張し、尾鰭を付けて、整合性を取って偽装し、後はそれ
なりに備わっている文章力等で作成するのだ。言うまでもなく、職員であっても、学
会と宗門の中の全ての情報を知り得ることなどありえない。ましてや、完全に故意に
捏造したことを全て見てきた真実かのように語るなど論外。何が良い事で何が悪い
事か感覚が麻痺しているのだ。善悪の判断が出来ない者に指導者の資格はない。

二つ目に、以上の文書化等された情報を拡散し、伝達する輩が挙げられるだろう。
カットされたと教えられた者にとって、今まで尽くしてきた信仰の中心地が剥奪され
ることは、このうえない苦痛となる。とりわけ、「自分には何ら欠陥はない」と思い込ん
でいる者ほど、その信じていた存在から切り離される苦痛は、言語に絶する。よって、
苦痛を感じる自らの存在性を正当化することが急務となる。だからこそ、上述の根拠
不明なガセ情報に飛びつき、鬼の首を取ったように喜び掲げ、「ほらやっぱり奴らは
間違ってたんだ」と狂騒するのだ。一次情報は伝達され、やがて出所がぼかされてい
く。偽物と本物の境界が曖昧になり、見分け難くなるのだ。

三つ目に挙げられるのは、日頃、組織に対して卑屈を抱いており、自分に都合よく
情報を切り貼りして宗門批判をしたい、「ためにする」輩。感情のバイアスがかかった
状態で、拡散している情報を手当たり次第に集めては、自身の正当性の主張のため
に批判している。二つ目と似てはいるが、意図的に批判情報を拡散しようとしているか
いないかが、その差だと考えられる。

しかし、よくもまぁこれだけマイナスイメージのものだけを、
マイナスイメージの言葉だけで書けるものだなぁ。
まんま「ためにする」ネガティブキャンペーンじゃないか。
かの筆者はそうとうヒステリックな感情のバイアスがかかった人間なのだろう。


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