いまさら やめては だめなのだ

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カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


803件の内、新着の記事から50件ずつ表示します。


[411] 一面的には

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月16日(月)14時45分13秒   通報   返信・引用

「誰か」がどんな理想を持っていて、それを実現させたとしても、それはその「誰か」の理想が実現しただけであって、自分の理想が実現したわけではない。

自分で何かをやろうと思えば、それは大変だけど、大変だからこそそれを越えた時、境涯が大きく開かれていくと思う。

漫画ドラゴンボールのスーパーサイヤ人も何倍もの重力の修行に耐えた肉体があったからこそ、その境涯(?)を開けたと見れるかもしれない。

同じ師匠を持ち、それぞれ理想を目指していくならば、一つ一つは一見違う事のように見えても、それが折り重なって、素晴らしい未来を切り開いて行けると信じたい。

最後に池田先生のスピーチを引用します。

>我々の胸中にも、永遠に勝利しゆくための、厳然たる「不二の山」が実在していることを、絶対に忘れまい。それが創価学会の信仰である。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29705




[410] 革命こそ蘇生様

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月16日(月)10時18分50秒   通報   返信・引用

お答えいただきありがとうございました。

3名の方たちが何を目指し何を望み、どこを着地点とされようとしているのかは私には今の時点では判りかねます。

ですが、3名の方たちが実名で声をあげ顔を出した行動は、創価の組織改革の分水嶺となるのではないでしょうか。そろそろ組織という枠ぐみが外れる時を迎えるのかもと少々の期待をしています。



[409] Re: 6月4日

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月16日(月)09時45分45秒   通報   返信・引用

おはようございます。
ここ共感しました。

> やわらかくいくと
> 悪いのは自分ではなく本部なのだと聞いて安心したい というところに共感をひろげ減速となり

悪いのは自分ではないと思いたい、この弱い心に打ち克たないとと、我が身を振り返って考えさせられました。

数人の執行部の思うように数十万、数百万の大勢が、なんなく動いてしまうことの異常性。自分がこの現象の一部であったことは間違いないからです。



[408] Re:6月4日

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月16日(月)06時06分31秒   通報   返信・引用

3名の方たちが本当に何かを変えたいと思うなら
期待にそのまま応えていくというのは
微妙なところであり
難しいところであると思う。

大衆心理として
本部はこんなに悪いところだと聞きたいというのは

やわらかくいくと
悪いのは自分ではなく本部なのだと聞いて安心したい
というところに共感をひろげ減速となり

激しくいくと
極悪の学会本部を撲滅する日まで
たとえいかなる犠牲をだそうとも・・・
って、憎し憎しが先立って平和思想とはほど遠くなる。

いろいろ模索しながらになるんだろうなと思う。

一人ひとりが主体者の心で
アドバイスしあいながら
共戦していくものの内の一つ

というぐらいのつもりで
それぞれが善知識として縁していければ良いんじゃないかな?

小林節さんの参議院に立候補は知ってか知らずか
どちらにせよ

この運動の延長線上、無関係では無いところで
この段階で国政へ声を届ける新しい動きが顕在化するというのは
なかなかに面白いとも思う。



[407] 6月4日の横浜集会

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月15日(日)12時16分26秒   通報   返信・引用

小林節さんが見える予定のようですが、どうなるんでしょうね?

3名の方たちは小林節さんが参議院に立候補されることを知っていたのか?

フライングなのか?

私は本部内で起きてる問題を3名の方たちが語ってくれることを期待してましたが1回目の時は

方向性が違ってましたね。



[406] 思考の囚われ

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月13日(金)12時22分32秒   通報   返信・引用

私を含めた学会員の生命の傾向性として
自分の方が正しい、偉いと思い込み
絶対に自らの非を認めず
その対象の方が悪いと決め付ける
というものがあると思います。

あなた題目あがってるの?
変な情報に生命力を奪われているんじゃないの?
処分されるのはそれだけの理由があるんじゃないの?
学会本部に魔が入るはずがないでしょう?
日顕宗と共産党は悪なのよ。

自動的に反射的に反応する。

これでは対話にならないと思う。
皮肉な事に、対話を掲げる創価学会員こそ
対話が苦手なのかもしれない。

これは実に臆病な姿であると思う。
これもまた皮肉な事に、勇気を掲げる創価学会員こそ
臆病者なのだと、世間から笑われてしまうのである。

面白いところでは
>>極端な一例として私の紹介者を挙げますと、彼は学会三世で高等部までバリ活(だったらしい)ですが、まず素直に謝罪出来ません。
かれこれ二十数年の付き合いになりますが、まともに自分の非を認めた事が一度しかありません。独善的な考え方は改めろって何度も忠告しているにも関わらず、治りません。
「この皿は今日、割れる運命だった。だから俺が割ったんじゃない」このぐらいの事を平気で言います。
全て回りのせいにして全ての忠告に独自の反論をしてきます。世間ではそれを言い訳と呼ぶんだよって教えてあげたんですが、治りませんw<<

これは、信心が分からず離れていく人たちの声だ。
そういう姿を見て創価学会から去っていくのだ。
https://signifie.wordpress.com/2016/05/04/%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E5%89%B5%E4%BE%A1%E8%84%B3/#comments

さて、
自動的に反射的に反応する生命に対して
自動的に反射的に反応できない事案をぶつけたら
どうなるだろうか?

冷静に判断するきっかけにならないだろうか?

その事案の一つとして可能性があるのは「嵐桜」が思い当たる。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43331
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43667
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43671
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43679

「嵐桜」は、池田先生と学会員の「心の財」ですよね?
当然、蔵の財より身の財より大切にしなくてはならないですよね。
それが簡単に処分されてたらどうなんでしょう?

ただでさえ桜の木というものは学会員にとって
「日興上人は、伊豆・鎌倉と、大聖人に常随給仕される一方、四十九院の住僧の資格も持ち続け、そこを拠点に天台宗の僧侶らを次々と折伏していかれた。
 文永五年(一二六八年)、二十三歳の日興上人は、決然と幕府に訴状を提出されている。
 これは、実相寺の院主の乱行を、五十一力条にわたって糾弾されたものである。
 その訴状によれば、たとえば、院主は、本堂や諸堂・経蔵などが破損しても、全く修理しなかった。
 ましてや、今日、信徒の赤誠の浄財の供養によって建立された尊い建築物を、自ら勝手に破壊するなどという所業は、言語道断である。
 また、その一項目として、寺の由緒ある桜を切ったことも糺されている。
 桜を一本、無闇に切っただけでも、日興上人は弾劾された。
 これほどに桜を愛惜される御心を汲んで、私は幾多の桜を植樹して、総本山を荘厳した。
 その桜を、幾百本も無残に切り倒したのが、現宗門である。
 さらに院主の坊に遊女を招き、遊興にふけるという醜行を、日興上人は容赦なく指弾された。
 いわんや、一宗の法主が裁判所によって、買春の事実を明白に認定されるなどという現代の醜態は、仏法史上、前代未聞の不祥事である。」
http://d.hatena.ne.jp/peppie/20010206/981436977

というもののはずである。

ましてや池田先生の心の入った桜である

<参照>【北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43668

処分される方が悪いとは、まさか言えませんよね。
桜の木は立っているだけだから処分する方が100%悪いですよね。

つまり
創価学会は間違った判断や処分をすることもあるって事ですよね。

創価学会の未来を考える時
思い込みを一旦外して(創価脳を意識的にフリーズさせて)
客観的な意見や現実を見聞きして判断する事が
必要不可欠な時代に入っていると思います。

そうしないと、まともな対話にならず
建設的な価値創造の未来は開けないと思います。

池田先生が一人切り開いてきた道ですが
次は私たち一人ひとりがやっていかなければ
道は断絶し閉ざされてしまうのです。

目を背けず「中は正しく外は間違いという事に囚われた偏見」を外すべきです。

「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」とは

深く(信心の強さ=仏性、生命の尊厳への気付き、諸法実相)
大きく(思い込みの囚われを超える、三毒四苦八苦も排除でなく包み込む、法のため人のために行動)
境涯を開き(今ここ、自己自身の問題、人間革命)
自分自身と(自ら世界を知れ、自ら世界を見よ、自ら世界と交流せよ)
創価学会の(創価自ら世界を知れ、創価自ら世界を見よ、創価自ら世界と交流せよ)
目の覚めるような・発迹顕本を(新たなステージ、新たな潮流、新たな和合)
頼む(池田先生はやり抜いた、後は弟子の我々の戦いである、出でよ十万の池田大作)

とのメッセージではないかと思うのです。

聞く耳を持ってもらう意味でも
嵐桜の件は重要だと思います。

そういう中道に立って
宗門との関係も考えて行きたい。



[405] Re: 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月12日(木)18時53分13秒   通報   返信・引用

蓮香さん

「一人の犠牲も出さない」
とは、口では簡単に言えますが
なかなか難しいことですね。

教学部レポートでも、そんなようなことが云々されていましたが、はてさて・・・。



[404]

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月12日(木)14時50分40秒   通報   返信・引用

映画、屋根の上のバイオリン弾き
http://white-miso.seesaa.net/s/article/277880036.html
伝統的なしきたり(戒律)を守る信仰
娘たちの幸せと天秤にかけ揺れる心
押し寄せる時代の暗雲

なんか、そんなのを思い起こしてみたり。

日蓮仏法の戒について考察している
ブログを見つけた。
http://taniken3.blog114.fc2.com/blog-entry-221.html

なんていうか、
何に縛られているんだろうな?

暗黙のルールみたいな
そういうのなんなんでしょうね。

何の枠組み、何の壁だろうかと思う。



[403] Re: 参考までに

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月12日(木)09時31分27秒   通報   返信・引用 > No.402[元記事へ]

> なるほど、そんなことがあったのですね。
>
> その御友人は、第二次の時はどうされたのですか?
> そのまま日顕宗に残られたのですか?
>
> 彼女は、第一次も第二次も先生と学会が悪かったと思っているのでしょうか?
>
友人は第2次宗門問題が起きるまでは、法華講員でありながらも 選挙のときは北陸から東京まで公明の支援活動をしていました。しかし、第2次宗門問題が起きてからは徐々に学会に対しても先生に対しても変化していきました。先生に対して、池田先生?名誉会長?池田さん?池田氏。私の気持ちを気遣って決して呼び捨てにはしませんでしたけどね。私は第2次宗門が起こった時にこれで彼女を学会に戻せると思い聖教新聞、創価新報の記事を送ったり何年にもわたり話し合いましたが平行線状態で、それは今も続いています。

特に学会が教義改正をしてからは友人は「学会がおかしかったんだ、学会はあの時に私を受け入れなかったけど、お寺は違うよ、いつでも蓮香ちゃんや学会の人たちを歓迎するわよ」と言ってます(苦笑)

学会関連の裁判の結果が聖教で報道されていることと真実は違うことも彼女を通じて知りました。

それでも創価をでずに池田先生を信じている私のことを強烈な創価??にやられてるとか(笑)



[402] Re: 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月12日(木)07時29分16秒   通報   返信・引用

なるほど、そんなことがあったのですね。

その御友人は、第二次の時はどうされたのですか?
そのまま日顕宗に残られたのですか?

彼女は、第一次も第二次も先生と学会が悪かったと思っているのでしょうか?


> 戸田先生のご指導をご紹介いただきありがとうございました。
>
> その通りなのでしょうが、第1次宗門問題のときは組織の長が本人に了解を取らずに法華講に移動してしまったなんて、今では有り得ないと思うことがざらにあいました。私の学生時代の友もその中の一人でした。
> 彼女から自ら望んで宗門にいったのではないから学会の組織に戻りたいと私に相談がありました。
> 私は微力ながらも彼女を壮年の区幹部に合わせ指導を受けさせたり当時の私の出来得る限りのことをしました。最終的には私自身が学会本部に出向き彼女を学会の組織に戻してほしいと談判もしました。
> しかし、当時の学会本部の答えはNOでした。「やっと宗門と学会の関係が修復の道筋ができ始めたんです。例えどんな事情があったとしても信徒の取り合いはまた火種をつくることになりかねません。法華講も学会も同じ大御本尊に南無してる同志です。組織は違ってしまいましたが、そちらで頑張ってくださいとお友達にお伝えください。」こういわれ友は法華講の中で信仰を頑張って結果を出すことに燃えて毎年のように折伏をして本尊流布をなしとげ、考えられないようなご供養を続けています。これが自分を受け入れていくれなかた学会へのリベンジだそうです。こんなことが数十年前にありました。どうしようもなかったことです。単純に誰が悪いとか決めつけられることではありませんでした。



[401] Re: 参考までに

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月11日(水)21時36分46秒   通報   返信・引用 > No.399[元記事へ]

戸田先生のご指導をご紹介いただきありがとうございました。

その通りなのでしょうが、第1次宗門問題のときは組織の長が本人に了解を取らずに法華講に移動してしまったなんて、今では有り得ないと思うことがざらにあいました。私の学生時代の友もその中の一人でした。
彼女から自ら望んで宗門にいったのではないから学会の組織に戻りたいと私に相談がありました。
私は微力ながらも彼女を壮年の区幹部に合わせ指導を受けさせたり当時の私の出来得る限りのことをしました。最終的には私自身が学会本部に出向き彼女を学会の組織に戻してほしいと談判もしました。
しかし、当時の学会本部の答えはNOでした。「やっと宗門と学会の関係が修復の道筋ができ始めたんです。例えどんな事情があったとしても信徒の取り合いはまた火種をつくることになりかねません。法華講も学会も同じ大御本尊に南無してる同志です。組織は違ってしまいましたが、そちらで頑張ってくださいとお友達にお伝えください。」こういわれ友は法華講の中で信仰を頑張って結果を出すことに燃えて毎年のように折伏をして本尊流布をなしとげ、考えられないようなご供養を続けています。これが自分を受け入れていくれなかた学会へのリベンジだそうです。こんなことが数十年前にありました。どうしようもなかったことです。単純に誰が悪いとか決めつけられることではありませんでした。



[400] 俯瞰

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月11日(水)21時30分33秒   通報   返信・引用

http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/3942.html
http://www.correct-religion.com/ryouran/html/souka_1.html
http://jagihashaku.main.jp/shoshinkai/29.htm

破門通告が平成3年
永遠に日顕宗と決別のスピーチが
平成4年11月

意味合いとして僧俗差別、唯授一人血脈
との決別じゃないかと思う。

そうすると
個々人の信心・創価の師弟の信心によって
一大秘法の大御本尊と日蓮大聖人に
直結し、「戸田先生と同じ悟達の境涯」を
得る事が絶対的幸福境涯であり
一生成仏であるというニュアンスが
あったのではないかと思われる。

しかるにここへ来て
悟達の中身を説明しようとした
法華経の智慧を学ばず
一大秘法を捨て

身延の教学に近くなり
学会本部の絶対化が進み
会長の血脈が顕在化してくるとあらば

あれ?何かおかしいぞ。であり
元の木網であり

一から考え直さなくては
ならないのでは無いだろうか?

二世たちの信心の動向に
親の墓がある宗門に戻っていく流れや
創価学会は宗教とは呼べない活動しか
していないとして離れていく流れがある。

例えば
https://signifie.wordpress.com/
こんなブログもあるようだ。

永遠に決別と言って
アルベア論で言う
反作用に始終しているようでは
同じ事が繰り返されるだけ
では無いかと思う。

超えるという方向性は
どうすれば得られるのか?

そういうところをこそ
私はずっと述べてきたつもりである。

アルベア論で言う
正、反、→合という事を考えると
あながち宗門との事を考え直すのは
無駄では無いと思う。

俯瞰した立ち位置で
永遠に決別の文言も
もう一度とらえ直せないだろうか?



[399] 参考までに

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月11日(水)17時05分10秒   通報   返信・引用

下記は、昭和27年6月28日に大講頭を罷免された戸田先生の坊主および脱会者に対する言葉(聖教新聞・寸鉄)です。

一、信心の弱い者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを拾って喜んでいる。

一、それぢゃその坊さん屑(くず)買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。

一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしているよ。

一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのは凄いだろうね。

一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童(おおわら)わだ、天晴れものだ。
(昭和27年10月20日)



[398] Re: 永遠に決別

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月11日(水)08時54分0秒   通報   返信・引用 > No.397[元記事へ]

私が先生の真意は僧俗和合を望んでいると思う理由は先に述べた以外でもう一点あります。

それは、池田先生は創価学会の会長だけではなかったからです。法華講の総講頭でもあられたからです。

第1次宗門の問題の時に地域によっては支部や地区単位で個人の意思にかかわらず宗門側について行かれた人達が結構いました。勿論、そのことは先生もご存じでした。そういう人たちを先生が忘れてしまったとは私には思えません。





[397] 永遠に決別

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 5月11日(水)07時33分50秒   通報   返信・引用

本幹だったと思いますが、先生が言われていました。

それまでは、日蓮正宗がまた正常に戻れば一緒に広布を目指すと思っていましたが、それは無いんだなと認識したことを記憶しております。

ただ『日顕宗とは』と言われていたと思いますので、「また正常に戻れば」とも受け取れなくもありませんが、聞いた時の私は『日蓮正宗とは』無いと受け取りました。

今でも、そう思っています。



[396] Re:先生の真意

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月10日(火)01時04分47秒   通報   返信・引用

蓮香様の見解、非常に頼もしく思います。

またここへ来て頂き、ありがとうございます。
だいぶ迷いが減ったようにお見受けします。
なによりです(^-^)



[395] 先生の真意

投稿者: 蓮香 投稿日:2016年 5月 9日(月)18時10分27秒   通報   返信・引用

久しぶりに書き込ませていただきます。
私は先生のご真意は今でも僧俗和合を望んでいると思っています。
そして、それを執行部を中心とする弟子に託されたのでは…
そう考えると先生が表に出られなくなる数年前より、執行部達を糾弾されたことも
宗門と袂を分かって20年以上も大御本尊についてふれずにきたことも
納得がいくのです。
日蓮仏法を正しく令法久住していくためには僧俗和合していかなければ達成して
行くことは出来ないと。



[394] Newtype様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 9日(月)10時19分9秒   通報   返信・引用

貴重な新来者です。ありがとうございます。

>私としては、創価の宗教団体としての正統性は、やはり日蓮正宗に列なる(外護する)信徒
>組織という点にあったと思う。創価が宗門に破門されたことにより、外野が煩くなってき
>たが、教義変更までしてまったく別物の宗教であるかのようにこちらが変わってしまう
>必要はなかったろうと。

これは全くその通りだと思うのです。

集金や集票のシステム、組織の体裁を残して
外野の煩わしさから信仰の中心をなんだかよく分からないものにするのは

一般の社会で言うと
上司から、「会社を辞めるか、信仰を捨てるか、どちらかを選べ」と迫られ
「信仰を捨てます」と答えているようなもの。

そう見れる眼があれば、それが間違いである事は明白です。

四条金吾への日蓮大聖人の指導、
創価学会が今までしてきた指導に違背しています。

心が退転となっています。

そういう後ろめたさがあって
言論を封殺し、除名などを乱発する。

悩乱状態だと思うのです。



[393] Re: 宗門問題俯瞰への一歩

投稿者: Newtype 投稿日:2016年 5月 8日(日)16時25分37秒   通報   返信・引用 > No.392[元記事へ]

お初です。ここのところ宿坊板に現れるようになった者で、こちらでもよろしくお願いします。

> 「日顕宗撲滅キャンペーン」に比べると
> 日蓮正宗の方がまだ冷静に見解を述べているようにも見える。
> http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/SHIRYO2/C02.htm

ところで、こちらのリンク先を読む限りでは、創宗対立の問題で、あちら側の言い分にも
分かる面はあるなと自分は思いましたね。

> 今現在のような、互いのところの御本尊を
> 魔が住んでいて祈ったら地獄に堕ちるもの
> としているような状態がまともか今一度見つめ直すべきかもしれない。

私としては、創価の宗教団体としての正統性は、やはり日蓮正宗に列なる(外護する)信徒
組織という点にあったと思う。創価が宗門に破門されたことにより、外野が煩くなってき
たが、教義変更までしてまったく別物の宗教であるかのようにこちらが変わってしまう
必要はなかったろうと。
あくまでも破門した宗門が変節したのだと主張し続けていればよかったのではないかと
思うんですよね。



[392] 宗門問題俯瞰への一歩

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 8日(日)01時24分37秒   通報   返信・引用

宿坊の掲示板から
>男の嫉妬は、火がボゥ~ボゥ~  投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 5月 7日(土)15時24分58秒

昭和55年の御法主日顕上人御指南を読まれた方は、アレ?と思われたと思います。全く怒りが無い、正常な人間の発言です。

それが、何故、『あの野郎の首をカットする意味だ、へっへっへっ』となるのか?
ここに、彼自身に内在していた畜生の生命が縁(人脈)によって惹起して、男の嫉妬に火をつけることになります。犯人は、ご承知の通り、今も健在な創価学会最高幹部さま方。

実は、この犯人は、先生に嫉妬していたから益々、僧侶やら外部の識者にも火を放ちますが、小林節さんや全うな方々は相手にしない為に、逆ギレして『学会は認めない!』なんて犬みたいにキャンキャン言う訳です。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45930

昭和55年ですと、私は4歳・・・

多くの時間を何の疑いも無く執拗な
「日顕宗撲滅キャンペーン」の中で生きてきた私などにしてみると
自力では外しがたい囚われの向こう側の視点かもしれません。

「日顕宗撲滅キャンペーン」に比べると
日蓮正宗の方がまだ冷静に見解を述べているようにも見える。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~shibuken/SHIRYO2/C02.htm

昭和54年を改めて考えてみるに
本来ならば、宗門と創価と共の発迹顕本を目指していたのかもしれない。

万年の時の流れに耐える世界宗教への飛躍とでも言おうか。

それを考えるにつけ、日蓮仏法本来の
「民衆自身が自ら自由を勝ち取っていく妙法」
の部分を開ききらなければならない。

それは必然、在家中心の信仰活動の部分でもあり
一時的に日蓮正宗の伝統と対立してでも

池田先生が矢面に立ち、責任を負って
両立・共存・和合・止揚等の道を模索し目指していたのでは
ないだろうか?

その大切な局面で、池田先生を裏切り
全部ぶち壊しにした人々がいるということだ。

そしてその生き残りが未だ
創価学会の最高幹部に居座っているという事だ。

先日、反宿坊板に書かれていた宿坊批判の記事だが
視点を変えれば「秋谷学会の体質」そのものではないだろうか?
私自身、その体質を免れきっていないかもしれないし
日蓮正宗も反作用をなしている根深いものだ。
創価学会がしてきた「日顕宗撲滅キャンペーン」に照らして
冷静に判断するべきではないか?

今現在のような、互いのところの御本尊を
魔が住んでいて祈ったら地獄に堕ちるもの
としているような状態がまともか今一度見つめ直すべきかもしれない。

以下、かの記事から 秋谷学会の体質を考え、言い換えてみる。

「日顕宗撲滅キャンペーン」には三種類の立ち位置がある。

一つは、根拠のないデマ話を本当にあった出来事かのように文書等にする輩。こ
れは主に、54年の裏切り者の生き残りを中心とした職員連中が当たる。知り得た
断片的な情報を繋ぎ、誇張し、尾鰭を付けて、整合性を取って偽装し、後はそれ
なりに備わっている文章力等で作成するのだ。言うまでもなく、職員であっても、学
会と宗門の中の全ての情報を知り得ることなどありえない。ましてや、完全に故意に
捏造したことを全て見てきた真実かのように語るなど論外。何が良い事で何が悪い
事か感覚が麻痺しているのだ。善悪の判断が出来ない者に指導者の資格はない。

二つ目に、以上の文書化等された情報を拡散し、伝達する輩が挙げられるだろう。
カットされたと教えられた者にとって、今まで尽くしてきた信仰の中心地が剥奪され
ることは、このうえない苦痛となる。とりわけ、「自分には何ら欠陥はない」と思い込ん
でいる者ほど、その信じていた存在から切り離される苦痛は、言語に絶する。よって、
苦痛を感じる自らの存在性を正当化することが急務となる。だからこそ、上述の根拠
不明なガセ情報に飛びつき、鬼の首を取ったように喜び掲げ、「ほらやっぱり奴らは
間違ってたんだ」と狂騒するのだ。一次情報は伝達され、やがて出所がぼかされてい
く。偽物と本物の境界が曖昧になり、見分け難くなるのだ。

三つ目に挙げられるのは、日頃、組織に対して卑屈を抱いており、自分に都合よく
情報を切り貼りして宗門批判をしたい、「ためにする」輩。感情のバイアスがかかった
状態で、拡散している情報を手当たり次第に集めては、自身の正当性の主張のため
に批判している。二つ目と似てはいるが、意図的に批判情報を拡散しようとしているか
いないかが、その差だと考えられる。

しかし、よくもまぁこれだけマイナスイメージのものだけを、
マイナスイメージの言葉だけで書けるものだなぁ。
まんま「ためにする」ネガティブキャンペーンじゃないか。
かの筆者はそうとうヒステリックな感情のバイアスがかかった人間なのだろう。



[391] 法四依

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 6日(金)11時08分37秒   通報   返信・引用

四方八方、様々な人間の様々な意見がある。
100%同じ考えの人間はいない。
それでもなお、何か同じ理屈によって
同じ人間としてこの世に生まれてきている。

誰もが違うけれども
誰もが同じなのである。

このような世界の中で
何を根本とすれば上手くいくのか。

人間の共通項の部分が望む変革を
どうすれば成す事が出来るのか。

本来、それを説いたのが仏法なのだ。

変革とは反転現象からなる。
天台大師は法華経に反転の中心軸を見た。
日蓮大聖人は、その反転の実践方法を説いた。
戸田先生は生命哲学として民衆の中に広めた。

本来、創価学会は、この流れを汲まなくてはならない。
ところがどうだ。

気休め仏法に成り下がってはいないだろうか。
それで気が休まるならば、まだ良いが
流れの断絶による反作用で
閉塞、疲弊、欠落がもたらされるのだ。

これを変えるためには、
今ココから、現当二世の新たな変革を起こすべきである。

何に同調し、何を根本とすればそれが成せるのか。
何に依るべきなのか。

それを考える時、法四依を満たすものであるべきである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%9B%9B%E4%BE%9D
この四つ
意味に依拠して、文辞に依拠しない
智慧に依拠して、知識に依拠しない
仏の教えが完全に説かれた経典に依拠して、意味のはっきりしない教説に依拠しない
真理(法性)に依拠して、人間の見解に依拠しない

ようするに
変革したい対象がある。
54年問題や創価の現状
もちろん個々人の些細な何やかやも同じ。

それを変革する側
個人の一念の奥底に何を置くべきか。
こちら側の何を中心として反転を起こすかという事。

信心とは本来そういうことなのだと思う。
そういう信念であるはずなのだ。

義浄房御書(己心仏界抄)
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_51470.html
「日蓮云く一とは妙なり心とは法なり 欲とは蓮なり見とは華なり仏とは
経なり、 此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、 一心に仏を見る
心を一にして 仏を見る一心を見れば仏なり 無作の三身の仏果を成就せ
ん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり」

毎日勤行で読んでいる自我偈の
一心欲見仏が妙法蓮華経と対応している。
不自惜身命とは帰命、南無かもしれないが、明記されていない。

結果、「仏を見る一心を見れば仏なり」となり
「無作の三身の仏果を成就」となる。

つまるところ
私自身が成したいと思っている変革は
私自身が成していくという事である。

中心が同じなら
全体が動くのだ。

中心を合わせ、祈り動かすのだ。



[390] 具体性

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 5日(木)15時04分55秒   通報   返信・引用

人が悪いのか
制度が悪いのか
運営が悪いのか
慣習が悪いのか

その代案はあるのか
改革の方法論はあるのか
それを実行する人間はいるのか
賛同を得られる明確なビジョンはあるのか

こんな不特定多数に見られる所に
書くことはどうか分からないが
まぁ、個人として考える分には
問題はないだろう。

組織の中で、まっとうにやる場合でも
考えなくてはならない事でもあるはずだ。

ならば、臆する事なく
堂々と書く。

創価の未来に栄光あれ!



[389] クール創価

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 5日(木)11時19分15秒   通報   返信・引用

youtube【国会】麻生太郎の名演説 クールジャパンについて
https://www.youtube.com/watch?v=s2Syz1Xs1Mw
これは日本人の思ってる日本の良さと
海外から見た日本の良さは違うって話。

ひるがえって、創価学会の良さとは何か?

「日蓮仏法の正しさなんて言うのなら
君たちが何と言おうと吼えようと
日蓮正宗の方に正当性が有るんじゃないのかい?」

「日蓮仏法という枠だけに留まらず
宗教間の対話にせよ、文学の世界、音楽の世界
政治の世界、人間の教育、平和運動にいたるまで
そういう広がりにこそあるんじゃないのかい?」

「日蓮仏法と、師匠の言葉だけ学んで
それが正しい道だと思ってるのは
違うんじゃないのかい?」

「何かを成そうと思うなら
広く学んで自分の言葉で語りなよ」

「もし、どんな理由にせよ今のままの創価学会が良くて
波風立ってほしくないと思っている人間もいるのなら
そういう人の意見もちゃんと聞くべきなんじゃないのかい?」

「そんな狭い視野で正義だとか思っているのなら
それこそ思い込みなんじゃないのかい?」

「君はまだ何も成せていないよ」

「導きたいのならもっとちゃんと
導くべきだし、
やりたいなら、ちゃんと仲間を集めて
連携をとってやるべきだ」

例えば、銀河系(天の川銀河)の姿は
想像図でしかない。
誰も外から見た人はいない。

どのようにして俯瞰するべきか?

そしてまた、なぁなぁで終わらせないために
勢いを持って前進を開始しなくてはならない。

いまさら、やめない。

掲示板だけに留まらない対話を広げないと、と思う今日この頃。



[388] 2016.5.3

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 5月 3日(火)09時01分17秒   通報   返信・引用

伝言

 わが胸にひときわ光を放つ七期生が、また一段と立派になり、母校に帰ってきてくれて、こんなに頼もしいことはない。君たちが母校のために、影に陽に尽くしてくれていることも、全部、聞いています。本当にありがとう!
 ご家族の皆さん方も、よく来てくれました。
 先日、私は発展を続ける創大のキャンパスを嬉しく視察しながら、まだ環境の整わない草創期に勇み集って、見事な伝統を築いてくれた君たちのことを思い浮かべていました。
 なかんずく、三十五年前、一番大変な時に、要の学年として、わが創大を守り抜いてくれた七期生のことを、私は誉の愛弟子として、一人一人、生命の奥深く刻み付けております。
 早いもので、あの若き君たちも、私が難を乗り越えながら、日本全国、全世界を駆け巡っていった年代に入った。いよいよ、これからが勝負だ。まさに「悔しい嵐の中を突き進んでいかねばならない」試練も多々あるに違いない。しかし、師弟は不二であるゆえに、私に続いて、君たちも一切を断固と勝ち越えてくれたまえ!
 それぞれの尊き使命の舞台で、「賢者はよろこび愚者は退く」と、今世の悔いなき大勝利の劇を、深く大きく飾りゆかれることを、私はこれからも祈りぬいていきます。
 皆さんを送り出してくださった偉大な父上方、母上方にも題目を送り続けています。皆、聡明に健康第一であれ!
 誓いに燃ゆる七期生よ!私と共に、永遠に輝き光れ!

二○一四年五月三日              創立者        池田大作

---------------------------------------

皆さんご無沙汰でした。
上記は一昨年の5・3、創価大学で七期卒業生が先生からいただいた「伝言」です。いただいてからちょうど二年が経過しましたが、この二年間は私の生涯の中でも波乱の大きな期間でした。
この「伝言」は七期生の会合の中で読み上げられ、帰り際に印刷物としていただいたものですが、読み上げられるのを聞いている最中、「いよいよ、これからが勝負だ。」と聞いた時は、正直云って驚きました。もう決して若いとは云えない年代です。後進に席を譲るべき時が近づいている世代です。その私どもに先生は、「これからが勝負」と云われたのです。
老いの近づく私どもに先生がこのように云われるからには、それ相応の意味があるに違いないと思った私は、3年後の誕生日までを修行の時と定め、日々2時間の唱題を重ねていこうと決めました。そのような中に惹起したのが会則改正問題でした。
「破邪顕正之書」は昨年2月から考え推敲し、5月の今頃に一応の完成を見て世に問うたものでした。その後も思索を重ねて、「創価学会第七代会長は女子部から」とか、「創価と宗門が共に発迹顕本を成し遂げ、真の僧俗和合を」等、述べてきました。
その後、仕事に忙殺される日々が続き、思索も投稿も疎かになっておりますが、この仕事に忙殺されることも修行の一環と定め、今はその境遇に身を投じています。この経験は必ず将来、役立つものだと信じることが出来るからです。
今生の私の使命は「創価学会の発迹顕本」と定まりました。今はまだ、その手段も方途も見えてはいませんが、一昨年、先生から「伝言」をいただいてから後の出来事を振り返れば、今後の展開の中で必ずや見いだせるものと確信しています。
「いまさら やめては だめなのだ」なのです。続けていくのです。そうすれば「継続は力なり」ですから、力も福運もついてくるのです。その結果、創価も宗門も発迹顕本を成し遂げることが出来ましょう。私の世代で出来なくとも、次の世代、またその次の世代が、「真・僧俗和合」を築いてくれることでしょう。



[387] をや

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 2日(月)18時05分5秒   通報   返信・引用   編集済

天網恢恢疎にして漏らさず
まして仏法に於いてをや

一大事生死血脈
まして生ある師弟に於いてをや

提婆達多さえ信心があれば善知識
まして広布の同志に於いてをや

蒼蠅驥尾に附して万里を渡り
碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ

自身の生命活動に気付けば
縁起の法界は、己心の外には無い

真・僧俗和合へも
祈り起こせば、諸天現るるなり

独り語りだけでは寂しいので
またぞろ宿坊の投稿を拾っておきます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/45588
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45594
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45597
インド仏教衰退のような歴史を繰り返しては
ならないですね。今、深く考察したい部分です。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/45587
教学を生命観をもって語る。これ。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/45591
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45607
気付く事の重要性。変革はここから。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/45620
また、ゆっくり研鑽しようと思います。

さて、日蓮正宗側の信徒視点も
清浄な信心の世界が実現すれば
解り合えるのでは?と見れないだろうか?
日蓮正宗に入信して一年という
ブログの記事を見つけた。
なぜか不意に浮かんで冒頭に書いた
天網恢恢疎にして漏らさず
からの検索で見つけた記事だ。
http://mayoibito2014.blog.so-net.ne.jp/2015-04-06

しかし、日蓮正宗を一歩引いて考えてみるに
「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります・・」(「能化文書」平成三年九月)
こういう権威主義は頂けないな。

歴代の御法主上人に限定したらダメでしょ。
生命観から見て。

さて
日蓮正宗にも
創価学会にも
権威主義が現象化している
という事に対して

無作三身の生命活動としての
南無妙法蓮華経への回帰を
自己自身の内から起こす運動

10万の池田大作の実現という
方向性で結実させていく。

その一点突破ではないだろうか?



[386] 真・僧俗和合

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 1日(日)10時52分8秒   通報   返信・引用

管理人のスーパー摧邪人様ブログ
http://macska2012.blog.fc2.com/

女性会長待望の声が宿坊の掲示板でも聞かれ
創価教学の、三世の生命観さえも瓦解していく様を
考えるにつけ

「真・僧俗和合」の新時代を築くこと

についても考えていく頃合かもしれません。

「邪宗・日顕宗」と責め、創価の独自性を求める時
大御本尊も三世の生命観も捨て
日蓮大聖人を末法の御本仏と認めない人間を
教学アドバイザーに置く。

うん、法華経に違背しているよね?

その題目には功徳が無いよ?

日蓮正宗側にも、もちろん
様々な問題群がある。

だからこその

>創価も宗門も共に膿を出し切り体質を改善して、何十年かかるか分かりませんが、共に漕ぎ出だす新たな船出の日を迎えたいものであります。

とのスーパー摧邪人様の考えなのだと思います。

なにか、感じるところある方いましたら
ご遠慮なく書き込みされたし
と思います。



[385] キャパシティーと活動形態

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 5月 1日(日)10時30分1秒   通報   返信・引用

宿坊の掲示板が活性化している。
が、そのままの形のままで
耐えられる活動量はどれ位のものだろうか?

師弟不二ARCHIVE
http://sgi-shiteifuni.com/
地涌の菩薩(太ちゃんHP)
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
アルベア論
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/l50
いまさら やめては だめなのだ
ココ

こういう関係を見ると
まだまだいけるかもしれないし
そろそろ新しい展開が
もたらされるべきかもしれない。

3名のブログの座談会に参加した面々も
少なからず影響を与えていると思う。

まぁ、それはそれとして

また少しばかり
宿坊の掲示板の投稿を拾っておく。


日蓮が一門は師子の吼るなり  投稿者:革命こそ蘇生  投稿日:2016年 4月30日(土)10時53分9秒

三世の生命観の崩壊が
何を意味し何をもたらすか?

死んだら終わり
生きている人間の都合に合わせれば良い
という、愚考である。

21世紀のこの時代、生死一大事血脈なんてものを
本気で信じるのかい?
そんな人間は創価学会員じゃないよ。

池田先生の下で直に薫陶を受けた人間が
一番偉いに決まっているじゃないか。
ここに素直に従うのが創価学会員なのだよ。

と、

そういう空気、そういう生命。

これを変えなければ
執行部が入れ替わったところで
同じ事が続くか、混迷が訪れるか。

だから、まずは自身の中の
魔と向き合い切らなければならない。

気付き目覚める人間を増やさねばならない。

「永遠の法」に民衆を縛り付けるのは
カーストの土台となるブラフマンの考えへとなる。

これによってもたらされる
閉塞し疲弊し欠落しゆく愚考へ
開き蘇生し円満具足しゆく気付きを
もたらせる戦いだと思う。

およそ不幸の原因とは
間違った思想宗教にあるのだ。

運営の方法論などでどうにかなると思うのは
人間の傲慢である。
増上慢以外の何者でもない。

「第五作師子吼の事
御義口伝に云く師子吼とは仏の説なり説法とは
法華別しては南無妙法蓮華経なり、師とは師匠
授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法・吼
とは師弟共に唱うる所の音声なり作とはおこす
と読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作す
なり。」

南無妙法蓮華経をおこす。

この心で行きたい。


組織も生命体  投稿者:螺髪  投稿日:2016年 5月 1日(日)06時31分40秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45510
(抜粋)
豚、牛を追いたてるような組織運営では成り立たなくなってきているのです。まるでどこかの企業、団体のように、業務命令なんてやり方は通用しなくなってきているのです。会員は、職員やお囲いの議員ではないのですから。
 紙切れ一枚の活動方針や、決まった日に報告だけは要求するといった活動形態では、参画意識も、活動に挑む情熱もわきあがってきません。人間としての生の交流が、そこにはないのです。壮年の未活動の掘り起こしができないのも、非活動家が増えるのもあたり前の話です。対話なき活動も、心なき組織運営も、その実相即諸法の現れとしか言いようがありません。

 衆生に慈悲心があるのを見越して、その衆生の慈悲心を求めるは「慈悲魔」と言います。幹部が、自身は何も貢献してないで、会員にだけ貢献を求めるのは、それと同じです。組織生命体にも、十界があるのなら、畜生界や修羅界のような世界では、もう人はついて来ない。二乗もいる。菩薩もいる。十界本有、十界同時の成仏が本当の組織の在り方です。もう、ニワトリを小屋に追い込むような組織運営では成り立たないことを知るべきです。
 何ですか。活動停止、解任、除名って――。独裁国家と同じではないですか。口で「桜梅桃梨」と言っておきながら、行動で紋切り自分の「型」にはめようとするのは「偽善者」以外の何物でもありません。


昨日は・・  投稿者:生涯広布(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 5月 1日(日)08時05分24秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45516
(抜粋)
師匠からの乳離れ、これこそ、私たちの発迹顕本! 先生の指導の熟読、師弟教学の深化、先生の理想とされる組織を自分たちで作っていく。
悪が蔓延る時は立ち上がる。常に師匠を思い出し、師匠のおしゃっていたことを、常に頭と胸に描き広布の開拓、後輩、青年を育てていく。
一人一人が立ち上がる。

理想の組織を作っていく。師匠の理想の組織と違うと思った時には、立ち上がって悪を糾弾する。このような事でしょうか・・つまり、
先生が永遠に指揮を取っていくとおっしゃっている事の内実は、私たちが真剣に先生の指導を学習した時、広宣流布はできる・・
・・ 女性会長・女性副会長誕生を待ち望んでいます



[384] 三世の生命観

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月29日(金)11時09分29秒   通報   返信・引用

「先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし」です。
生命観の退化は、仏法の退化そのものであると思います。
「三世の生命観の放棄」こそ「一凶」ではないかとさえ思います。

>7年前に元の理事長と個人的に話した時は、宿業や輪廻を信じるのは正宗の思想であり、この国の中では私一人だけであり、私は日顕だと言われました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45381
http://6027.teacup.com/situation/bbs/45372

今年の初め、たまご様との生命観について対話しました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36315
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36325
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36354
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36387
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36404
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36412
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36414

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36416
創価学会教学部の現教学研究者 2012年
「元々仏教には業思想はなく、“過去の因を知らんと欲せばその現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せばその現在の因を見よ”の心地観経の一節はバラモン思想の混入で、
業思想のない仏教にあること自体間違っている。
法華経に混入している業病の話しは仏教とは関係のないもので、戦後の『宿命転換』という言葉は会員に判りやすく広めるための一時的なものだったはずが、誰もその言葉を止められずにこの瞬間も
間違われて使われている」

創価学会・東洋哲学研究所の研究
「『仏教は輪廻思想や業報因果論を主張する』という誤解は、かなり広まっている。しかし、真実は逆である。仏教は、輪廻や業報因果からの解放を説く宗教であった」
「“スッタ・ニパータ”の“アッタカ・ヴァッガ”に伝えられる限りの釈尊の「悟り」とは、本来、「悟りなどはない」という形のものであったのである。
『悟りなどはない』というと、語弊があるかもしれないが、解脱すべき、悟るべき「自己」という考えこそ、我執の最たる者ではないだろうか。
『《実在》視された《自己》こそ《我執》の核に他ならない時、どのような経過で《自己》の《解脱》があったにしても、《解脱》という名の《我執》の《完成》になる』という山口博士の指摘は、まことに正鵠を射たものといえよう」
(友岡雅弥「『法華経』の宗教性」『東洋学術研究』第34巻第2号 1995年11月)

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36421
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36427
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36428
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36441
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36447
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36452
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36453
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36528

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36533
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36552
http://6027.teacup.com/situation/bbs/36556

http://6027.teacup.com/situation/bbs/36609

集金・集票に都合がいいように
現世にばかり目の行くように
創価学会が変遷しているようです。

五義の教を知る 五重の相対 応用
http://sgi-shiteifuni.com/?tag=%E4%BA%94%E7%BE%A9%E3%81%AE%E6%95%99%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B



[383] 祈り

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月29日(金)01時00分39秒   通報   返信・引用   編集済

実際のところ私としては
打倒執行部や打倒公明党といったところが
目標や決着点だとは思っていない。

閉塞し疲弊し欠落しゆく愚考へ
開き蘇生し円満具足しゆく気付きを
もたらせんがためである。

テンプレのような事を書いても
最終的に公明を支援する可能性も
執行部の擁護へと回る可能性も
ゼロではない。

池田先生がどう考えているかとの議論があるが
はたして、どちらか一方だけの味方となる事が本心
という帰結は正しくないかもしれないとも思う。

各人が、自立し芯のある絶対的幸福へ至り
宇宙の生命活動に則り、社会貢献していく。
それぞれがそれぞれの使命を全うする。
それは桜梅桃李であり決まった一定のものではない。

歴史の転換点において激化する二項対立の中
自己を磨きぬいていかなくてはならない。

相対が起こっているかどうかという他人事の視点から
師匠の構想を実現するため・法のため・民衆のため・自己自身のため
人間革命を基軸として積極的に相対を起こしていくという視点へのシフト

その中で不二を体得していく。

観念は観念でしかない。
実際のこの身を不二の実体としていくのだ。

「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」
(三世諸仏総勘文教相廃立563ページ)
宿坊の掲示板でのやりとりを思い返してみる。

事の発端の一つにはこういうこと
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43230

グリグリ様の講義が聞きたいと要請の中で
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43141
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43142
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43148
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43149
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43154
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43204

カンピース様、螺髪様との教学交流
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43281
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43296
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43298
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43305

グリグリ様登場
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43336
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43338

グリグリ様講義
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43560
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43561
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43563
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43564
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43565

お礼
http://6027.teacup.com/situation/bbs/43568

心を定め、善縁の拡大と団結を
織り成すための

対話と調和への挑戦を続ける。



[382] 三宝一体

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月27日(水)10時53分51秒   通報   返信・引用

私自身、先日、宿坊の掲示板で見るまで
三宝一体までは学べていなかったのですが

私の言ってきたことにも絡むので
少々考察のほど

>>(無題)  投稿者:螺髪  投稿日:2016年 4月22日(金)12時04分41秒

大事なご教示ですから揚げておきます。
 報恩抄の一節です。
 「仏法を習い極めんとをもはばいとまあらずば叶うべからずいとまあらんとをまはば父母・師匠・国主等に随いては叶うべからず是非につけて出離の道をわきまへざらんほどは父母・師匠等の心に随うべからず」(P293)

 「仏法を習い極めようと思ったら、いとま(暇)がなくては叶うことはない。いとま(暇)をつくろうとするなら、父母・師匠・国主等に随っていては叶わない。是につけても非につけても、出離(出離生死=師弟)の道をわきまへない限りでは父母・師匠等の心に随てはならない」と通解できます。

 報恩抄と言えば、大聖人の兄弟子の浄顕房、義成房に、道善房の墓前で読みなさいと与えられた書です。浄顕房、義成房に与えられたということが大事です。両房の師は道善房です。大聖人の出家当時の師でもありました。天台・真言の僧であったと伝えられています。 その師に「出離の道をわきまへざらんほどは、随うべからず」とされているのです。師が仏法の本義から逸脱してしまったいたなら、随ってはならないということです。

 そして、「父母・師匠・国主等」「父母・師匠等」とされておられます。この「等」とは何か。この報恩抄でも、四恩抄でも、残された一つの恩は「三宝」です。仏宝、法宝、僧(僧伽)の三宝です。
 三宝は一体のものです。
 「凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり」(P142)
 と仰せです。
 教主(仏)と法と、それを護持する組織が一体という意味です。組織だけが大事なのではないのです。大事なのは、三宝の人間主義です。
 もちろん、その三宝の「僧伽」に狂いが生じていれば「随う必要はない」とのご教示とも拝せます。

「師弟の道」をわきまへない限りでは「おかしいことはおかしいと」と叫んでいいのです。<<

三宝一体は真言亡国の説明の中で涅槃経の文を引いた形で書かれています。
「凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり、爰を以て法華経には「則ち一切世間の仏種を断ず」と説く是を即ち一闡提と名づく涅槃経の一と十と十一とを委細に見る可きなり、罪に軽重有れば獄に浅深を構えたり、殺生・偸盗等乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども等活黒繩等の上七大地獄の因として無間に堕つることは都て無し、阿鼻の業因は経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法誹謗の者なり、但し五逆の中に一逆を犯す者は無間に堕つと雖も一中劫を経て罪を尽して浮ぶ、一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願うと雖も法華に背きぬれば無間に堕ちて展転無数劫と見えたり、然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり、是を以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや、」
通解 およそ謗法とは謗仏・謗僧である。仏・法・僧の三宝は一体であるゆえである。これは涅槃経の文である。このことを法華経には「すなわち一切世間の仏種を断ずる」と説かれ、この者を一闡堤と名づける。涅槃経の巻一と巻十一を詳細に見るべきである。
 罪に軽重があるので地獄にも浅深を設けている。殺生・偸盗など、そして三千大千世界の衆生を殺害したとしても、等活地獄・黒縄地獄などの上方の七大地獄の因となるが、無間地獄に堕ちることは全くない。阿鼻地獄の業因は経論の定めによると五逆罪・七逆罪・因果否定・正法誹謗のものである。ただし五逆罪のなかの一逆を犯す者は、一中劫を経過して罪は消滅し浮かび上がる。一戒をも犯さず仏道を求める心を固くして後世を願ったとしても、法華経に背いてしまうと無間地獄に堕ちてこの地獄を展転することが無数劫であると経文に説かれている。だから謗法は無量の五逆罪に過ぎている。これをもって国家を祈って、天下が泰平になることがあるだろうか。
http://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/cat_52612.html

まぁ、私の感覚から見た三宝の事は前に書いたと思うので、
ちょっと、違う切り口で考察する。

宗教的な権威というものは、往々にして尊極なるものを
民衆の自身の外に置きたがる。

僧(幹部)と檀徒(会員)、ありがたい側とありがたがる側、権威と従属。
その関係の確立のためのあれやこれや。

何か得体の知れない
我々は得ているけど、凡夫には到底得られないよ
というものの設定。

そういったものは日蓮大聖人の心からは離れていると思うのだ。
そういうものをありがたがることこそが
三宝一体を歪めてしまっていることであり
亡国の謗法への与同罪になるのではないか?

日蓮大聖人は、違いがあると思ってはならない。
自身の外にあると思ってはならないと繰り返し示されている。

はてさて、いろいろ調べる中で、
日蓮正宗の平成御書(御書作り直してたのですね)に
日興跡条々事が載っているとか

日興上人の建設時の大石寺と今の大石寺では
場所が違うとか

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13105835778

そういうことを色々考えてみると

付き従っていくことよりも
自身で自得し確立していくことが
本物の信心の道であるとしみじみ思う。

「我仏来」は自得なり

これなんだよね。



[381] テンプレ(公明支持派の方すみません。)

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月24日(日)00時41分36秒   通報   返信・引用   編集済

これを知っていますか?

2016年4月1日政府は「憲法は核兵器保有を禁止せず」と閣議で答弁書決定 しました。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ41540ZJ41UTFK00K.html

阿部首相は憲法9条を変えようとしています。
http://matome.naver.jp/m/odai/2136729889129931301

阿部内閣は男尊女卑や戦争可能な日本にする戦前回帰志向の日本会議に所属する議員が8割を占めています。
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63987874.html

創価学会は4月の本幹同中で
アクセル役とブレーキ役と公言。
開き直りとも取れます。
世間ではアクセル役になる事は
最も危惧されている事です。
http://teinennojisan.seesaa.net/s/article/416001164.html

池田先生は公明党にアクセル役ではなく
舵取り役を求めています。
また9条だけは絶対に変えてはいけないと
言っています。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=6820

集団的自衛権についても
国際社会に存在する戦力に対応して〝自衛〟できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。それゆえ、武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきているといえましょう。
と言っています。
今の公明党のあり方に声を上げる学会員、世界の池田先生の友人の識者も多数います。
http://sokauniv-nowar.strikingly.com/

もはや今の創価学会本部と公明党は
池田先生の指導を守る気も
平和思想を継ぐ気もありません。

熊本、大分の地震についても
直接会館に問い合わせないで下さい。
義援金は赤十字などを利用して下さい。
という無慈悲な対応です。

かつて創価学会でアボリション2000の
1300万の署名を集めた事を覚えていますか?
http://www.sokanet.jp/hbk/heiwa.html
アボリション2000は
9条を変える動き、安保法制へ声明を出しています。
https://nuclearabolitionjpn.wordpress.com/2014/08/05/abolition2000gcarticle9/

このような池田先生の意志に反した執行部が
池田先生が公の場に出られない間に
大御本尊を受持の対象にしないと
教義を変えていますが
これは、全く納得のいく説明がされていません。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=4388

さらには、まだ実現していないものの全SGIの権限を一極集中させる会憲が作られようとしています。
http://wrpandora.blog.shinobi.jp/Entry/424/

池田先生の指導に
正邪を見抜け
下から上に声を上げよ
という文言は数え切れません。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/38996

盲従してはいけません。
今がどういう時か、しっかり考える時です。
http://sgi-shiteifuni.com/?p=3063

政治について、池田先生の考えに
合致しているか今一度考えよう。
http://www.ningenkakumei.com/%E6%97%A5%E3%82%81%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA%E5%88%A5/%E6%94%BF%E6%B2%BB//

信仰を曲げてまで支援する必要は無い。
政治活動は公明党が主体的に取り組むべきであり
創価学会は信仰の活動の団体であります。



[380] 志向性

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月23日(土)12時01分6秒   通報   返信・引用

気付くためには題材が必要であると思う。
何によって気付くかは人それぞれ。
直面している現実、志向性などで変わる。
しかし、その表現は異なるものとなるが
気付いた本質は同一性、全体性であり
究極は不二なのだ。

さて、一昔前には
気持ち悪い、根暗、変態といった
マイナスイメージが強かった
オタク文化。

近年では
ハリウッド映画にも少なからず
影響を与えるほど
世界的市民権を得ている。

オタク文化の広宣流布である。

これは、一つには
「萌え」への着目が要因では無いだろうか?

内発的に沸き起こる「好き」を
あるがままに追求する志向性だ。

生命の働きを、そのまま開く中に
文化としての発展を遂げたのかもしれない。

かのシャフトの名作、まどかマギカを
考えてみる。

一流は仏法に通じる。
否、一流が真実を後世に伝え残したのが
仏法なのかもしれない。

まどかマギカにおいて
主人公側の魔法少女達は
魔女と戦う善の存在である。

しかし、その実、魔女は
魔法少女の成れの果てであった。

善から悪への反転が描かれている。

この残酷な現実への無記の観察者である
インキュベーターは
希望を遮る無明の壁かもしれない。

そして主人公であるまどかは
時を超えた友情の中
自身の可能性を覚知し悟り
勇気と意志をもって
インキュベーターを超える
無の存在へとなる。

そうやって考えると
面白いかもしれない。

思考の柔軟性へは
リラックスして
色々楽しむのも
結果、仏法へ通じる事もある。



[379] 厳護朗様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月22日(金)00時29分33秒   通報   返信・引用

有難うございます。

二十三世紀までのビジョン。

あまりにも壮大で、
当然のことながら一世代だけでは
出来ない事である。

しかし、それを他人事と捉えてしまえば
構想は進まない。

深き生命観と師弟不二をもって
「我がこと」として遂行できる人間が
いかに立ち上がっていくかが重要。

第二第三の池田大作、
幾万幾十万の池田大作が出現してこその
ビジョンであると思う。

幾世紀にわたる
この師弟共戦の大舞台に
踊り出でることこそ
地涌の菩薩と決め
舞い踊りゆこう。



[378] 【参考②】七つの鐘

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月21日(木)08時44分17秒   通報   返信・引用

 昭和33年(1958年)五月三日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、七年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長時代であった。
 この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
 初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の二番目の時であった。
 当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
 この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、言うまでもない。
 今、学会は2001年から2050年までを「第二の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして、明2015年の「五・三」は、ちょうど二番目の鐘が鳴り終わる節目である。
 この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
(聖教新聞2014.5.2付民衆凱歌の大行進5 輝かしき五月の三日)



[377] 【参考①】七つの鐘

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月21日(木)08時41分47秒   通報   返信・引用

 ご存じのとおり、これまで創価学会は、「七つの鐘」を七年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ずる。
 第一の「七つの鐘」は、学会創立の昭和五年(1930年)から、昭和五十四年(1979年)までの五十年間であった。そして創立七十周年(当時)の佳節を飾り、明年(当時)の2001年から2050年へ、いよいよ第二の「七つの鐘」がスタートする。
 かつて私は、ここ関西の地で、二十一世紀、二十二世紀、そして、はるか二十三世紀までの壮大なビジョンを語りあった。(1997年5月17日、関西代表者会議)
 まず、第二の「七つの鐘」を打ち鳴らす、二十一世紀の前半の五十年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申し上げた。そのとおりに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この二十一世紀の構想の上からの新たな第一歩である。
 続く第三の「七つの鐘」を鳴らす二十一世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。
 さらに、第四の「七つの鐘」に当たる二十二世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。
 その基盤の上に、第五の「七つの鐘」が高鳴る二十二世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。
 それが実現すれば、第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗千年(2253年)を迎える二十三世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。
 このように私は、未来の遠大な展望を、深い決意と願望と確信をこめて、関西の同志と語りあった。
(2000年12月14日第五十二回本部幹部会、関西代表幹部会、関西女性総会)



[376] 続・7年のリズム

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月20日(水)04時05分26秒   通報   返信・引用

7年×7=49年
2030年の創立100周年をゴールとして見ると

これは中々に・・・

1981年がスタートです
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1981.htm
1/24 山崎正友氏 学会に対する3億円の恐喝未遂容疑で逮捕
7/19 北条浩第4代会長が死去(享年58歳)。秋谷栄之介第五代会長が誕生。
11/14 四国の地で「紅の歌」が発表される。
12/08 九州指導(~15日)。
12/10 大分県青年部幹部会(大分平和会館)の席上、「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」が発表される。
12/15 熊本で記念撮影
(12月 - 池田大作が会長職を辞任した際、北条をはじめとする幹部達に創価学会の財産は池田家の所有であるという誓約書に署名させていたことやその他内部情報を自由民主党が入手。池田への証人喚問参考人招致を行わないことを条件に公明党が 「日米安保存続」と「自衛隊の条件付合憲」に政策を転換する)??

1988年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1988.htm
01/09 第1回全国青年部幹部会(創価文化会館)それ以前は、全国男子部幹部会・女子部幹部会として全国各地で行われていた。
01/20 第1回本部幹部会 (創価文化会館)本部幹部会も全国各地で行われていた。
4月 第1回全国婦人部幹部会 創価学会の三色旗はこの席上での池田名誉会長からの提案を受けて作られた。
05/03 5.3「創価学会の日」記念式典 (創価大学中央体育館)この年から「創価学会・母の日」と制定

1995年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1995.htm
1/17 阪神・淡路大震災。死者6308人。
3/20 オウム真理教による地下鉄サリン事件。死者10名。被害者3800人。
10月 亀井静香を中心とする自民党議員がテレビ番組などで狂ったように学会バッシングを繰り返す。週刊誌では反学会キャンペーンが続けられる。
11/23 「SGI憲章」を発表。
12/04 参議院特別委員会に参考人として秋谷会長が招致される。

2002年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo2002.htm
1/29 ブッシュ大統領が悪の枢軸発言をする。
3/28 会則変更 秋谷会長談「末法万年にわたる広宣流布の将来を見据え、万代に揺るがぬ創価学会の基盤を確立するため(中略)従来の『会則』は、昭和54年4月に制定され、その当時は、まだ宗門との関係が続いている中でありました。(中略)会則の中にそのしがらみが残っていました。今回、これを抜本的に改正することにしたわけであります」
4/26 会則変更「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則第三条)を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」に。
8/14を「関西・師弟原点の日」と制定

2009年
4/14 共戦の揮毫を初披露
9/8 「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」と題する提言を発表

2016年
3/29 安保法制施行
4/14 平成28年熊本地震
?/? 黄金の3年の締め括り

2023年


2030年
11/18 創立100周年

心せよって感じですね。



[375] 祈り

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月19日(火)14時26分15秒   通報   返信・引用

さて、決意を新たに
と、思ったところで
しかも、のめり込みすぎて
視野を狭くしてはいけない。

こういう時だからこそ
やりたい事をする事を捨てることなく

しかも、多くの事に
心を砕き

生命の尊厳を見失わず

生かされている事への
感謝を思い起こす。

友よ強く

いかなる時でも
自己自身に生ききるのだ。

私にとって
何が何でも南無妙法蓮華経と
同カテゴリで

「それでもなお生きていればこそ」
というのがある。

これは二重否定の上にある。

「簡単に死にたいなんて言うな」
なんて事を簡単に言ってんじゃないよ。

それでもなお生きていればこそなんだ
というものである。

私にとって生命の尊厳というのは
そういうところにあるものである。

表面的な正と反を超えた所にあるのだ。

届けたいのは
虐げられ苦しんでいる人優先である。

絶対に護りたい。

弱者を騙し利用する輩は許さない。

それだけだ。

シンプルである。

被災地は大変な状況にあると思う。

それでもなお
どうか強く

法華経十羅刹女護らせたまえと
祈るばかりである。



[374] 決意新たに

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月16日(土)00時43分7秒   通報   返信・引用

平成28年熊本地震で被災された方々へ
重ねて、被災地の一日も早い復興を心より祈っています。

先日、震災等を調べていたのは
「7年」というリズムを確認したかったのであるが

ちょうど7年前なんですね。
2009.4.14 池田先生は30年間、秘めておられた共戦の揮毫を初披露してくださった日です。
4.14会長就任を決められたのも、勇退を決められたのも、4.14でした。

アルベア論に1995年という年が、常に意識されています。
阪神・淡路大震災のあった年です。

2002年 会則変更
http://www.geocities.jp/sokamondai/page005.html
(↑批判的な視点で書かれているものですが)

2009年 共戦の揮毫を披露(本幹出席は翌年まで)

2016年 黄金の3年の締め括り 熊本地震

共戦の脇書は
「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」である。

池田先生が公の場に出られた期間を見ても
「正義」は池田先生の戦いであり
「共戦」は、その弟子の戦いである。

熊本の広布の金の歴史を見ると
田原坂の歌が浮かび上がる。

> 雨はふるふる
  人馬はぬれる
  越すにこされぬ
  田原坂……<
>「人生には、いろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つ一つ乗り越えていくのが人生であり信心です」
 「(歌詞に)『右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年』とあるが、我々は、右手に慈悲、左手に哲学を持ち、後継たる凛々しき青年部に、次代の一切を託したい!」
 それから9年後、平成2年(90年)9月の訪問でも、名誉会長は「田原坂」の合唱を提案してくれた。
 創立100周年へ、「創価青年学会」の先頭を行く熊本の友は確信している。
 「越せない坂はない。師弟不二であれば!」
(2010年12月21日付 聖教新聞 )<
http://plaza.rakuten.co.jp/anboclub/diary/20101221/

偶然とは思えない。
師弟不二で勝ち越えねばならないと思う。
また>昭和54年(79年)、池田会長辞任の報を聞くや次々に去っていく。
悔しかった。「先生と、もう一度闘いたい」と、友は祈ってきた。<
ともある。
私は「今ここに」師匠ありと誓い
共戦の思いを新たにするのである。

>若きリーダーの皆さんは、我が地域で、新時代を開き行く使命がある。
勝利のために、勇気の言葉を贈りたい。
インドネシアの国民作家として名高いプラムデイヤ氏の作品に、こうあった。
”前進を続けよ” ”さらに前進せよ。些細な、私的な感傷にわずらわされてはならなぬ。
お前は河を渡り始めたのだ。渡りはじめたからには、対岸に辿り着かなければ
ならない” 私の好きな言葉の一つである。
渡りはじめたからには ”渡りきる”のだ。輝く栄光の岸を目指して、前へ前へ、
進み続ける事だ。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/44085

これは、共戦の揮毫を披露する前年の言葉。
「いまさらやめてはだめなのだ」の心だと思う。

私自身、身内に病魔が襲ったりという昨今ではあるが
悩みがあるからこそ、祈りがあるからこそ成長できる。
いやまして強く前進するのみである。



[373] (無題)

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月15日(金)00時40分11秒   通報   返信・引用

厳護朗様も頼もしいですね。

さて、熊本で震度7の地震がありました。
被害に遭われた方がいましたら心よりお見舞い申し上げます。

ちょうど今朝、震災やら何やらがどういう間隔で起きているのか
メモ的にコピペして眺めていたところでした。

先ほど何行か加えました。
未精査のただのメモですが

★平成2年(1990年)7月13日 大石寺・大書院で会議(御前会議) (池田名誉会長追放の線で話が進む)。日顕自ら〃池田名誉会長追放〃の作戦名に対して、「Cだよ」と命名。
★湾岸戦争(わんがんせんそう)(平成3年)1991年1月17日
★1991年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門
★阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)1995年(平成7年)1月17日
★アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん)2001年(平成13年)9月11日
★悪の枢軸(あくのすうじく、axis of evil)とは、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領が、2002年1月29日の一般教書演説で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン・イスラム共和国、イラク(バアス党政権)の3か国を名指で批判する際に使った総称である。
★以前は“日蓮正宗総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊”とされて来たが、2002年の会則変更により表記が変更された。
★イラク戦争(イラクせんそう)は、アメリカ合衆国が主体となり2003年3月20日から、イギリス、オーストラリアと、工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合によって、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。
★2004年スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)2004年(平成16年)12月26日
★2010年5月13日池田先生が最後に出席された本幹
★東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)2011年(平成23年)3月11日
★2014年の会則変更により、日蓮正宗総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊は受持の対象ではないと聖教新聞上で公式発表された
★平和安全法制(へいわあんぜんほうせい)とは、2015年(平成27年)5月に第3次安倍内閣が閣議決定し、第189回国会へ上程し、同年9月に成立
★LIGOによると、重力波が観測されたのは現地時間2015年9月14日午前5時51分
★重力波の直接検出を正式発表 2016年(平成28年)2月11日
★平和安全法制(へいわあんぜんほうせい)2016年(平成28年)3月29日に施行
★2016年4月14日 熊本震度7

とりあえず、熊本にいる知人には連絡とれました。



[372] ご無沙汰しております。

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月14日(木)18時34分37秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人さま

私も、今週の月曜日に地区座があり、そこで司会&御書講義を担当させていただきました。
私は、講義の最後に御書全集の「兄弟抄」を皆さんにお見せして、
私「これだけの長文(御書全集で約10ページ)のお手紙を今まで貰ったことありますか?」
皆さん「な~い(笑)」
私「ですよね!でも皆さん、よく考えてください。日々の聖教新聞の先生のご指導。1日では、そんなに長くはありませんが、まとめたら膨大な量になりますよ!」
皆さん「お~ぉ!」

こんな感じで「魔」を切っております(笑)



[371] 感謝

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月13日(水)09時31分20秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人様
お疲れ様です。

「いまさら やめては だめなのだ」は
どこまでも活きる王者の言葉です。

こんな発言していて、云々・・

どう対処されるかは、地域差がある
っていうのは前に出ましたね。

その他の要素を考えると
「あれ?これおかしいよね」
「え?何か変な事言ってます??」

ってのと

「ちょっと、こんなことが起きてるんですけどどうなってんですか!」
「あなたはどう思うんですか!変える気はあるんですか!」

って言うのでは反発の度合いが当然違う。
どちらが正しいのかではなく、
あるべき正しい発露となっているかの問題。

勇気を取り違ってはいけないと思う。

法に生き切り、生命感覚で起こるべき時に起こる。
その臆する事のない祈りが勇気なのだ。

いまさらやめない。

堂々と進む。

そうであるならば、必ず絶対勝利への前進であるし
何が起きても、それが護られている事である。

法に生き、生命が分かってくると
何と何が同じで
それはなぜ起こっているのか分かってくる。

「なぁんだ、そうだったのか」
という気付きが増えていく。

そこには歓喜が待っているのだ。

スーパー摧邪人様
ありがとうございます。



[370] (無題)

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 4月12日(火)12時51分58秒   通報   返信・引用

大変ご無沙汰して申し訳ありません。仕事に忙殺されているこの1~2ヶ月です。
ブログに次のようなコメントがありましたので、その返信共々アップします。

---------------------------------------
以前から注目していたのでブログ読んでますが、そもそもこんな発言していて座談会に出て講義出来る身分なんですか?
---------------------------------------

上記に対する私の返信は以下の通りです。

はい、できる身分です。今月もしました。2月から3ヶ月連続でしています。
今月の御書は「兄弟抄」でしたね。三障四魔が紛然と競い起こるとの御文で有名です。
講義の締めくくりは次のように話しました。
「私たちも大聖人の御境涯を見倣い、日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊への信を妨げる天魔の働きを見破り、悠々と一生成仏の信心を貫いてまいりたいと思います。」
講義中後ろで総区長が頷きながら聞いていましたが、最後の部分だけは頷いていなかったようです。(笑)
私もさすがに原田会長が天魔とは云いませんでしたが、「大御本尊への信を妨げる」で解る人には解るかなと期待しましたが、その期待は脆くも崩れ去りました。総区長だけは解ったようでしたが、その後の幹部指導では何も触れませんでしたね。

以上、忘れられないために、とりあえずアップします。
ブログタイトルのように、いまさらやめるつもりはありませんが、しばらくは忙しくしていると思います。
皆さんもお元気でご活躍ください。

http://macska2012.blog.fc2.com/



[369] 座談会運動

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月11日(月)14時47分24秒   通報   返信・引用

民衆の内発性を開花させ行く
運動であるべき

こういう例えはどうなのか
分からないが

心のブランコを揺らしていく運動。

ブランコを漕ぐのって
その動きだけみたら
ただの屈伸運動なんだけど

タイミングを合わせれば
大きな躍動になっていく。

そういう生命活動を無視して
ガシャガシャ揺らして
民衆を振り落とし

なんか無茶な要求をして

疲弊させてしぼりとって

だから
そういう生命活動が
分かってないんだって事だね。

いろいろあるけど
ここの掲示板は
スーパー摧邪人様の
生命活動によって
開き起こされている。

大御本尊への
絶対の信が骨格にある。

さて、次は何が反転するかな?

些細な事も
何かの始まりかもね。

あほらっし様
お久しぶりです。



[368] 久しぶりに見たら

投稿者: あほらっし 投稿日:2016年 4月11日(月)11時03分14秒   通報   返信・引用

呼びました?



[367] 生命の詩 その3(終

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月10日(日)01時20分52秒   通報   返信・引用

 今、一人立って師匠を求め切った人が必ず勝つんです。他はいらない。池田先生を求め抜く事です。
繰り返しになりますが、自分自身で向き合って自分だけの道を開いていく。誰が何と言ったかなんて関係が無い。そんなのは後から見れば全部言い訳なのです。全部忘れてゼロから向き合うのです。
 本当の指導、本当の誓いというものは、忘れたときに真価が問われるのです。
 南無妙法蓮華経は、人間の頭で考えても絶対に分からないものなんです。分かったなんて思うのは全部ウソです。分からないんだけれども本物の指導や誓いは、忘れてなお人間の思考を超えて妙法のリズムと合致するのです。
 どうにもならないと思う問題に出会った時、真剣に向き合い尽くし、真剣に我が胸と御本尊に照らして祈り尽くして、それでも一日の終わりまで答えが見つからなかったならば、ただ、やれるだけはやりきったというエネルギーだけを感じつつ、思考からは外して忘れて、心地よく眠れば良い。
 そのエネルギーは眠っている間にも、宇宙を駆け巡って軌道に乗っていく力がある。妙法の法とは普段我々が起きて世界と認識している実際に観測出来る世界であり、妙とはそれとは異なる実際には観測できないような世界である。妙法とは、その二つが二つであって二つではないという不二の存在である事を言うのだ。したがって、何も感じていない時というのは、何も働いていないというのではなくて、妙のエネルギーが優位に働いているのである。ゆえに、思考に閉じ込めるのではなく、妙の軌道に乗せるために忘れるという事があるのである。この事が分かってくると、何も眠っている時の事だけではない現象として分かってくるのだ。
 さて、朝起きる時、それをただの昨日の続きだと思うかもしれない。けれども、生命の働きの上では、その時にその日が生まれ来て、共に私が産まれ出でて、宇宙もまた現れ出でて私を受け入れ、今日も一日生きさせてくれるのである。
 全部が妙法のリズムに合致していくならば、瞬き一つも、呼吸一つも、鼓動も寒暖も重みも香りも音も目に映るものも意識を向けうるものも何だか分からないけど何かあるものも、今までの事も今ある事も善も悪も苦も楽も、全部一切に無駄が無いのである。
 そうすると、何だか分からないけど、昨日には大問題だったことが、今日には嘘のように簡単に解決する。この不思議に感謝し歓喜し、次の難問が待ち遠しくさえ思い、誰に言われるでもなく人にも伝えていこうとするし、苦しんでいる人がいれば進んで同苦し改革を巻き起こしていくのである。
 本当の信心に誰が偉いもあるはずが無い。だから号令や打ち出しで信心が深まるのではない。あるがままが信心なのだ。何が出来なくとも、それがその人の信心なのだ。
 その“人の心”に土足で踏み入る事は、信心の破壊なのだ。恐れずに言うならば無理矢理な無責任なものは悪である。
 もう池田先生は陣頭指揮は執っていないのである。一人一人がその場で考えていかなければならないのだ。今まではただ組織につなげれば良かった事も、一人一人がもう一歩深い情熱と思索をもって取り組んでいかなければ、今まで以下の事にしかならないのである。それどころか、今まで池田先生によって反転し功徳になっていた事も、ともすればただの悪への与同罪となって、かえって堕地獄の因を積む事もあり得るということなのだ。
 「黙ってちゃいけない、悪を許すな、下から上へ声をあげるんだ」
 何度も何度も池田先生は私たちに教えてくれたのだ。今、学会活動が面白いのも面白くないのも、真剣に祈れるのも祈れないのも、誰のせいでもない。既に全部、池田先生は教えて下さったのだ。
 他人じゃない。打ち出しがどうとか組織がどうとか関係が無い。全部自分なんだ。自ら仏眼法眼を必ず体得して、その目で悪を見抜き、民衆を苛める悪を徹底して攻め抜くことこそ、最高に明るい朗らかな春を迎え、我が胸に絶対に打ち負けることの無い常楽我浄の旭日を昇らせゆく道なのだ。
 その最高の笑顔と喜びが世界を包むことが広宣流布なのだ。
 妙法のルール、三世の生命観から言って、池田先生の慈悲のエネルギーは永遠に消えない。そのエネルギーに合致していくかどうかは全部自身にかかっているのだ。
 池田先生の慈悲は、どこまでを包んでいるのか?全人類を包んでいるのである。そして全宇宙にまで広がっているのだ。これと合致して負ける人生はあり得ない。絶対勝利とは池田先生と自分とが不二となる事なのだ。
 池田先生も自分も同じである。自分の身に起こっている生命活動をつぶさに観察せよ。今まで見てきたことも聞いたことも教えてもらったことも覚えた全部取っ払って忘れて信じるな。今ここにある池田先生と同じ生命現象だけを見るのだ。人間は皆平等であり同じである。同じ生命現象の起こる当体なのだ。湧き起これ十万の池田大作。自分じゃない人間はいない。
 広宣流布・南無妙法蓮華経・人間革命・池田先生・・・
 全部自分の異名なのだ。
 無理せずとも、頑張らずとも、打ち出しに乗らずとも、あるがまま勇気を持って逃げずにあり、出会いと誓いと破邪顕正を厭わないならば、開けない道は無い。



[366] 生命の詩 その2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 9日(土)01時35分37秒   通報   返信・引用

 またもしくは「こんなに祈っているのに何で叶わないんだ」「信心してきたのにどうして悪いことが起こるんだ」そういう時もあるでしょう。
 全部意味があるんです。それを分からないで「御本尊様のバカ」なんて思ってしまうと、それは不信になるのです。信心があればこそ境涯が広がるのであり、不信では、そこで止まってしまうのです。
 境涯とは何か?
 今ここにいる自分と、向こう側にある御本尊が別々だと思うから、そこに境ができて自分は自分、よそはよそなんて独りよがりになることを境涯が小さいと言うのです。
 善に見える事も悪に見える事も、全部あなたの信心なのです。
 心底から信心を起こし、全宇宙を包み返す信心に立つならば、すなわち自身の生命が全宇宙に投影されているのだから南無妙法蓮華経でないものは無いのです。あなたの心身の生命活動のエネルギーがそのまま苦も楽も南無妙法蓮華経そのものなんだと信じれば恐いものは無いのです。
 人間として生まれてきた以上、四苦八苦は避けられません。祈っていたっていつか死にます。だけど、だからこそ四苦八苦は人間同士が分かり合うための共通の財産であり、実はそこにこそ生命の尊厳が秘められているのです。全ての仏はこの四苦八苦に向き合って生命の尊厳を開いて仏となるのです。だからこそ仏は同苦出来るのです。同苦と、そして変革が同時にもたらされるのが蓮華であり、その不思議としか言いようの無い心身の生命活動のエネルギーが南無妙法蓮華経なのです。
 蓮華の花は濁った泥水に咲きます。何度も言いますが、あなた自身の事です。娑婆世界が泥水だとか言ったって、あなたの直面している現実は、あなたの中にしかないのです。あなたの思い描いている理想はあなたの中にしかないのです。あなたの池田先生はあなたの中にしかいない。あなたの御本尊はあなたの中にしかない。あなたの日蓮大聖人はあなたの中にしかいないのです。
 誰かから「池田先生がこう言っているからこうやりなさい」って言われた?そんなのは関係が無い。あなた自身が、あなた自身の池田先生とどう向き合うかです。あなただけの道を開いていくのがあなたの信心なのです。あなた自身があなた自身の妙法蓮華経の五字なのです。
 誰かが外から何とかしようとしたって、なんとも出来ないのです。
 あなた自身が一人立って歓喜の中の大歓喜を味わっていく、それがあなた自身の生命なんです。
 宿業の話をしましょう。
 そりゃぁ悪い事だって起こるんです。当たり前の事なんです。
 それは、あなた自身の生命の中にあったものが出てくるという事なんです。
 仮に、ものすごく体に悪いものを食べ続けて、出来物が出来るようなものです。その膿を搾り出すようなことが、回復のための生命の現象として起こるのです。それを放っておいたら腐ったり命に関わったりするかもしれない事を、今、膿を出して軽く受けさせてもらえるのです。
 全部功徳なんです。真面目に御本尊に手を合わせて、自分の幸せのみならず他人の幸せまで祈って動いていて、罰なんか当たるわけが無い。そんなものなら勧めない。境涯が深く大きく清らかになるための、それが南無妙法蓮華経という生命の活動なんです。
 この生命を軽んじたりする様々な不純物が過去世から我々の中にいっぱい溜まっているのです。それを今、南無妙法蓮華経に巡り会って宿命転換する機会を頂いているのです。
 だからオギャーと産まれてから今までだけの事じゃないのです。今生人界だけで考えるから、他人を蹴落として自分だけ幸せになれば良いと考えてしまうのです。
 そんなのは河原で石を積み上げているようなものです。どんなに綺麗に高く積み上げて偉ぶってみたって、そんなものはちょっと揺らされれば簡単に崩れ去ってしまうのです。
 必ず自分が成し遂げるんだという広宣流布の活動だけが、本当の本物の山を一歩一歩登っていく、たった一つの正攻法なのです。この山を師匠の後に続き登っていく時、どれほどの境涯が開けるか、地球の歴史上、仏法史上、今ほど境涯を開ける時は無いんです。



[365] 生命の詩 その1

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 8日(金)10時13分13秒   通報   返信・引用

 今ここに吹く風は何を運んでくるだろう?
 見上げれば空、流れる雲は時々刻々と姿を変え、季節を告げ、朝な夕な色を染める。
 夜になれば寄り添う月は姿を現し、煌く星々は動かないように見えても、それこそ天文学的な時と空間の中で集まり・弾け・合体し・吹き飛ばされ、考えの及ばないほど躍動している。
 目をもって見、知をもって知る。
 ありのままに感じる事の出来るこの肉体は、無数の役割を持った細胞から形成され、一瞬一瞬を味わいつくし心を動かすのだ。
 知らないうちに細胞分裂し新しい細胞が生まれ、古くなった細胞と入れ替わっていく。呼吸する空気は、赤血球が酸素を体へと運び、エネルギーとして燃えた後は二酸化炭素として排出される。
 その二酸化炭素は植物によってまた酸素となり、悠久の昔より循環されてまたここに届く。
 元素を作る素粒子にまで目をやると、常識が通用しないほどの不可思議の世界が広がり、法則に従いながらも気まぐれに常識では捉え所が無い。
 過去にも未来にも続くこのような有様が、あるいは私たちを形作り、あるいは草木を生やし、あるいは太陽を輝かせ、あるいは月々日々を織り成している。
 与えられたこの生命、生かされている事に必然に起こる歓喜のエネルギーが、南無妙法蓮華経なんです。そのありようが御本尊なんです。
 合致して不幸になるわけが無い。全部良い方向へ良い方向へ向かっていくんです。
 ただし、尊い同志を軽んじたり憎んだり恨んだり嫉んだりしては福運を消してしまいます。
 それはよく聞くかもしれないけれども、そうは言ってもそこは人の心。憎まないようにしようと思い込もうとしても益々憎しみが込み上げてしまう事もあるかもしれない。
 ならば、どうするのか?人を見るから目につくのです。その個人を見るから憎さがわくのです。
 だから、なしている仕事を見るのです。その力を評価するのです。どんな努力をしてきたのかに思いを巡らせるのです。この事が何をもたらせてくれているのかに気付くのです。その事に対して自分はどうするのか答えを示すのです。その時の自身の生命状態が、そのまま報いとなって現れていくのです。だから信心が大切なのです。結局は、相手の姿や性質をどう感じる事も自身の生命を映し出しているからそう感じるのであり、その憎いと思ったりする自分主観の視点から脱しないと、その一番嫌な状態が今後も報いとして現れ、自身の生命もそれに引きずられて同じようになっていくのです。人類の負の連鎖は、そのように起こっていくのです。
 だから、自分主観の視点から脱して目覚め、そういう民衆が立ち上がらないかぎり、あんな幹部は御免だと言っても同じことが繰り返され拡大していき、組織は劣化していくのです。
 この自分主観の視点というものは、自分中心の、分かってもらいたい・変わりたい・強くなりたいという願望を常に抱いています。それでいて、自分は違う・組織についているから大丈夫・あの人は信心があるから頼れるという、根拠の薄い事に期待し、まるで他人事の世界を生きている。このことに気付けないのを凡夫と言うのです。
 本当は全部、24時間365日、自分と御本尊、自分と大宇宙の交流しか起こっていないのです。だから他人をどうこう言ったって仕方がない。自身の生命で、そこに起こる諸法実相・十如是を見ていくしかないということなのです。
 大宇宙の生命の有様を味わう体感によって、自然のままに最良になるのが信心なのです。



[364] たまには

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 5日(火)14時08分5秒   通報   返信・引用

趣向を変えて
落ち着く音楽でも
聞いてみるのも良い。

走りっぱなしでは
何か大事なものを
見落としているかもしれない。

道端に咲く一輪の花だって
懸命に生きているのだしね。

何だろうな。

宗門と別々になって
元々あった
宗門は法体の折伏を護って
学会は化儀の広宣流布をするってのが
崩れて

化法を実感として体感できていない二世達が
青年部として活躍しだす頃

何か、自分の力で努力して登りつめたんだから
この組織は自分の好きに動かして良いんだ
というような

それも、信心の上での思いではなく

東大に入るまでは大変だけど
入っちゃえばもう人生勝ちだよねって
世間的な感覚で

こんなに頭のいい私が
こんなに考えてやってるんだから
ちゃんと言う事聞けよ

って、それでも

そんなのは全然、信心じゃないんだけど
会員は信心ゆえに信心ではない歪曲だと信じられず
中枢も、あぁ、一往会員は付いてくるんだみたいな
逆の学びをして

もう信心なんか無くなっちゃって

それでも保身のために
打つ手打つ手が道を狂わせていく。

そんな組織が、個人に対して車座になって入会を迫り
情熱を持って叫べば何でも正義とばかりに一点張りの主張をして
似たり寄ったりな人間しかいない金太郎飴みたいな組織で
敵対するものへは批判中傷罵詈雑言の嵐で
週刊誌等は見てはいけなくて嫌悪感がひどくて
さも自分たちは最高の理想に生きる特別な人間で
こんな立派な組織を動かしているならちょっとぐらい役得があって
嘘を覚えれば号令だけで楽して役得のあるおいしい地位で
そんな体質を見抜いて糾弾するのは団結を壊す悪い人間で
だからそんな人間がいたら嘘で分断してでも徹底的に隔離して
数字を稼げる人間が大切な数字の力を持った組織で
それをオブラートで包むように上手く池田先生を利用して
結局行き詰る。

世間の人は、そんな面倒くさいものを
しつこくされない程度にハイハイと言って
踏み込まれそうなら断固NOという距離感を学習。

だからね
一人の人間である事に立ち返って
ゼロから向き合わないと始まらない。

南無妙法蓮華経が始まらない。

だからさ、たまには立ち止まって
何も考えずに美しい曲でも聴いて

何か必死に追いかけているものも

何にもない何にもない
あるのは生命の営みだけだって
生かされている我が身を感じるのも
大切な事なんじゃないかな。

https://www.youtube.com/watch?v=Z8Msxznyhfc
http://mp3.zing.vn/bai-hat/Golden-Gate-David-Benoit/ZW6BICE0.html



[363] 一方通行

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 4日(月)14時56分26秒   通報   返信・引用

幹部から会員への物言いは指導で
会員から幹部への物言いは幹部批判

よくよく考えれば
ずいぶん一方的なんだけど

これって何なのかなぁ?

いつから?
どうしてこうなった?



[362] 第2回座談会in関西

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 2日(土)22時49分4秒   通報   返信・引用

えーと、三名のブログの第2回座談会in関西 に
参加してきました。

割と直前まで、行かない確率の方が高いつもりだったんですがね。

というのも、ただ聞きに行くだけになるなら行かないつもりだったのです。

が、宿坊の掲示板のSaySaySay 様が関与して
2部懇談形式が盛り込まれていた事

元々、それのためでは無かったけれど
ちょうど、発信者となれるような資料が手元に完成した事。

スーパー摧邪人様が参加した前例も後押しとなり

電車に揺られ、満開の桜を見ながら
「あ、本当に参加しちゃうんだ私」みたいな

で、会場に着く前からSaySaySay 様を発見でき
カンピース様も加わりミニオフ会状態。

今後の展望というところでは確かに
足りないところもあるかもしれないけれども

学生部の時の思いを一つの原点としている私としては
大切に育てたい芽であると感じました。

滝川光子さんの執念の手紙送付すげー。

天野達志さんのナチュラルにすごいっていうのが良い。

2部の懇談も、こんだけ自由な座談会だったら楽しい。

SaySaySay 様とも
いっぱい話せたし

と、まあ

良い一日になりました。


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