いまさら やめては だめなのだ

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カテゴリ:[ ビジネスと社会/経済 ]


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[380] 志向性

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月23日(土)12時01分6秒   通報   返信・引用

気付くためには題材が必要であると思う。
何によって気付くかは人それぞれ。
直面している現実、志向性などで変わる。
しかし、その表現は異なるものとなるが
気付いた本質は同一性、全体性であり
究極は不二なのだ。

さて、一昔前には
気持ち悪い、根暗、変態といった
マイナスイメージが強かった
オタク文化。

近年では
ハリウッド映画にも少なからず
影響を与えるほど
世界的市民権を得ている。

オタク文化の広宣流布である。

これは、一つには
「萌え」への着目が要因では無いだろうか?

内発的に沸き起こる「好き」を
あるがままに追求する志向性だ。

生命の働きを、そのまま開く中に
文化としての発展を遂げたのかもしれない。

かのシャフトの名作、まどかマギカを
考えてみる。

一流は仏法に通じる。
否、一流が真実を後世に伝え残したのが
仏法なのかもしれない。

まどかマギカにおいて
主人公側の魔法少女達は
魔女と戦う善の存在である。

しかし、その実、魔女は
魔法少女の成れの果てであった。

善から悪への反転が描かれている。

この残酷な現実への無記の観察者である
インキュベーターは
希望を遮る無明の壁かもしれない。

そして主人公であるまどかは
時を超えた友情の中
自身の可能性を覚知し悟り
勇気と意志をもって
インキュベーターを超える
無の存在へとなる。

そうやって考えると
面白いかもしれない。

思考の柔軟性へは
リラックスして
色々楽しむのも
結果、仏法へ通じる事もある。




[379] 厳護朗様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月22日(金)00時29分33秒   通報   返信・引用

有難うございます。

二十三世紀までのビジョン。

あまりにも壮大で、
当然のことながら一世代だけでは
出来ない事である。

しかし、それを他人事と捉えてしまえば
構想は進まない。

深き生命観と師弟不二をもって
「我がこと」として遂行できる人間が
いかに立ち上がっていくかが重要。

第二第三の池田大作、
幾万幾十万の池田大作が出現してこその
ビジョンであると思う。

幾世紀にわたる
この師弟共戦の大舞台に
踊り出でることこそ
地涌の菩薩と決め
舞い踊りゆこう。



[378] 【参考②】七つの鐘

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月21日(木)08時44分17秒   通報   返信・引用

 昭和33年(1958年)五月三日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、七年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長時代であった。
 この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
 初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の二番目の時であった。
 当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
 この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、言うまでもない。
 今、学会は2001年から2050年までを「第二の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして、明2015年の「五・三」は、ちょうど二番目の鐘が鳴り終わる節目である。
 この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
(聖教新聞2014.5.2付民衆凱歌の大行進5 輝かしき五月の三日)



[377] 【参考①】七つの鐘

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月21日(木)08時41分47秒   通報   返信・引用

 ご存じのとおり、これまで創価学会は、「七つの鐘」を七年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ずる。
 第一の「七つの鐘」は、学会創立の昭和五年(1930年)から、昭和五十四年(1979年)までの五十年間であった。そして創立七十周年(当時)の佳節を飾り、明年(当時)の2001年から2050年へ、いよいよ第二の「七つの鐘」がスタートする。
 かつて私は、ここ関西の地で、二十一世紀、二十二世紀、そして、はるか二十三世紀までの壮大なビジョンを語りあった。(1997年5月17日、関西代表者会議)
 まず、第二の「七つの鐘」を打ち鳴らす、二十一世紀の前半の五十年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申し上げた。そのとおりに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この二十一世紀の構想の上からの新たな第一歩である。
 続く第三の「七つの鐘」を鳴らす二十一世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。
 さらに、第四の「七つの鐘」に当たる二十二世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。
 その基盤の上に、第五の「七つの鐘」が高鳴る二十二世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。
 それが実現すれば、第六の「七つの鐘」、第七の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗千年(2253年)を迎える二十三世紀の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。
 このように私は、未来の遠大な展望を、深い決意と願望と確信をこめて、関西の同志と語りあった。
(2000年12月14日第五十二回本部幹部会、関西代表幹部会、関西女性総会)



[376] 続・7年のリズム

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月20日(水)04時05分26秒   通報   返信・引用

7年×7=49年
2030年の創立100周年をゴールとして見ると

これは中々に・・・

1981年がスタートです
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1981.htm
1/24 山崎正友氏 学会に対する3億円の恐喝未遂容疑で逮捕
7/19 北条浩第4代会長が死去(享年58歳)。秋谷栄之介第五代会長が誕生。
11/14 四国の地で「紅の歌」が発表される。
12/08 九州指導(~15日)。
12/10 大分県青年部幹部会(大分平和会館)の席上、「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」が発表される。
12/15 熊本で記念撮影
(12月 - 池田大作が会長職を辞任した際、北条をはじめとする幹部達に創価学会の財産は池田家の所有であるという誓約書に署名させていたことやその他内部情報を自由民主党が入手。池田への証人喚問参考人招致を行わないことを条件に公明党が 「日米安保存続」と「自衛隊の条件付合憲」に政策を転換する)??

1988年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1988.htm
01/09 第1回全国青年部幹部会(創価文化会館)それ以前は、全国男子部幹部会・女子部幹部会として全国各地で行われていた。
01/20 第1回本部幹部会 (創価文化会館)本部幹部会も全国各地で行われていた。
4月 第1回全国婦人部幹部会 創価学会の三色旗はこの席上での池田名誉会長からの提案を受けて作られた。
05/03 5.3「創価学会の日」記念式典 (創価大学中央体育館)この年から「創価学会・母の日」と制定

1995年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo1995.htm
1/17 阪神・淡路大震災。死者6308人。
3/20 オウム真理教による地下鉄サリン事件。死者10名。被害者3800人。
10月 亀井静香を中心とする自民党議員がテレビ番組などで狂ったように学会バッシングを繰り返す。週刊誌では反学会キャンペーンが続けられる。
11/23 「SGI憲章」を発表。
12/04 参議院特別委員会に参考人として秋谷会長が招致される。

2002年
http://sokaodo.nobody.jp/nenpyo2002.htm
1/29 ブッシュ大統領が悪の枢軸発言をする。
3/28 会則変更 秋谷会長談「末法万年にわたる広宣流布の将来を見据え、万代に揺るがぬ創価学会の基盤を確立するため(中略)従来の『会則』は、昭和54年4月に制定され、その当時は、まだ宗門との関係が続いている中でありました。(中略)会則の中にそのしがらみが残っていました。今回、これを抜本的に改正することにしたわけであります」
4/26 会則変更「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」(旧会則第三条)を「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」に。
8/14を「関西・師弟原点の日」と制定

2009年
4/14 共戦の揮毫を初披露
9/8 「核兵器廃絶へ 民衆の大連帯を」と題する提言を発表

2016年
3/29 安保法制施行
4/14 平成28年熊本地震
?/? 黄金の3年の締め括り

2023年


2030年
11/18 創立100周年

心せよって感じですね。



[375] 祈り

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月19日(火)14時26分15秒   通報   返信・引用

さて、決意を新たに
と、思ったところで
しかも、のめり込みすぎて
視野を狭くしてはいけない。

こういう時だからこそ
やりたい事をする事を捨てることなく

しかも、多くの事に
心を砕き

生命の尊厳を見失わず

生かされている事への
感謝を思い起こす。

友よ強く

いかなる時でも
自己自身に生ききるのだ。

私にとって
何が何でも南無妙法蓮華経と
同カテゴリで

「それでもなお生きていればこそ」
というのがある。

これは二重否定の上にある。

「簡単に死にたいなんて言うな」
なんて事を簡単に言ってんじゃないよ。

それでもなお生きていればこそなんだ
というものである。

私にとって生命の尊厳というのは
そういうところにあるものである。

表面的な正と反を超えた所にあるのだ。

届けたいのは
虐げられ苦しんでいる人優先である。

絶対に護りたい。

弱者を騙し利用する輩は許さない。

それだけだ。

シンプルである。

被災地は大変な状況にあると思う。

それでもなお
どうか強く

法華経十羅刹女護らせたまえと
祈るばかりである。



[374] 決意新たに

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月16日(土)00時43分7秒   通報   返信・引用

平成28年熊本地震で被災された方々へ
重ねて、被災地の一日も早い復興を心より祈っています。

先日、震災等を調べていたのは
「7年」というリズムを確認したかったのであるが

ちょうど7年前なんですね。
2009.4.14 池田先生は30年間、秘めておられた共戦の揮毫を初披露してくださった日です。
4.14会長就任を決められたのも、勇退を決められたのも、4.14でした。

アルベア論に1995年という年が、常に意識されています。
阪神・淡路大震災のあった年です。

2002年 会則変更
http://www.geocities.jp/sokamondai/page005.html
(↑批判的な視点で書かれているものですが)

2009年 共戦の揮毫を披露(本幹出席は翌年まで)

2016年 黄金の3年の締め括り 熊本地震

共戦の脇書は
「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」である。

池田先生が公の場に出られた期間を見ても
「正義」は池田先生の戦いであり
「共戦」は、その弟子の戦いである。

熊本の広布の金の歴史を見ると
田原坂の歌が浮かび上がる。

> 雨はふるふる
  人馬はぬれる
  越すにこされぬ
  田原坂……<
>「人生には、いろいろな坂がある。その宿命的な坂を一つ一つ乗り越えていくのが人生であり信心です」
 「(歌詞に)『右手に血刀 左手に手綱 馬上ゆたかな 美少年』とあるが、我々は、右手に慈悲、左手に哲学を持ち、後継たる凛々しき青年部に、次代の一切を託したい!」
 それから9年後、平成2年(90年)9月の訪問でも、名誉会長は「田原坂」の合唱を提案してくれた。
 創立100周年へ、「創価青年学会」の先頭を行く熊本の友は確信している。
 「越せない坂はない。師弟不二であれば!」
(2010年12月21日付 聖教新聞 )<
http://plaza.rakuten.co.jp/anboclub/diary/20101221/

偶然とは思えない。
師弟不二で勝ち越えねばならないと思う。
また>昭和54年(79年)、池田会長辞任の報を聞くや次々に去っていく。
悔しかった。「先生と、もう一度闘いたい」と、友は祈ってきた。<
ともある。
私は「今ここに」師匠ありと誓い
共戦の思いを新たにするのである。

>若きリーダーの皆さんは、我が地域で、新時代を開き行く使命がある。
勝利のために、勇気の言葉を贈りたい。
インドネシアの国民作家として名高いプラムデイヤ氏の作品に、こうあった。
”前進を続けよ” ”さらに前進せよ。些細な、私的な感傷にわずらわされてはならなぬ。
お前は河を渡り始めたのだ。渡りはじめたからには、対岸に辿り着かなければ
ならない” 私の好きな言葉の一つである。
渡りはじめたからには ”渡りきる”のだ。輝く栄光の岸を目指して、前へ前へ、
進み続ける事だ。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/44085

これは、共戦の揮毫を披露する前年の言葉。
「いまさらやめてはだめなのだ」の心だと思う。

私自身、身内に病魔が襲ったりという昨今ではあるが
悩みがあるからこそ、祈りがあるからこそ成長できる。
いやまして強く前進するのみである。



[373] (無題)

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月15日(金)00時40分11秒   通報   返信・引用

厳護朗様も頼もしいですね。

さて、熊本で震度7の地震がありました。
被害に遭われた方がいましたら心よりお見舞い申し上げます。

ちょうど今朝、震災やら何やらがどういう間隔で起きているのか
メモ的にコピペして眺めていたところでした。

先ほど何行か加えました。
未精査のただのメモですが

★平成2年(1990年)7月13日 大石寺・大書院で会議(御前会議) (池田名誉会長追放の線で話が進む)。日顕自ら〃池田名誉会長追放〃の作戦名に対して、「Cだよ」と命名。
★湾岸戦争(わんがんせんそう)(平成3年)1991年1月17日
★1991年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門
★阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)1995年(平成7年)1月17日
★アメリカ同時多発テロ事件(アメリカどうじたはつテロじけん)2001年(平成13年)9月11日
★悪の枢軸(あくのすうじく、axis of evil)とは、アメリカ合衆国のジョージ・W・ブッシュ大統領が、2002年1月29日の一般教書演説で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)、イラン・イスラム共和国、イラク(バアス党政権)の3か国を名指で批判する際に使った総称である。
★以前は“日蓮正宗総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊”とされて来たが、2002年の会則変更により表記が変更された。
★イラク戦争(イラクせんそう)は、アメリカ合衆国が主体となり2003年3月20日から、イギリス、オーストラリアと、工兵部隊を派遣したポーランド等が加わる有志連合によって、イラク武装解除問題の進展義務違反を理由とする『イラクの自由作戦』の名の下に、イラクへ侵攻したことで始まった軍事介入である。
★2004年スマトラ島沖地震(スマトラとうおきじしん)2004年(平成16年)12月26日
★2010年5月13日池田先生が最後に出席された本幹
★東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)2011年(平成23年)3月11日
★2014年の会則変更により、日蓮正宗総本山大石寺に安置されている本門戒壇の大御本尊は受持の対象ではないと聖教新聞上で公式発表された
★平和安全法制(へいわあんぜんほうせい)とは、2015年(平成27年)5月に第3次安倍内閣が閣議決定し、第189回国会へ上程し、同年9月に成立
★LIGOによると、重力波が観測されたのは現地時間2015年9月14日午前5時51分
★重力波の直接検出を正式発表 2016年(平成28年)2月11日
★平和安全法制(へいわあんぜんほうせい)2016年(平成28年)3月29日に施行
★2016年4月14日 熊本震度7

とりあえず、熊本にいる知人には連絡とれました。



[372] ご無沙汰しております。

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 4月14日(木)18時34分37秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人さま

私も、今週の月曜日に地区座があり、そこで司会&御書講義を担当させていただきました。
私は、講義の最後に御書全集の「兄弟抄」を皆さんにお見せして、
私「これだけの長文(御書全集で約10ページ)のお手紙を今まで貰ったことありますか?」
皆さん「な~い(笑)」
私「ですよね!でも皆さん、よく考えてください。日々の聖教新聞の先生のご指導。1日では、そんなに長くはありませんが、まとめたら膨大な量になりますよ!」
皆さん「お~ぉ!」

こんな感じで「魔」を切っております(笑)



[371] 感謝

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月13日(水)09時31分20秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人様
お疲れ様です。

「いまさら やめては だめなのだ」は
どこまでも活きる王者の言葉です。

こんな発言していて、云々・・

どう対処されるかは、地域差がある
っていうのは前に出ましたね。

その他の要素を考えると
「あれ?これおかしいよね」
「え?何か変な事言ってます??」

ってのと

「ちょっと、こんなことが起きてるんですけどどうなってんですか!」
「あなたはどう思うんですか!変える気はあるんですか!」

って言うのでは反発の度合いが当然違う。
どちらが正しいのかではなく、
あるべき正しい発露となっているかの問題。

勇気を取り違ってはいけないと思う。

法に生き切り、生命感覚で起こるべき時に起こる。
その臆する事のない祈りが勇気なのだ。

いまさらやめない。

堂々と進む。

そうであるならば、必ず絶対勝利への前進であるし
何が起きても、それが護られている事である。

法に生き、生命が分かってくると
何と何が同じで
それはなぜ起こっているのか分かってくる。

「なぁんだ、そうだったのか」
という気付きが増えていく。

そこには歓喜が待っているのだ。

スーパー摧邪人様
ありがとうございます。



[370] (無題)

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 4月12日(火)12時51分58秒   通報   返信・引用

大変ご無沙汰して申し訳ありません。仕事に忙殺されているこの1~2ヶ月です。
ブログに次のようなコメントがありましたので、その返信共々アップします。

---------------------------------------
以前から注目していたのでブログ読んでますが、そもそもこんな発言していて座談会に出て講義出来る身分なんですか?
---------------------------------------

上記に対する私の返信は以下の通りです。

はい、できる身分です。今月もしました。2月から3ヶ月連続でしています。
今月の御書は「兄弟抄」でしたね。三障四魔が紛然と競い起こるとの御文で有名です。
講義の締めくくりは次のように話しました。
「私たちも大聖人の御境涯を見倣い、日蓮大聖人の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊への信を妨げる天魔の働きを見破り、悠々と一生成仏の信心を貫いてまいりたいと思います。」
講義中後ろで総区長が頷きながら聞いていましたが、最後の部分だけは頷いていなかったようです。(笑)
私もさすがに原田会長が天魔とは云いませんでしたが、「大御本尊への信を妨げる」で解る人には解るかなと期待しましたが、その期待は脆くも崩れ去りました。総区長だけは解ったようでしたが、その後の幹部指導では何も触れませんでしたね。

以上、忘れられないために、とりあえずアップします。
ブログタイトルのように、いまさらやめるつもりはありませんが、しばらくは忙しくしていると思います。
皆さんもお元気でご活躍ください。

http://macska2012.blog.fc2.com/



[369] 座談会運動

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月11日(月)14時47分24秒   通報   返信・引用

民衆の内発性を開花させ行く
運動であるべき

こういう例えはどうなのか
分からないが

心のブランコを揺らしていく運動。

ブランコを漕ぐのって
その動きだけみたら
ただの屈伸運動なんだけど

タイミングを合わせれば
大きな躍動になっていく。

そういう生命活動を無視して
ガシャガシャ揺らして
民衆を振り落とし

なんか無茶な要求をして

疲弊させてしぼりとって

だから
そういう生命活動が
分かってないんだって事だね。

いろいろあるけど
ここの掲示板は
スーパー摧邪人様の
生命活動によって
開き起こされている。

大御本尊への
絶対の信が骨格にある。

さて、次は何が反転するかな?

些細な事も
何かの始まりかもね。

あほらっし様
お久しぶりです。



[368] 久しぶりに見たら

投稿者: あほらっし 投稿日:2016年 4月11日(月)11時03分14秒   通報   返信・引用

呼びました?



[367] 生命の詩 その3(終

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月10日(日)01時20分52秒   通報   返信・引用

 今、一人立って師匠を求め切った人が必ず勝つんです。他はいらない。池田先生を求め抜く事です。
繰り返しになりますが、自分自身で向き合って自分だけの道を開いていく。誰が何と言ったかなんて関係が無い。そんなのは後から見れば全部言い訳なのです。全部忘れてゼロから向き合うのです。
 本当の指導、本当の誓いというものは、忘れたときに真価が問われるのです。
 南無妙法蓮華経は、人間の頭で考えても絶対に分からないものなんです。分かったなんて思うのは全部ウソです。分からないんだけれども本物の指導や誓いは、忘れてなお人間の思考を超えて妙法のリズムと合致するのです。
 どうにもならないと思う問題に出会った時、真剣に向き合い尽くし、真剣に我が胸と御本尊に照らして祈り尽くして、それでも一日の終わりまで答えが見つからなかったならば、ただ、やれるだけはやりきったというエネルギーだけを感じつつ、思考からは外して忘れて、心地よく眠れば良い。
 そのエネルギーは眠っている間にも、宇宙を駆け巡って軌道に乗っていく力がある。妙法の法とは普段我々が起きて世界と認識している実際に観測出来る世界であり、妙とはそれとは異なる実際には観測できないような世界である。妙法とは、その二つが二つであって二つではないという不二の存在である事を言うのだ。したがって、何も感じていない時というのは、何も働いていないというのではなくて、妙のエネルギーが優位に働いているのである。ゆえに、思考に閉じ込めるのではなく、妙の軌道に乗せるために忘れるという事があるのである。この事が分かってくると、何も眠っている時の事だけではない現象として分かってくるのだ。
 さて、朝起きる時、それをただの昨日の続きだと思うかもしれない。けれども、生命の働きの上では、その時にその日が生まれ来て、共に私が産まれ出でて、宇宙もまた現れ出でて私を受け入れ、今日も一日生きさせてくれるのである。
 全部が妙法のリズムに合致していくならば、瞬き一つも、呼吸一つも、鼓動も寒暖も重みも香りも音も目に映るものも意識を向けうるものも何だか分からないけど何かあるものも、今までの事も今ある事も善も悪も苦も楽も、全部一切に無駄が無いのである。
 そうすると、何だか分からないけど、昨日には大問題だったことが、今日には嘘のように簡単に解決する。この不思議に感謝し歓喜し、次の難問が待ち遠しくさえ思い、誰に言われるでもなく人にも伝えていこうとするし、苦しんでいる人がいれば進んで同苦し改革を巻き起こしていくのである。
 本当の信心に誰が偉いもあるはずが無い。だから号令や打ち出しで信心が深まるのではない。あるがままが信心なのだ。何が出来なくとも、それがその人の信心なのだ。
 その“人の心”に土足で踏み入る事は、信心の破壊なのだ。恐れずに言うならば無理矢理な無責任なものは悪である。
 もう池田先生は陣頭指揮は執っていないのである。一人一人がその場で考えていかなければならないのだ。今まではただ組織につなげれば良かった事も、一人一人がもう一歩深い情熱と思索をもって取り組んでいかなければ、今まで以下の事にしかならないのである。それどころか、今まで池田先生によって反転し功徳になっていた事も、ともすればただの悪への与同罪となって、かえって堕地獄の因を積む事もあり得るということなのだ。
 「黙ってちゃいけない、悪を許すな、下から上へ声をあげるんだ」
 何度も何度も池田先生は私たちに教えてくれたのだ。今、学会活動が面白いのも面白くないのも、真剣に祈れるのも祈れないのも、誰のせいでもない。既に全部、池田先生は教えて下さったのだ。
 他人じゃない。打ち出しがどうとか組織がどうとか関係が無い。全部自分なんだ。自ら仏眼法眼を必ず体得して、その目で悪を見抜き、民衆を苛める悪を徹底して攻め抜くことこそ、最高に明るい朗らかな春を迎え、我が胸に絶対に打ち負けることの無い常楽我浄の旭日を昇らせゆく道なのだ。
 その最高の笑顔と喜びが世界を包むことが広宣流布なのだ。
 妙法のルール、三世の生命観から言って、池田先生の慈悲のエネルギーは永遠に消えない。そのエネルギーに合致していくかどうかは全部自身にかかっているのだ。
 池田先生の慈悲は、どこまでを包んでいるのか?全人類を包んでいるのである。そして全宇宙にまで広がっているのだ。これと合致して負ける人生はあり得ない。絶対勝利とは池田先生と自分とが不二となる事なのだ。
 池田先生も自分も同じである。自分の身に起こっている生命活動をつぶさに観察せよ。今まで見てきたことも聞いたことも教えてもらったことも覚えた全部取っ払って忘れて信じるな。今ここにある池田先生と同じ生命現象だけを見るのだ。人間は皆平等であり同じである。同じ生命現象の起こる当体なのだ。湧き起これ十万の池田大作。自分じゃない人間はいない。
 広宣流布・南無妙法蓮華経・人間革命・池田先生・・・
 全部自分の異名なのだ。
 無理せずとも、頑張らずとも、打ち出しに乗らずとも、あるがまま勇気を持って逃げずにあり、出会いと誓いと破邪顕正を厭わないならば、開けない道は無い。



[366] 生命の詩 その2

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 9日(土)01時35分37秒   通報   返信・引用

 またもしくは「こんなに祈っているのに何で叶わないんだ」「信心してきたのにどうして悪いことが起こるんだ」そういう時もあるでしょう。
 全部意味があるんです。それを分からないで「御本尊様のバカ」なんて思ってしまうと、それは不信になるのです。信心があればこそ境涯が広がるのであり、不信では、そこで止まってしまうのです。
 境涯とは何か?
 今ここにいる自分と、向こう側にある御本尊が別々だと思うから、そこに境ができて自分は自分、よそはよそなんて独りよがりになることを境涯が小さいと言うのです。
 善に見える事も悪に見える事も、全部あなたの信心なのです。
 心底から信心を起こし、全宇宙を包み返す信心に立つならば、すなわち自身の生命が全宇宙に投影されているのだから南無妙法蓮華経でないものは無いのです。あなたの心身の生命活動のエネルギーがそのまま苦も楽も南無妙法蓮華経そのものなんだと信じれば恐いものは無いのです。
 人間として生まれてきた以上、四苦八苦は避けられません。祈っていたっていつか死にます。だけど、だからこそ四苦八苦は人間同士が分かり合うための共通の財産であり、実はそこにこそ生命の尊厳が秘められているのです。全ての仏はこの四苦八苦に向き合って生命の尊厳を開いて仏となるのです。だからこそ仏は同苦出来るのです。同苦と、そして変革が同時にもたらされるのが蓮華であり、その不思議としか言いようの無い心身の生命活動のエネルギーが南無妙法蓮華経なのです。
 蓮華の花は濁った泥水に咲きます。何度も言いますが、あなた自身の事です。娑婆世界が泥水だとか言ったって、あなたの直面している現実は、あなたの中にしかないのです。あなたの思い描いている理想はあなたの中にしかないのです。あなたの池田先生はあなたの中にしかいない。あなたの御本尊はあなたの中にしかない。あなたの日蓮大聖人はあなたの中にしかいないのです。
 誰かから「池田先生がこう言っているからこうやりなさい」って言われた?そんなのは関係が無い。あなた自身が、あなた自身の池田先生とどう向き合うかです。あなただけの道を開いていくのがあなたの信心なのです。あなた自身があなた自身の妙法蓮華経の五字なのです。
 誰かが外から何とかしようとしたって、なんとも出来ないのです。
 あなた自身が一人立って歓喜の中の大歓喜を味わっていく、それがあなた自身の生命なんです。
 宿業の話をしましょう。
 そりゃぁ悪い事だって起こるんです。当たり前の事なんです。
 それは、あなた自身の生命の中にあったものが出てくるという事なんです。
 仮に、ものすごく体に悪いものを食べ続けて、出来物が出来るようなものです。その膿を搾り出すようなことが、回復のための生命の現象として起こるのです。それを放っておいたら腐ったり命に関わったりするかもしれない事を、今、膿を出して軽く受けさせてもらえるのです。
 全部功徳なんです。真面目に御本尊に手を合わせて、自分の幸せのみならず他人の幸せまで祈って動いていて、罰なんか当たるわけが無い。そんなものなら勧めない。境涯が深く大きく清らかになるための、それが南無妙法蓮華経という生命の活動なんです。
 この生命を軽んじたりする様々な不純物が過去世から我々の中にいっぱい溜まっているのです。それを今、南無妙法蓮華経に巡り会って宿命転換する機会を頂いているのです。
 だからオギャーと産まれてから今までだけの事じゃないのです。今生人界だけで考えるから、他人を蹴落として自分だけ幸せになれば良いと考えてしまうのです。
 そんなのは河原で石を積み上げているようなものです。どんなに綺麗に高く積み上げて偉ぶってみたって、そんなものはちょっと揺らされれば簡単に崩れ去ってしまうのです。
 必ず自分が成し遂げるんだという広宣流布の活動だけが、本当の本物の山を一歩一歩登っていく、たった一つの正攻法なのです。この山を師匠の後に続き登っていく時、どれほどの境涯が開けるか、地球の歴史上、仏法史上、今ほど境涯を開ける時は無いんです。



[365] 生命の詩 その1

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 8日(金)10時13分13秒   通報   返信・引用

 今ここに吹く風は何を運んでくるだろう?
 見上げれば空、流れる雲は時々刻々と姿を変え、季節を告げ、朝な夕な色を染める。
 夜になれば寄り添う月は姿を現し、煌く星々は動かないように見えても、それこそ天文学的な時と空間の中で集まり・弾け・合体し・吹き飛ばされ、考えの及ばないほど躍動している。
 目をもって見、知をもって知る。
 ありのままに感じる事の出来るこの肉体は、無数の役割を持った細胞から形成され、一瞬一瞬を味わいつくし心を動かすのだ。
 知らないうちに細胞分裂し新しい細胞が生まれ、古くなった細胞と入れ替わっていく。呼吸する空気は、赤血球が酸素を体へと運び、エネルギーとして燃えた後は二酸化炭素として排出される。
 その二酸化炭素は植物によってまた酸素となり、悠久の昔より循環されてまたここに届く。
 元素を作る素粒子にまで目をやると、常識が通用しないほどの不可思議の世界が広がり、法則に従いながらも気まぐれに常識では捉え所が無い。
 過去にも未来にも続くこのような有様が、あるいは私たちを形作り、あるいは草木を生やし、あるいは太陽を輝かせ、あるいは月々日々を織り成している。
 与えられたこの生命、生かされている事に必然に起こる歓喜のエネルギーが、南無妙法蓮華経なんです。そのありようが御本尊なんです。
 合致して不幸になるわけが無い。全部良い方向へ良い方向へ向かっていくんです。
 ただし、尊い同志を軽んじたり憎んだり恨んだり嫉んだりしては福運を消してしまいます。
 それはよく聞くかもしれないけれども、そうは言ってもそこは人の心。憎まないようにしようと思い込もうとしても益々憎しみが込み上げてしまう事もあるかもしれない。
 ならば、どうするのか?人を見るから目につくのです。その個人を見るから憎さがわくのです。
 だから、なしている仕事を見るのです。その力を評価するのです。どんな努力をしてきたのかに思いを巡らせるのです。この事が何をもたらせてくれているのかに気付くのです。その事に対して自分はどうするのか答えを示すのです。その時の自身の生命状態が、そのまま報いとなって現れていくのです。だから信心が大切なのです。結局は、相手の姿や性質をどう感じる事も自身の生命を映し出しているからそう感じるのであり、その憎いと思ったりする自分主観の視点から脱しないと、その一番嫌な状態が今後も報いとして現れ、自身の生命もそれに引きずられて同じようになっていくのです。人類の負の連鎖は、そのように起こっていくのです。
 だから、自分主観の視点から脱して目覚め、そういう民衆が立ち上がらないかぎり、あんな幹部は御免だと言っても同じことが繰り返され拡大していき、組織は劣化していくのです。
 この自分主観の視点というものは、自分中心の、分かってもらいたい・変わりたい・強くなりたいという願望を常に抱いています。それでいて、自分は違う・組織についているから大丈夫・あの人は信心があるから頼れるという、根拠の薄い事に期待し、まるで他人事の世界を生きている。このことに気付けないのを凡夫と言うのです。
 本当は全部、24時間365日、自分と御本尊、自分と大宇宙の交流しか起こっていないのです。だから他人をどうこう言ったって仕方がない。自身の生命で、そこに起こる諸法実相・十如是を見ていくしかないということなのです。
 大宇宙の生命の有様を味わう体感によって、自然のままに最良になるのが信心なのです。



[364] たまには

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 5日(火)14時08分5秒   通報   返信・引用

趣向を変えて
落ち着く音楽でも
聞いてみるのも良い。

走りっぱなしでは
何か大事なものを
見落としているかもしれない。

道端に咲く一輪の花だって
懸命に生きているのだしね。

何だろうな。

宗門と別々になって
元々あった
宗門は法体の折伏を護って
学会は化儀の広宣流布をするってのが
崩れて

化法を実感として体感できていない二世達が
青年部として活躍しだす頃

何か、自分の力で努力して登りつめたんだから
この組織は自分の好きに動かして良いんだ
というような

それも、信心の上での思いではなく

東大に入るまでは大変だけど
入っちゃえばもう人生勝ちだよねって
世間的な感覚で

こんなに頭のいい私が
こんなに考えてやってるんだから
ちゃんと言う事聞けよ

って、それでも

そんなのは全然、信心じゃないんだけど
会員は信心ゆえに信心ではない歪曲だと信じられず
中枢も、あぁ、一往会員は付いてくるんだみたいな
逆の学びをして

もう信心なんか無くなっちゃって

それでも保身のために
打つ手打つ手が道を狂わせていく。

そんな組織が、個人に対して車座になって入会を迫り
情熱を持って叫べば何でも正義とばかりに一点張りの主張をして
似たり寄ったりな人間しかいない金太郎飴みたいな組織で
敵対するものへは批判中傷罵詈雑言の嵐で
週刊誌等は見てはいけなくて嫌悪感がひどくて
さも自分たちは最高の理想に生きる特別な人間で
こんな立派な組織を動かしているならちょっとぐらい役得があって
嘘を覚えれば号令だけで楽して役得のあるおいしい地位で
そんな体質を見抜いて糾弾するのは団結を壊す悪い人間で
だからそんな人間がいたら嘘で分断してでも徹底的に隔離して
数字を稼げる人間が大切な数字の力を持った組織で
それをオブラートで包むように上手く池田先生を利用して
結局行き詰る。

世間の人は、そんな面倒くさいものを
しつこくされない程度にハイハイと言って
踏み込まれそうなら断固NOという距離感を学習。

だからね
一人の人間である事に立ち返って
ゼロから向き合わないと始まらない。

南無妙法蓮華経が始まらない。

だからさ、たまには立ち止まって
何も考えずに美しい曲でも聴いて

何か必死に追いかけているものも

何にもない何にもない
あるのは生命の営みだけだって
生かされている我が身を感じるのも
大切な事なんじゃないかな。

https://www.youtube.com/watch?v=Z8Msxznyhfc
http://mp3.zing.vn/bai-hat/Golden-Gate-David-Benoit/ZW6BICE0.html



[363] 一方通行

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 4日(月)14時56分26秒   通報   返信・引用

幹部から会員への物言いは指導で
会員から幹部への物言いは幹部批判

よくよく考えれば
ずいぶん一方的なんだけど

これって何なのかなぁ?

いつから?
どうしてこうなった?



[362] 第2回座談会in関西

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 4月 2日(土)22時49分4秒   通報   返信・引用

えーと、三名のブログの第2回座談会in関西 に
参加してきました。

割と直前まで、行かない確率の方が高いつもりだったんですがね。

というのも、ただ聞きに行くだけになるなら行かないつもりだったのです。

が、宿坊の掲示板のSaySaySay 様が関与して
2部懇談形式が盛り込まれていた事

元々、それのためでは無かったけれど
ちょうど、発信者となれるような資料が手元に完成した事。

スーパー摧邪人様が参加した前例も後押しとなり

電車に揺られ、満開の桜を見ながら
「あ、本当に参加しちゃうんだ私」みたいな

で、会場に着く前からSaySaySay 様を発見でき
カンピース様も加わりミニオフ会状態。

今後の展望というところでは確かに
足りないところもあるかもしれないけれども

学生部の時の思いを一つの原点としている私としては
大切に育てたい芽であると感じました。

滝川光子さんの執念の手紙送付すげー。

天野達志さんのナチュラルにすごいっていうのが良い。

2部の懇談も、こんだけ自由な座談会だったら楽しい。

SaySaySay 様とも
いっぱい話せたし

と、まあ

良い一日になりました。



[361] 革命こそ蘇生さんへ

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月31日(木)20時54分43秒   通報   返信・引用

うんうん、確かにですね(^^)

最初の方から読み直していて気になったんで、宿坊板を覗いたのですが「アホらっし」と言うHNの方が居ないみたいなんで聞いてみました。

太ちゃんさんは素直なコメンターみたいですね(^^)



[360] 突然そこいきますか

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月31日(木)14時51分36秒   通報   返信・引用

そもそも私がこの掲示板に登場したのは
あのタイミングで情の深い太ちゃん様が
この掲示板を見捨てているわけが無いと
感じたからなんですよ。

それを想起させたのが、私にとっては
アホらっし様だったわけですが
アホらっし様が誰であれ
それが本人の意思表示であり
現象として見れば
アホらっしはアホらっしなわけです。

私も大ねずみというHNを
反宿坊板とココの二回だけ使いましたが
それはそれで、そういう現象として
私自身にとっても意味のあるものなんです。

宿坊の掲示板の安保スレで
大敗北というHNの人が登場していますが
誰だろうとも思うけれど
それはそういう現象として
起こっているのだと思うのです。

私の場合、インターネットの匿名性や
裏で逆の事をしたり自作自演も出来やすい
世界だと納得した上での
勘ぐりや駆け引きも含めて
自身の成長の場であると共に
見る人の心を動かし
自ら考えて一人立つきっかけと
なればと思い、こういう事をやってるわけです

そんな中で、この
「いまさらやめてはだめなのだ」で
宿坊の掲示板では出せない本気度で
やっちゃってるわけですが

諸法実相で見るならば
こんな姿で
こんな心で
こんな実体で
こんな力があって
こんな作用をして
それにはこんな原因があって
こんな縁によっていて
こんな結果をもたらしていて
こんな報いがあって
そんなものは究極的に一貫して等しいに決まっているだろうって

だから私は
それが誰かって事よりも
諸法として起こっている事に
相対していく心構え
って感じかな?

清潔な身なり様の問いが
私のこういう思いを綴らせていると思うし
だから、その問いが
良いとも悪いとも言わないんだけど

私としてはそんな感じかな??



[359]  突然

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月31日(木)05時31分52秒   通報   返信・引用

まったく関係無いのですが、このサイトの最初のほうで「アホらっし」さんていたと思うのですが、宿坊の論来の誰でしょう?



[358] ジャー

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月30日(水)10時02分53秒   通報   返信・引用

何事も価値的に楽しく。
楽しさって言っても、充実って事だよね。
後に虚しさが残るような事はまやかし。
日々、自らの成長に感動し
人の前を照らし人の成長にも感動し
この世界を歓喜の世界にしていく

その出発点は祈り。

それは御本尊への絶対の確信になっていく。

はずなんだけどな~
最高幹部様たちなんでかな~
御本尊様のこと
会員証ぐらいにしか思ってないのかな~
まともな信心指導とか無いくせに
会長指導とか笑わせるよな~

池田先生の海外指導の折の
勤行指導の動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=FTHt9MmNku8

これって、アルベア論が理解に役立つ。
アルベア論って、法華経の智慧を仏法以外の切り口からの説明だって事だし
使用される語句が、最初は反発があると思うけどね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t4/l50

それにしても、池田先生の声の響きって
同じ事を他の人が言っても、こうはならないよね。
包み込む、届く、奥まで響く。
怒鳴らなくても、優しくても
生命を啓発する。

同苦、なのかな?
南無妙法蓮華経だよね。
声仏事だものね。

すごい師匠なのだ。



[357] 天魔に背を向ける

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月28日(月)10時44分27秒   通報   返信・引用   編集済

皆さんこんにちは(^^)

革命こそ蘇生さん、「さようなら~ジャーッ」って良いですね!!(^^)

祈ってやるのも慈悲かも知れないですが、時間もないし私は凡夫なので自分や家族で手一杯です。

自分の事が一人前、三人前くらい出来るようになったら天魔の相手も可能かも(笑)

目の前の苦難を乗り越え、1日1回でも家族で笑えるように、お題目をあげきります。V(^O^)



[356] 一つ書き忘れた

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月27日(日)12時53分0秒   通報   返信・引用

護られている事に気付くと全てが有難い。

今までやってきた事は無駄じゃなかった
んだと思える。
今やってる事は無駄じゃないんだと
感じる。

有難う、有難う。

だから皆さんが
「こんなに幸せになれました」
ということを実感していく事

そのためにならない異体同心なら
そんなものならいらないです、私は。


さて

せっかく御本尊の前に座って
「天魔打倒」ばかり祈るのは
もったいないと思う時もある。

そんなのは、トイレでアレを流す時
「さようなら~」って
言ってりゃ事足りるんじゃないですかね?

↓だってアレだしね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/42051

強大な敵って身構える事なんじゃなく
自身に生き切る祈りを大切にねって事です。



[355] 異体同心

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月27日(日)09時54分42秒   通報   返信・引用

昨日、
「使命とか、異体同心とか
これは声高に叫んでみても」
と、言い出したのは

「共戦 揮毫」の検索で見た
「正義の揮毫」の随筆の文面からの影響である。
>>「大事には小瑞なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(1300頁)とは、日蓮大聖人の絶対の御確信であられる。
 誰が何と言おうが、私は私の信念で勝つことを決心した。
 そして、ただ一人、今まで以上の多次元の構想をもちながら、戦闘を開始した。
「獅子は伴侶を求めず」とは、よく戸田先生が、私に言われた言葉である。
 一人、孤独になった私は、無言のうちに、必ずや、真実の伴侶はついてくるであろうと信じていた。
 師弟の両者が一つの姿で、無限に戦い、舞い、走り、勝利しゆく。私は、その新しき時代の、新しき伴侶を待っていた。
 神奈川の地は、世界に通じる港である。
 ここから、私は「一閻浮提広宣流布」との大聖人の御遺言を遂行する、決意を新たにした。そして、「正義」という二字を書き記した。
 この意義を深く留めて後世に伝えてほしいと、側にいた数人の弟子に託した。
 5月5日のことである。<<

それが書かれていたブログには
>>そんな師匠にそれでも自覚もなしに泥を塗ろうとする弟子もいる。
ネットという公益の場で自分を正当化するために幹部批判をあからさまに書き込み
そんな無明に呼び込まれて同じような不満を書きなぐり悦に入っている
一部の青年部幹部や活動家が厳然と存在する。<<

なんて事も書かれていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/seigi55shonan/15944041.html

異体同心の教学的考察は
今までも常に、ずっとしてきたのではないかと思う。

異体同心ほど言葉で捉えがたいものは無いかもしれない。
だから異体同心ほど言葉で
「異体同心の団結」と叫んでも仕方が無いものはない。

太ちゃん様がよく言う
「池田先生が陣頭指揮を執っている時はそれでも良かった」
という次元なのだと思う。

異体同心と広宣流布の関係を考えてみよう。
万事を成す異体同心によって広宣流布が進み
広宣流布を進める異体同心によって万事が成せるのである。
参照・異体同心事http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2013/6.html

また、異体同心と信心の関係を考えてみよう。
異体同心の信心とは生死を超えた三世に渡る
自然のままの本然のままの元初のままの信心であり、
異体同心の信心とは自分と他人、あちらとこちらの違いなく
あらゆるイデオロギーを越え、思想宗教の違いをも越え行くほどの
全体性の生命の実相への立脚という広がりまで含んでいるのではと思う。
参照・生死一大事血脈抄http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2014/8.html

つまり
個々から見て一念三千の信心に立脚できた時に結果的にそれが使命であり
全体性から見て一念三千の信心に立脚できた時に結果的にそれが異体同心ではないかと思う

「団結せよ」「呼吸を合わせるんだ」そんなんじゃない。

誰がなんと言ったかなんて、言い訳でしかないだろう。
あれも、それも、これも、どれも
自身なんだ。

関係した時点で
関係ないものなんて無くなってるだろう。

誰かが何とかしてくれる事を待ったって、
何とかなったような錯覚に自分を慰めて思い込み閉じこもるだけだ。

自分しかいないんだ。
不安が反転しなければ、いくら「歓喜」と言ったって
「歓喜・・??」ぐらいにしかならないだろう。
煌く黄金の一文字一文字は全部自身の事以外には無いんだと決めるんだ。

その中に、あえて「団結」と言わなくても
不思議に結ばれた絆があることに気付くのだ。

それは、どんなに引き裂こうとも
どんなに粉砕し尽くそうとも
壊れることなく、
大自然をも大宇宙をも味方としながら
厳然と続いていくのだ。

難を覚悟の上であるのに
こんなにも護られて、どれほど有り難い事か。

表立って味方をしてくれる事だけではない。
一見、敵対するもののように見えるものも
なんでもない事に見える事も、全部全部である。

詮ずる所、皆様に
「こんなにも幸せになりました」
と言ってもらう事が
異体同心なのである。



[354] 使命

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月26日(土)11時52分20秒   通報   返信・引用

使命とか、異体同心とか
これは声高に叫んでみても
どうしようもない。

「使命」って言葉自体は
御書には無いんじゃないかな?

「宿命を使命に変える生き方」って
要するに一念三千に生き切るって
事への宿命転換を
分かりやすく伝えるための手段の一つ。

だから「使命」って言葉が一人歩きして
「やらなきゃならない」って
義務感になると全然違ってくる。

そのあたりが
ズレ・ブレなんだと思う。

>>池田名誉会長の指針から

 仏法は「変革の哲学」であり、「逆転の思想」である。
 蓮祖は、厳然と仰せだ。
 「大悪をこれば大善きたる」(御書1300ページ) それは無責任な憶測(おくそく)でも、希望的観測でもない。大悪という試練の溶鉱炉に鍛えられてこそ、大善の鋼鉄を打ち出すことができるのだ。
 だから嘆いてはならない、むしろ舞を舞うが如く、喜び勇んでいくのだ!
 誰が見ても、大変だと思うような悪条件がある。だが、一人がそれを破れば、状況は一変する。その人の勝利は、同様の苦悩をもつ万人の希望となり、勇気となる。
 仏法では「願兼於業(がんけんおごう)<願、業を兼(か)ぬ>」と説く。菩薩は、苦悩の衆生を救うために、自ら願って濁世に年まれてきたというのである。
 戸田先生はよく、我々は、あえて貧乏や病気の姿をして、妙法の偉大さを証明していくのだと言われた。
 重苦しい宿命も、必ず勝ってみせると誓った時、それは導き使命に変わるのだ。
 苦難の時こそ、広宣流布の好機である。労苦の場所こそ自身の「一念の変革」こそ、わが郷土を麗(うるわ)しき楽土に変えゆく根本条件だ。悪条件と思われたことも、見方が変われば好条件になる事例は少なくない。(「随筆 新・人間革命」(青年の旗・青森)、『池田大作全集』第133巻所収)<<

異体同心もまたしかり。

次回、考察してみよう。



[353] 蘇生を願う、そして誕生も

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月22日(火)11時27分8秒   通報   返信・引用

サイヤさん、革命こそ蘇生さん、みなさんこんにちは(^^)

「女性を護る」当たり前のことが出来ていない事に世界中が目を背けてるのでは無いでしょうか?

人間主義ひいては生命(種)主義を考え直さないと人類(種)は衰退の一途だと危惧してしまいます。

何の為の南無妙法蓮華経かを突き詰めると人間の為ほかならない。森羅万象、宇宙さえも人が居なければ無いのと同じ。ちょっと乱暴ですが正直そう思います。

女子部の方に対して、「恋愛は二の次、信心第一」的な指導も古いと思います。全ての生命活動の源こそ南無妙法蓮華経であり、何を妨げるものであっては為らないと考えます。
保育所が少ないのなら会館に手を入れて、有資格者を高給で雇い入れ地域貢献していくなど、色んな智恵を出していくべきです。
本部幹部に高給を払うより生命に対する投資を行えば、社会からも市民権を得て活動も活き活き頑張れます。

働きたい女性が働け、家を守りたい女性がそれに専念出来る。江戸時代には出来ていた事を今やれない訳はありません。多少の痛みは覚悟しますので是非とも公明党には命を賭けて望んで頂きたい。
先生のビジョンが分からないのなら人間革命を読み直して政治活動を行って欲しいものです。

公明党議員はお題目あがってるのかな~?



[352] 蘇生を願う

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月21日(月)21時35分13秒   通報   返信・引用

今を躍動して生きるために必要な事は何か?
情熱の源となるものは何か?

それは、自分の所属するコミュニティーにおける
感動の共有のビジョンではないかと思う。

すなわち、人は
連帯し共有する感動に躍動し
その更なる波及に貢献できる事に
希望の太陽を見出し前進を開始するのだ。

そしてそこには歌がある。

>>随筆 新・人間革命 16 法悟空
民衆の歌と舞
――指揮は勇気を鼓舞する”芸術”――
 「民族の興隆には、必ず歌があった。わが学会にも、歌が必要だろう」とは、戸田先生の卓見である。
 妙法の死身弘法を決意されていた恩師は、すでに獄中で、あの「我いま仏の旨をうけ……」で始まる「同志の歌」を作詞されている。

~中略~

 師の精神を、わが精神とするがゆえに、私は一つの舞でも、魂を発光させて舞った。
 友よ立て! 君よ負けるな!――と心で叫びながら。
 高熱を押して、何曲も舞ったこともある。
 今月の本部幹部会では、青年部の代表と一緒に、「威風堂々の歌」の指揮をとった。
 ”父子の舞”を舞いゆく、幾十万、幾百万の「山本伸一」が育ちつつあることが、私は、何よりも嬉しい。
 二十一世紀のいっさいを頼む。永遠不滅の学会を託す――との思いを込めた舞は、あまりにも嬉しき王者の舞であった。
 わが弟子よ、広宣の扇を手に、生涯にわたって、ある時は敢然と、ある時は悠然と、また、ある時は勇気凛々と、陣頭指揮の舞を頼むと、祈りたい。
1998年3月22日(日)掲載<<

さてさて、次元の違う話になるかも知れないが
世界で最も歌われている歌の一つは
「ハッピーバースデートゥーユー」である。

地位や名誉に関係なく
誰人にも一年に一度訪れる日を祝う平等の歌である。

そして、そこに同席して祝う感動の共有の歌である。

生命を解き明かす仏法は本来、
そういう年々へ、そして月々日々への賛歌である。

生かされている事への感謝と報恩の道である。

軍国主義下、国家神道は
日本というコミュニティへの人の従属の道具であった。

戦後の創価学会は
魂を揺さぶる歌を携え
不幸からの脱却、自身の成功、一家一族の幸福、想い事の成就、世界の平和
そういう祈りを力に変え前進していた。

今という時代は、音楽などの多くの文化が
そこに同席して感動を共有するものから
個々人の好みに合わせて手軽に持ち運んだり
膨大な選択肢の中から選んで、そこに浸るという閉塞的な面が
大きくなっているのではないか。

ここに共にあり、皆同じなんだという生命実感が希薄となり
好みの合う者を見つけ出さなければならない
皆それぞれ個別なんだという分断が肥大化しているのではないか。

「智慧」「慈悲」のエネルギーが
時代の変遷に引きづられ
「策」「サービス」のシステムに入れ替わり
引き入れて繋ぎ止めて
「策」「サービス」「システム」の存続に
人間が利用される。

しかもその内の「サービス」は
「智慧」「慈悲」のエネルギーが失われれば
ただの張りぼてである。

そんなもののために人間が
従属させられるのは恐ろしい事だ。

むしろ今は神社に参拝している人の方が
不幸からの脱却、自身の成功、一家一族の幸福、想い事の成就、世界の平和
そういったものを純粋に祈っているのかも知れない。

とはいえ、神社の参拝者は
その場限りであるからそうであるだけだ。

生命感覚の希薄さは
社会のシステムで何とかしてもらおうという
全て他人事である世界を構築する。

保育園が足りない。
裏技を使ってでも保育園に入れるために
あの手この手。
有利にするため子供を生む月も計算して
子供を作るのが基本。
子育ても、本来の生物としての人間の
性質に反する孤独で不安な実情。

子供を産み育てる環境の破壊。
人間自身に返ってくるそれは
人間も地球上の生物の一員である事を
忘却したしっぺがえしかもしれない。

生命観に立った「人間のため」が抜け落ちたシステムは
繁栄ではなく衰亡をもたらすのだ。

しかも多く割を食うのは
女子供という
本来、人間の生物としての在り方を問うなら
一番に社会を挙げて護り育んでいかなければならない
ところなのである。

だから、総合的に考えて
女性自身がその視点で起こす本来の生命観に立った信仰による社会の変革。

それは、人間性の蘇生の歌となるに違いない。

その時、だから男性は、
自分たちが作ったシステムの上に女性を招き入れるのではなく
システム自体の変革を女性に託し、
力の限りサポートしなくてはならない。

この板の主であるスーパー摧邪人様の提案である
次の会長は女性がなるべきとの見解は
だから、考察の価値があるのである。



[351] 破邪顕正

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月19日(土)03時42分53秒   通報   返信・引用

新池御書(P1443)

この経の信心と申すは少しも私なく経文の如くに人の言用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ、仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申し候へば天然と三十二相八十種好を備うるなり、如我等無異と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり、譬えば鳥の卵は始は水なり其の水の中より誰か・なすとも・なけれども觜(くちばし)よ目よと厳(かざ)り出来て虚空にかけるが如し、我等も無明の卵にして・あさまし身なれども南無妙法蓮華経の唱えの母にあたためられ・まいらせて三十二相の觜(くちばし)出でて八十種好の鎧毛(よろいげ)生(おい)そろひて実相真如の虚空にかけるべし。

【通解】

この経の信心というのは少しも我見なく経文のとおりに、人の言を用いず、法華経一部に背くことがなければ仏になるのである。仏になるということは別のことではない。南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく、唱えていくときに自然と三十二相・八十種好を備えるのである。「我が如く等しくして異なることなし」といって釈尊のような仏に簡単に成るのである。たとえば鳥の卵は始めは水である。その水の中から、だれかがしたということもないけれども、嘴(くちばし)・目と身を荘厳するものができてきて、やがて大空に飛翔するようなものである。私達も無明の卵で浅ましい身であるけれども、南無妙法蓮華経の唱題の母に暖められて三十二相の嘴が出てきて八十種好の鎧毛が生え揃い、実相真如の大空に飛翔することができるのである。

【語句】

三十二相八十種好:迹仏が応化のために、色相荘厳と備えて仏身をあらわす。

応化:仏が迷える衆生を救う為に時と衆生の機根に応じて種々に姿を変えて出現すること

如我等無異:「我が如く等しくして異なることを無からしめん」と読み、衆生を仏と同じ境涯にしようとの釈尊の誓願

無明:成仏を妨げる一切の煩悩の根源

実相真如:実相とは妙法をさし、実相とは真実のありのままの意。

~~~~~~~~~~~~~~

さて、感情よりも法理を選び取り
何が何でも南無妙法蓮華経と、
もう、この魂の振るえ自体が
南無妙法蓮華経なんだという
エネルギーを
実際にこの身の上に現し起こせば
生命が実感になってくる。

さて、日蓮仏法から見た法華経二十八品は
南無妙法蓮華経(或いは日蓮大聖人)
の賛嘆になっているのである。

だから、南無妙法蓮華経を賛嘆する事は
法華経二十八品と等しい行為であり
釈尊程の仏にやすやすと成れるのである。

さて、生命の実感から見て
世界を包んでいる池田先生の
慈悲のエネルギーというものは
池田先生が亡くなられても消えるものではない。

そうして見ると、一閻浮提総与の大御本尊
(或いは御書)というのは
池田先生を賛嘆するものとなる逆転が起こる。

生命感覚に立って池田先生を賛嘆し
少しも私なく御書のとおりに
幹部の言葉や組織の打ち出しなんか忘れ去って
三大秘法に背くことが無ければ

だから、大御本尊と自分とが同じになり
日蓮大聖人ほどの仏に成れるのである。

民衆こそが本仏という道を開くのである。

しかも、池田先生は
「私の信じ目指しているところと
貴方の信じ目指しているところは
煎じ詰めれば同じなんです」
という道を世界に開いた。

世界中の各文化が自ら成長し
成熟していくための種を蒔いたのだ。

創価学会のこれからの本来は
それを信じ育てていく事だ。
世界の平和のハーモニーを実現させる事だ。

それを
「大御本尊を受持しない」などと言い出す。
それはそのまま、教学の方向性を見失い
池田先生を賛嘆しない事として
如実に現れている。

それらは、だから別々の事ではないのだ。

ならば池田先生を切った日顕と
池田先生の賛嘆の大御本尊を切った執行部と
何が違うというのか。

執行部を責め
池田先生を宣揚するところに
功徳はある。

それが正法護持の道だからだ。

いざ、実相真如の大空に飛翔せん。



[350] 人の振舞

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月17日(木)03時05分4秒   通報   返信・引用   編集済

そもそもの、そもそもが、

「一代の肝心は法華経・法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり、不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ、穴賢・穴賢、賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(崇峻天皇御書P1174)

というのを逆に考えてしまう事にあります。
いや、考えるから逆になってしまう。

思考というのは、表層の
情報整理、情報交換、意識の方向付け

それぐらいの事でしかないのに
その中で起こることが全てと思っているから
人の「善意の最上位の」振る舞い
というような、勝手な解釈をしてしまう。

みなさん、自身の中で起こる
新陳代謝・細胞分裂とか、
思考して意識的にやっているわけでは無い。

だけど、事実として
九識として人として起こり顕れていらっしゃる。

そのことを不軽菩薩は敬ったんだと思います。

朝起きて
様々な事に出会い
様々な事に意識を向けて
対話し交流し
宣言をして
意識を巡らせたら
一日の終わりには
忘れて寝る

それだけのことが
どれだけの生命の躍動であるのか

その本来に立ち返るのが
無作の三身なのです。

すると
向けた意識は
思考を離れてなお
宇宙を駆け巡り
「なるようになって」
返ってくる。

この事に気付くために
信仰があり御本尊がある。

部分部分なら
各宗教や個々の悟りでも
通じているんだけども

全てを包括できる無始無終の下地は
日蓮仏法にしか無く

それをもって世界中と交流を果たした
池田先生の思想というものは

すべからくこれからの人類の
善を結集させるためのものとなる。

寄り集まって
頭で考えてたって仕方が無いんですよ。
理屈抜きで一心不乱に
躍動する生命の実現。

文化祭とかそんな感じでしょう?
大事な事なんです。

響きあう生命によって織り成す。
音楽隊・鼓笛隊は生命躍動のメロディーを奏でるのです。

洗練された感性の実現も生命の顕れです。
書画も大事なんです。

もちろん透徹された英知の実現も大事です。
日蓮仏法の生命哲学なんです。

詮ずる所、世界に開かれた
南無妙法蓮華経の生命エネルギーこそが
池田先生の思想なのだと思うのです。

縦横無尽に百花繚乱
躍動する生命エネルギーを
肌で感じながら
不思議となるようになっていく

池田先生の意思と重なる限り
絶対安心なのです。

絶対無敵であり
絶対勝利であり
絶対的幸福なのです。

そのためには先ず
悪を責める勇気からですね。



[349] 逆流性悩乱 補足付

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月17日(木)02時53分15秒   通報   返信・引用

池田先生のご構想から考えて
政治参加は化儀である。
信仰の対象は化法である。

(化儀は大文化運動とも)

その両極への人間のダイナミズム
による個々人の幸福と
まぁ、この場合日本政治の安定。
そこまで含めての創価学会の
存在意義であると思う。

山にこもって悟りを得るだけの
宗教では無いですからね。

(戸田先生は確か
自分一人幸せになるだけなら
信仰はいらないと言われた。
信仰による生命の躍動のエネルギー
をもって社会に飛び込み
交流をしていく中で
直面する種々の問題を解決し
多くの人に安心と幸福を運んでいくのが
本当の創価学会の信仰)

さて、化法と化儀の両面を
一本の思考上で捉えようとする
「おかしさ」が垣間見える。

化法は、絶対不変の真実に立脚するための
生命感覚の感得・体得とも呼べるような
方向性だと思う。

一方の政治参加を含める、民衆の実生活は
直面する理不尽な諸問題への
対処や決断の連続である。

(人間の体で言うと
動脈と静脈があって初めて
血がめぐるのであって
逆流するのは病気である)

立脚点が深く真っ直ぐならば
対処や決断も深く真っ直ぐなものになる。

これが仏法の法理である。

問題なのは
化法を直面する諸問題と見て
政治的判断を下す愚行にある。

(そして会員を
一つの型にはめて絶対服従とか
完全に逆になっている)

そうして深さ真っ直ぐさを失った所に
立脚しても
それは深さも真っ直ぐさもない
対処や決断となるのである。

ともあれ、しっかりとした
信仰を土台として
理不尽な諸問題にも向き合い
対処、解決していける人材の育成こそが
本来の創価学会であると思う。

そこには、多様な意見も
存在してしかるべきだ。

(直面している現実が違うし
桜梅桃李の個々の志向性もある。
それを認めているのが日蓮仏法。)



[348] 清潔な身なり様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月15日(火)11時36分38秒   通報   返信・引用

自分自身、ずっと引っかかっていた部分
でもあり、在り方がちょっと分かった
感じなので、良かったです。

皆様のお陰です。

と、同時に、今回、
「自身の中で考える」というプロセスを
自覚出来た気がするので
それも収穫です。

これはアルベア論様様だったりします



[347] 革命こそ蘇生さんへ

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月14日(月)12時52分39秒   通報   返信・引用

宿坊への逆流性悩乱の文章よかったです(^^)

大御本尊という化法の最たるところの対処、決断をあやまったと私はいまだ思ってます。

学会改革が必要なことは解るのですが、さきの会則変更は間違いです。
逆風を恐れず声を上げて行きたいと思ってます。



[346] 公明党支援は学会活動の一部に留めなくては

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月14日(月)08時52分46秒   通報   返信・引用

公明党の結党精神を再確認し、広布の一環に留めなくては本末転倒になってしまうと思います。

私は自分の宿命転換を賭けて今度の法戦を戦いますが、納得いかない人も多いのでは無いでしょうか?

御本尊根本は当たり前なのに、その当たり前を出来にくくなってる創価学会では未来が危ぶまれます。
一昨年の会則変更を白紙撤回し、教学面と三代師匠の指導をしっかり取り入れて実践できる会則を制定して頂きたい。
執行部は頭を冷やして御本尊根本に立ち返って行動して欲しいです。

誰もが幸福に成れる組織を再建する為、金吾よろしく頑張ります(^-^)v



[345] 追伸: ホームページにリンクと検索機能を作らせて頂きました

投稿者: 太ちゃん 投稿日:2016年 3月13日(日)17時06分31秒   通報   返信・引用 > No.344[元記事へ]

> お待たせしました。
> 掲示板へのリンクとこの掲示板を対象にした検索機能を作りました。
> 掲示板の内容の良さにより、ぜひ多くの学会員さんに見て頂きたいという思いからです。
>
> なお、検索は現在はヤフーとgoogleを併用してますが、ヤフー検索の方が検索条件の設定がしやすくわかりやすいため、ヤフー検索のみにしてgoogle検索は将来は外す予定でいます。
>
> 今後ともよろしくお願い致します。

追伸です。
先ほどgoogle検索を外してハンドルネーム検索へ置き換えました。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/



[344] ホームページにリンクと検索機能を作らせて頂きました

投稿者: 太ちゃん 投稿日:2016年 3月13日(日)16時12分29秒   通報   返信・引用

お待たせしました。
掲示板へのリンクとこの掲示板を対象にした検索機能を作りました。
掲示板の内容の良さにより、ぜひ多くの学会員さんに見て頂きたいという思いからです。

なお、検索は現在はヤフーとgoogleを併用してますが、ヤフー検索の方が検索条件の設定がしやすくわかりやすいため、ヤフー検索のみにしてgoogle検索は将来は外す予定でいます。

今後ともよろしくお願い致します。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/



[343] 清潔な身なり様

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月13日(日)12時51分22秒   通報   返信・引用

本来は

何があっても御本尊様根本
何が何でも南無妙法蓮華経
そこまでの人材を育てるまでが
折伏で
入会、御本尊流布は
通過点であったはずと思います。

そういう折伏の団体だからこそ
全てが妙法の力で活かされて
歓喜みなぎる活動になる

どこかで何か

何があっても公明党
何が何でも打ち出し優先
みたいな

ずっと思ってたのは
「そんなのは折伏じゃない」
って事

折伏じゃないから歓喜が無い

あらー、悪循環ね。

一人でも多く気付いて
本当の折伏と歓喜に立脚してほしいと
切に願います。



[342] 革命こそ蘇生さんへ

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月12日(土)16時30分37秒   通報   返信・引用

益々ご考察励まれているご様子でなによりです(^^)

>>まぁ、もはや、理解という次元ではない話だという事は、だから理解しても、そうじゃないって事ですよ。

☆なんで南無妙法蓮華経なんでしょうね?理解という次元を超えています!
何が何でも南無妙法蓮華経なんですもんね!唱えれば解る、考えても分からない!?
南無妙法蓮華経(_ _)



[341] ここは宇宙ですか?

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月12日(土)15時05分53秒   通報   返信・引用

思考実験

Q.ここは宇宙ですか?
A.いいえ、ここは地球です。

Q.宇宙は何処ですか?
A.地球以外の空間です。

Q.地球だけが宇宙ではないのですか?
A.、、、星も何もない空間が宇宙です。

Q.何も無くて何も起こらないのが宇宙ですか?
A.いいえ、考えられないくらいダイナミックな事が起こっているのが宇宙です。

Q.宇宙にあるものは宇宙ですか?
A.、、、宇宙です。

Q.ここは宇宙ですか?
A.、、、宇宙です。

Q.あなたは宇宙ですか?
A.、、、宇宙です。

反転の反転
法華経の本門の仏の働きを示す
生命論的弁証法の良医病子の擣篩和合
妙法蓮華経に帰し命づくそれ

己義と深化の違いはその辺り

南無妙法蓮華経、人法一箇の御本尊、尊極の生命を賛嘆する法華経によって
「今ここ」に法華経が生命の実相として顕れていくかどうか

アルベア論を読んでいて
そろそろどこでも良いから法華経の智慧を読んでみようと投げかけられ
開いた所で見たものは
どうやら、人法一箇とは、御本尊の事だけを言うのではないという事

さらにそのキーワードで検索して見たものは

>>
名誉会長: 飛躍した言い方になるが、緒論から言えば、人法一箇の南無妙法蓮華経如来の功徳を賛嘆しているのです。「久遠実成の釈尊」も「上行菩薩」も宇宙の根本仏であられる南無妙法蓮華経如来の「迹(影)」です。
南無妙法蓮華経如来は、無始無終の仏であり、宇宙生命そのものであり、三世十方の一切の諸仏の根源であり、十界本有、十界互具の御当体です。その十界のうちの「仏界」を、法華経では「久遠実成の釈尊」と「多宝如来」として説き、南無妙法蓮華経如来の「九界」を「上行菩薩」等として説いたのです。
同じ根本仏の己心の仏であり菩薩です。だから、ここでは南無妙法蓮華経如来を賛嘆してもしきれないと言っていると拝してよい。南無妙法蓮華経如来は、諸仏を生んだ「根源の師」ですから、師匠を讃えていることでもある。

須田: そうしますと、大宇宙を揺るがす神力をもってしても、讃えきれないのも、道理です。<<

と、

大宇宙を揺るがす神力って
これに符合する出来事なんて
普通、起こり得る事実とは思っていなかった。

だけれども、やっぱり
生命を貫く真実なのだと顕れるのである。

人法一箇とは、「今ここ」を離れた思考、概念に真実があるのではなく
「今ここ」に顕れている現実の振る舞いが真実の生命なんだという事である

ちょっとすっ飛ばしますが

我が色心不二の一極が、そのまま御本尊であり

心に師を持って不二となる事が、そのまま戒壇であり

その振る舞いが、そのまま南無妙法蓮華経である。

まぁ、もはや、理解という次元ではない話だという事は、だから理解しても、そうじゃないって事ですよ。



[340] Re: ふと疑問が・・・

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月11日(金)11時06分23秒   通報   返信・引用   編集済

> 『法体の広宣流布』とか『化義の広宣流布』とは誰が言い始めたのでしょうか?

☆ヤッパリ日寛上人が確立されたのだと思います。

余談ですが…偶然ですが私の子供の名前にも寛の字を使わせてもらってます。
お世話になってる公明党市議さんから一字貰いました(^^)
だからと言うわけでは無いですが、日寛教学は捨てきれません。創価学会の歴史でもあると思ってます。



[339] (無題)

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月10日(木)11時12分14秒   通報   返信・引用

スーパー摧邪人様

その御書講義、大賛成です。
人間革命のエネルギーを感じます。


厳護朗様

にわか検索ですが、どうも日寛上人が
法体の折伏・化儀の折伏を立て
「或いはまた、兼ねて順縁広布の時を判ずるか」
と言っているところから来ているようですね。
日有上人まで遡ると、それらしいものは
無いんじゃないかな?
日蓮正宗創価学会の一枚岩のとき

日蓮正宗は法体の折伏を守る(令法久住)、
創価学会は化儀の広宣流布を目指す

という役割分担がなされたようです。

あれ?今の創価学会って
「令法久住なんてもういらないでしょ」
って流れにあるのか?

恐いね。

SOKA YOUTHの観心本尊抄
http://www.sokayouth.jp/study/goshokatsu/2012/02.html



[338] ふと疑問が・・・

投稿者: 厳護朗 投稿日:2016年 3月 9日(水)20時20分17秒   通報   返信・引用

『法体の広宣流布』とか『化義の広宣流布』とは誰が言い始めたのでしょうか?



[337] 最近思ったこと

投稿者: スーパー摧邪人 投稿日:2016年 3月 9日(水)16時44分57秒   通報   返信・引用

次の土曜日は座談会です。私はまた御書講義を担当します。今月の御書は「一生成仏抄」です。学習範囲の御文の中に、「深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし」とあります。「深く信心を発して」は先生が側近に語られたという「深く大きく境涯を開き」に通ずるものがあるように感じます。先生はその後に「目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と云われました。

創価学会の発迹顕本については種々思索し述べてきました。ここへきて思ったことは、創価学会の発迹顕本を自らの使命として決意した人間がどれほどいるだろうかということです。おそらく副会長クラスでもほとんどいないのではないでしょうか。会長・理事長・主任副会長が何を考えているかは知りませんが、一般会員は誰かがやるだろうくらいの意識しかないのではないでしょうか。

しかしそれでは創価学会の発迹顕本はできません。信濃町や大誓堂が創価学会なのではありません。第一線の地区こそが創価学会であると考えるならば、一人ひとりの会員が創価学会発迹顕本の決意を持たなければならないと考えます。そしてその決意を持ったものが、自身の発迹顕本への道に入ったものと看做すことができるのではないでしょうか。

しかし学会本部からもラインからもそのような声は聞こえてきません。一般会員がそのような意識を持つことは、本部にとって都合が悪いのでしょうか。中枢の執行部にとっては指示通りに動く会員が大事で、自身の頭で考え行動する会員は邪魔でしょうがないのでしょう。それ故に先生が「頼む」と云われたものを黙殺しているものと考えます。

黄金の三年の最後の一年、いま求められるのは創価学会の発迹顕本を我が使命とし、自身の発迹顕本への道へと入った会員です。そのような会員が二人・三人・百人と増えていき、先生が「出でよ」と云われた「10万の池田大作」となることではないでしょうか。そして「10万の池田大作」無くしては、創価学会の発迹顕本は成し遂げられないのです。

御書講義でこのような話をしたら、どのような結果が待っているでしょう。ちょっとしてみたい誘惑に駆られています。学会批判の部分を除けば問題なく通用する話だと思いますが、どれだけの方が自らの使命として受け入れてくれるでしょう。「選挙などしている場合ではない」とも云いたいのですが、そんなことを云えば120%顰蹙でしょうね。(笑)

http://macska2012.blog.fc2.com/



[336] 知らないのなら思い込まず、まず学ぼう

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月 9日(水)10時44分53秒   通報   返信・引用

化法と化儀。
私自身、なかなか追いついていないなぁ、と思い知らされる。

日寛教学をちゃんと学べていない事が
日寛教学をちゃんと学ばない流れがあることが
かえって化法と化儀では化法が上で
創価と正宗を比べると正宗に都合の良いものなんだろうという
思い込みに陥っているのかもしれない。

さて常々疑問に思うところは
池田先生の会長就任の挨拶。
鬼気迫る緊張感の中、発せられた言葉としては
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます!」
というものだ。

池田先生ほどの人が、それだけ投げ打って、それでも一歩前進、と。
その化儀の広宣流布とは、いかなるもので、どれほどのものかという事。

「化儀の“化”は応用です。“化学”の“化”は化ける方ですが。今、仏法の立場からは“形式”をいうわけです。制度とか政治になります。結局は、社会を意味することになるのです。」
【四国第一本部地区部長会 1964-01-16 四国本部広間】

というのを見つけた。
今抱いたイメージとしては、組織を拡大する事によって、地球上の社会の隅々まで血管を張り巡らせ、学会のリーダーが心臓となって送り出す人材の血流によって、社会を劇的に変えていく大文化運動という大革命であり、人類全体の宿命転換なんだというもの。

当然、戦争は人類の大きな宿業であり、実現すべきは、平和と幸福の生命の時代。

それが健康な創価学会であると思う。
今は、病んでるんじゃないですかね。

この考察の元になったのは秋晴れさんがリンクを貼った宿坊の掲示板の記事。

化儀の広宣流布の折伏の大変さに比べたら
化法の広宣流布は摂受なんだと書いてある。

当然、化儀の広宣流布をする時には
日蓮大聖人以上の力のある人間が必要になるという事ではないか?

それだけの事を推し進めたのは池田先生しかいませんね。
御書にある未来記の実現です。

滅後の未来記の実現、やはり、それが種脱相対ではないかと思う。

↓考察の元の記事。
>>山本さんアメリカからの書き込みですか!  投稿者:宿坊  投稿日:2013年10月29日(火)11時59分46秒

時来れば上行菩薩を棟梁とする地涌の菩薩が出現すると言う仏法上の約束事があります。

「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ず
る時は僧と成つて正法を弘持す」(観心本尊抄)

「この四菩薩」というのは、当然地涌の菩薩の棟梁の上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩。
「折伏を現ずる時は賢王となって愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」とこう書いてあります。
なにげなく読めばすっといくとこですが、よくよく考えてみるとおかしいわけです。

なぜかというと、大聖人様っていうのは、大折伏をされたかたです。大聖人様が摂受なんて誰も思わないですね。
ところが、大聖人様は頭を剃って袈裟衣を着けている僧侶です。

だったら、この四菩薩折伏を現ずる時は大聖人様のように聖僧となって、「僧侶となって」というふうに書いていなければなりませんが、
在家のほうですから疑問が当然起こってくるわけです。

この疑問を日寛上人が観心本尊抄文段で取り上げて、こういうふうに言っているんです。

「問う、この四菩薩折伏を現ずる時は聖僧となってと云うべし。すなわち蓮祖の如し。何ぞ賢王というや」と。
これに対して、「答う」、折伏に二つの意味があるんだと。

「一には法体の折伏。曰く『法華折伏破権門理』の如し。蓮祖の修行是なりと」これは法華の折伏は権門の理を破すといって、
爾前権経の理論を徹底的に破祈していく、そういう理論闘争これが大聖人様がなされた折伏なんです。

で、その究極としての御本尊を残され、法体の広宣流布の達成を遂げたというふうにいうわけです。

ところが、もう一つの折伏があるっていうのです。
それが化儀の折伏。「曰く、涅槃経に曰く『正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に
刀剣・弓・箭・鉾槊を持すべし』云々仙予王国等是なり」とあるわけです。

大聖人様のやった法体の折伏といってもこの化儀の折伏からみれば摂受のようなものだ、と。
だから、勧心本尊抄では「摂受を行ずる時は僧となって」と、大聖人様は僧侶であるかで、
摂受になってしまってるんだということなのです。

次の「或いはまた、兼ねて順縁広布の時を判ずるか」ということは、大聖人様当時は逆縁ですから、信教の自由も保障されてませんし、
一国広宣流布する可能性もなかったわけです。だけども、大聖人は三世を通暁されています。

不思議と七百年後、信教の自由が保障され、一気に広まる時がくると。その時には在家に、四菩薩にあたる方が現れ、
賢王として化儀の広宣流布をやっていく、そのことを予め、前もって予言しているのであろうかっていう、日寛上人のお言葉なわけです。

その予言通り現れてきたのが創価学会なのです。
それは日淳上人が明確に仰っているんです。

「お釈迦様の折伏も日蓮大聖人様からみれば摂受だ。ところが日蓮大聖人様の折伏も王法の折伏と比べるとこれも摂受になってしまう。
だから、さっきの一節になる。だから日蓮大聖人様が衣を着けて僧の形をとっている限りはこれはなんといったって摂受になるんです。
大折伏となったら大変なんですね。悪王を退治することになるというと、これは王法の方になる。だからこの『菩薩折伏を行ずる時は』と仰っておる。
これはまた菩薩が王法に出現なさるということになっておる」と仰っています。

「今、この七百余年の歴史を振り返ってみて、これを今日の状況と比較して考えますと、今や状況は一大転換して歴史の上に
時代を隔しつつあると思います。それは、創価学会の折伏弘経をもって正法が全国的に流通して、いまだかつてなかった教団の
一大拡張が現出されつつあることであります。これを持って考えますると、将来の歴史家に立宗七百年、昭和27年以前は、
宗門護持の時代とし、以後を流通広布の時代と定義するであろうと思われます。」といった上で、

「開宗七百年、昭和27年を転機として一大流布に入ったということは、正法流布の上に深い約束があるのではないかと感ぜられるのであります。
これを思うにつけても、創価学会の出現によってもって起こった仏縁にただならないものがあると思います。」と仰った。

在家として出現する本化国主たる地涌の菩薩到来の日まで厳しく護り伝える使命を、宗開両祖より与えられたにもかかわらず、
その使命を忘れ三類の強敵として顕れたのが日顕なのです。<<



[335] 軌道

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月 8日(火)11時21分44秒   通報   返信・引用

「 叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」日厳尼御前御返事P1262
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ 未来の果を知らんと欲せば其の現在
の因を見よ」(御書231ページ)

生命の軌道が合致するかどうか。そこに一念を合わせる。これは視野が狭くては出来ない。
人間に縛られていては出来ない。生命の視点に立って波動となって進んでいく事なんだ。
というような事を思った今日この頃。

高村忠成氏の講演 私が感動した池田哲学─その深さと温かなまなざし─
からいくつか抜粋して、所感を添える。

>「責任者というのは、現場のことはさりげ
なく、あらゆることを知っておくことが大事なんだ。そうすることでいざとい
うときに適切な手が打てるんだ。そのかわり自分の知りえたことは人に漏らし
てはいけない」

深い心配りが、軌道からの脱落者を出させない方法。

>「みんなが注目しているなかで勝っていく
ことが大事なんだ。誰もいないところで自慢したり、威張ったりしても、意味
がないんだ。皆が注目しているなかで勝っていきなさい。そこで成果をあげて
いきなさい。誰もいないところで自慢したり、狭い世界で威張ったりしても、
それは一人よがりになってしまうんだ。」

波動を広げていくリーダー学。

>「世界だ。世界が相手だよ。これを忘れてはならない。もちろん、
常日頃は地道な地域にしっかりと根を降ろして活動をしていくんだけれども、
しかし常に視点は世界に向けていくんだ。世界が勝負だよ。」

しっかり、先の先の軌道まで見据えていくという事。

>ある時、先生と教員の代表が懇談する機会がありました。先生が、「本当に
優秀な学生というのはどういう学生かわかるか」と聞かれました。我々は教員
ですから、本当に優秀な学生は、と言われると、「はい、学問ができる学生です」、
「成績の良い学生です」、とか、「文武両道の学生です」、とか、あるいは「後
輩思いの学生です」、とか、もういろいろな答えがあがったのです。
 すると先生は、「いずれも大事だけれども、本当に優秀な学生というのは、
生涯母校を大事にして、母校の発展を祈っていく学生なんだ。これが大事なん
だよ。その視点を忘れてはいけない。人間としての恩義、人間としてのあり方
を忘れてはいけないんだ。

優秀な学会員となって、学会を発展させ護っていこう。

>「これは戸田先生から教わったことなんだけれども、
ある時戸田先生が、『尊い生涯とは、人生の偉大な生き方とは何かね』と聞か
れたんだ。その時、周りの人はいろいろなことを答えた。すると戸田先生は、
嬉しそうに、それらの人たちの答えを聞きながら、最後に言われたことは、『人
生の偉さというのは、一つは若い時の信念を生涯貫くこと、一生涯、若い時に
決めた信念を貫くこと』である。これが一つ。そしてもう一つは、『たとえ年
をとっても青春のような瑞々しい、若々しい生命で、生きぬくことなんだ』。
年をとって肉体の衰えは避けられない。しかし精神的には、いつまでも若々し
く生きていくんだ。この若いときの信念を貫くこと、また年をとったとしても
若々しく生きていくということ、これが「本当の人生の偉さ」なんだよ。私は
戸田先生からこの二つを教わったんだ。」

軌道を外さずに活き活きと生き切る。

>一人の女子学生が、「池田先生。私は将来、ずっと池田先生のそばにい
て池田先生のお仕事を手伝う仕事をしたいと思います」と、言ったんです。
 すると先生は、にっこりと笑って、彼女の顔を見て、「嬉しいね。その気持
ちは忘れないよ。でも全ての人が僕の周りで働くわけにはいかないんだ。そう
ではなくて、僕の心をもって、それぞれの地において、それぞれの立場で、各
人の職場で、将来頑張ってもらいたいんだ。『出でよ、10万の池田大作』だよ。」
と言われたのです。

一人一人が池田先生の軌道を生きていくんだ。

>「人材育成、これにはある意味では厳しく
しなければいけない。『賢聖は罵詈して試みるなるべし』、こういう御文がある
じゃないか。これはと思う人材には、徹底して厳しくするんだ。そこから這い
上がってきた人間が本物になるんだよ。」「獅子は自分の子どもを千尋の谷に突
き落とす。そしてそこから這い上がってきた子どものみを育てるという。まさ
にこの中国の諺にあるように、『人材というのは徹底して訓練して育成する。
こういう面もあるのです』」

罵詈こそ千尋の谷こそありがたい。恐れずに軌道を進もう。

>ある時、女子高校生が、池田先生に、「先生、しっかり頑張ります」、と言っ
たんです。涙を流して、先生の話が終わった後に、感激してですね、「先生、しっ
かり頑張ります」と決意をのべたのです。話が終わって先生が歩きながら部屋
から出て行かれる時でした。すると先生は、彼女のほうを振り向きもせずに、「信
じないよ」と言われたのです。
「その言葉、あなたが20年後にどのような姿で私の前に現れてくるか、その時
に信じよう。女性というのは、わずか一瞬、決意しても、すぐその後、いろい
ろな縁に粉動されて、目的を見失ってだめになってしまうんだから。」と言われ、
「真っ直ぐに、純粋に、前に向かって進むことが大事なんだ。特に女性は、一
つは、哲学をもつこと。もう一つは、良い先輩をもつこと。これが女性が道を
誤らない方法なんだ。哲学をもつこと、良い先輩をもつこと、そして真っ直ぐ
に、自分の決めた道を歩んでいくんだよ。」先生はこのように強調されました。

私は30年見ていてくれる友人がいる。自分の決めた道を進み続けよう。

>「組織にしても、何事にしても、一人のキチガイが
いれば発展するんだ。キチガイがいれば大丈夫だよ。キチガイというのは言葉
は悪いけれども、いわゆる真剣な人という意味なんだ。組織が弱いとか、皆が
ついてこないとか、そんなことを嘆く必要はない。一人のキチガイがいれば、
一人の真剣な人がいれば、必ず組織は発展する。皆がついてくるんだ。」

最後の最後で油断するようではいけない。どこまでも真剣に。

>「いろいろあるけれども、簡単に言ってしまえば四つだ。一つは、リー
ダーは明るいこと。二番目は、ユーモアがあること。三番目は、誠実なこと。
四番目は、真剣であることだ。人はリーダーの真剣な姿を見て、ついてくるん
だよ。この『明るさ』、『ユーモア』、『誠実』、『真剣』、このうちどれか一つ、
特色をもっていなければいけない。この四つを兼ね備えていれば、それは理想
だけれども、この一つを備えていることが大切だ。特にリーダーは、自分に悩
みがあったとしても、いつも明るく、元気でいなければいけない。後輩をリー
ドしていく責任があるんだから。そう振舞っていくなかで、自分の悩みも消え
ていくよ。」

明るく元気に輝きながら軌道を進もう。

>ある人が、「池田先生はどのような人が理想ですか」と聞かれたんです。
 すると先生は、素晴らしい言葉なんですが、「静かだが深い人、優しいけれ
ど強い人、平凡だが英知の人、純粋だけど勇気のある人、こういう人かな。」
と答えてくださった。静かだが深い人、優しいけれど強い人、平凡だが英知の
人、純粋だけど勇気のある人、こういう人が大事だな、と先生は強調されまし
た。

不思議な事を言うようだが、これは池田先生から見た日蓮大聖人ではないかと
ふと思って、この講演を今再び開いたんです。

>「人材育成の要諦はテクニックではない。それは大誠実しかない。
自分には出来ないことを君がやってくれという根本的な大誠実がなくてはいけ
ない。心より、この人を人材に育てようという気持ち以外にないんだ。そうす
れば、その人が敵に走るようなことがあっても、心の底では慕ってくれている
んだ。大誠実が根本である。そうすれば、10人の人がいて3人しか育たなくて
も、その3人が10倍の働き、すなわち30人分の働きをしてくれるんだ。テクニッ
クでは9人育てたとしても9人分の働きしかしないんだ。大誠実で接していけ
ば、必ず人は育ちます。」

どこまでも大誠実の軌道を。

>「あらゆる問題を避けないことだ。うんと苦し
むことだ。そして自分に与えられたことを真っ向から受けてやっていくんだ。
自分が本気になれば皆が変わる。戦後の日本の有名人もほとんど中国、朝鮮か
ら引き揚げてきた人たちだ。そういう人たちが戦後の日本を築いたんだ。ユダ
ヤ人は迫害されるなかから人材を生んでいるではないか。」

困難を恐れずに立ち向かう軌道が祈りを叶える軌道なんだ。

>「不潔でいい、
だらしなくていい、というのではいけない。常に綺麗に、常に清潔に保ってお
く。それが自分の生命を汚さないことになるのだ。常に自分の居るところ、自
分の環境を綺麗に保っておくことが身心の上で大事なことなんだよ。」

大切ですよね。実は苦手ですが、変えていきます。

>「これからは「生命の世紀」になる。すなわち生命という問題に焦点があたっ
ていく。21世紀は生命の世紀である。生命という問題を究明するのは、哲学も
あるが、究極的には、医学と天文学なんだ。医学は、人間の生命を内側へと掘
り下げていく。これが医学である。それに対して天文学というのは、一見生命
とは関係ないように見えるけれども、この人間生命が大宇宙に冥伏していく、
その究極の姿を解明していくのは天文学である。戸田先生は「科学が進歩すれ
ばするほど、仏法の生命観が正しいことが証明される」と言って、いつも雄大
な天文学の話をしてくださった。生命の問題を究めるためには、広い意味での
医学と、それから外へ向かっての天文学、これが生命を解明していく一つの鍵
になるんだ。だから私は生命論を展開し、そして世界中の、世界一流の天文学
者と語らいを続けているんだよ。」

まさに、その軌道を進むのだ。



[334] 四年で入れ替わり

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月 7日(月)14時51分57秒   通報   返信・引用

養老孟司さんが言ってましたが、人間の身体の細胞はたしか四年で全て入れ替わるらしいです。

もはや別人ですね!?(^^)

でも魂は変わらない。

これだけで仏教の凄さを感じちゃいます。



[333] 自分でない人間はいない

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月 7日(月)10時55分52秒   通報   返信・引用   編集済

「自分でない人間はいない」

さて、自分とは何か?

鏡に映っているそこには自分がいるのではない。
それは自分ではない。

そうして、ここにある自分を観察していくと
自分の頭を見ることが出来ない。

頭のない肉体が
自分から見える自分なのである。

これは視覚による自分の観察である。

この世界を意識しながら
車を運転してみる。

初心者でもないかぎり
ほぼ無意識にハンドルを操っている手が視界に入る。

この勝手に動いているものは自分だろうか。

雨が降ってくる。
意識を向けてワイパーのスイッチを入れる。

かたや意図的に動いているそのワイパーは
自分では無いのだろうか。

家に帰りお酒を飲む(私は飲みませんが)

気分が影響される。
意思決定が影響される。

食べ物を食べる。
吸収され肉体へと変化する。

DNAはたんぱく質の設計図。
脳は思考・無思考・感覚・識別、大きな役割を担っている。
神経細胞は心臓にもあり、心臓移植をすると人格が変わる事例がある。
心臓は常に脈動して生きている事実を支えている。
それぞれの細胞でエネルギーを生み出しているのはミトコンドリアだ。

どれが自分?

仏法では仮和合と言う。

植物は一本の枝から樹へと成長させることが出来る。
一卵性双生児は一つの受精卵から始まっている。

常に共にあり
いつもココにあり
なくてはならないもの。

空気は?
地球は?
温度やエネルギーは?
宇宙は?

池田先生の祈りは宇宙を包み返している。
それは、この宇宙が池田先生自身だという事だ。

自分でない人間はいない。

池田先生の恩恵を受けていない人間はいない。

池田先生の全ては、自身のためにあるのだ。



[332] サイヤさんへ

投稿者: 清潔な身なり 投稿日:2016年 3月 6日(日)11時35分32秒   通報   返信・引用

おつかれさまで~す(^ ^)

お忙しいのは羨ましくもありますが、くれぐれも無理しないようにですね(^^)睡眠時間の確保だけも出来ればばよいですね……
幸いに私は題目の時間がとれますのでサイヤさんの分まであげますので、睡眠優先して下さいね(´∀` )

集会は残念でしたね、ちょっと3人に私情が強く出てる気がしますが、良い方向に進むことを願います。

またゆっくり思索しましょう(^^ゞ



[331] 宇宙と仏法と一閻浮提とロマン

投稿者: 革命こそ蘇生 投稿日:2016年 3月 5日(土)17時52分11秒   通報   返信・引用

疑って云く如来の未来記汝に相当れり、但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、疑って云く何を以て汝之を知る、答えて云く月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く(御書508ページ1行目~4行目)
通解
疑っていうには、確かに釈尊の法華経の予言はあなたに当てはまっている。ただし、日本のみならず、インドや中国等にも法華経の行者がいるのではなかろうか。
答えていうには、全世界に二つの日があるわけがない。一国に、どうして二人の国主がいようか、いるわけがないではないか。同じく法華経の行者は全世界にただ一人のみである。
疑っていうには、何を根拠として、あなたはこのことがわかるのか。
答えていうには、月は西から出て東を照らし、日は東から出て西を照らす。仏法もまた、この大宇宙の法則どおりである。
正法ならびに像法時代には、仏法は西のインドから、中国、朝鮮、日本へと次第に東へ伝わり、末法においては、南無妙法蓮華経の大仏法が、東のこの日本から西へと流布していくのである。
http://www.sokayouth.jp/study/ikeda-daigaku/2013/2.html

さて、釈迦仏法を月。
日蓮仏法を太陽と表わすのは、これは妙法の上の必然なのである。

月が輝いて見えるのは光に照らされた結果であり
そこには太陽が自ら輝いている原因があるのである。

そして地球は一閻浮提であり一念三千である。
すなわち、十界互具・諸法実相の
世界であり衆生であり姿形・出会い・思考概念・発揮影響・分別識別である。

さて、西洋×東洋、宇宙観×仏法、人類の全体性という視点に立とう。

正法の時代の人類の機根は素直なものであり宇宙観も
紀元前の古代ギリシアの学者たちは、地球が宇宙の中心ではなく、
太陽のまわりを回っている1つの天体であるという鋭い洞察をしていた。

ところが像法の時代になると、「この教えが正しいはずだ」という思い込みに
宇宙観の方を論理の中に当てはめていくという人類の傲慢が現れるのである。
いわゆる天動説である。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0320a/contents/rekishi/answer03/main.html

月という釈迦仏法の正しさを見て、そこから宇宙の広がり法則に通じていた機根が
月が地球を回っている正しさをもって、太陽を含めた全ての星が地球を回っていると決め付ける機根に変わっていったのである。

そうして決め付けられた事は傲慢で強固な思考・概念となり
真実を解き明かす者への反発・迫害となって表れる。
これが末法の世である。

しかし悲観する事ではない。
これこそ本当に正しい事が広まる瑞相なのである。
大悪大善御書(御書全集一三〇〇㌻)
『大事には小瑞(しょうずい)なし、大悪を(起)これば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげ(歎)かせ給うべき、迦葉(かしょう)尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗(しゃりほつ)にあらねども・立つてをど(踊)りぬべし、上行(じょうぎょう)菩薩の大地よりいで給いしには・をど(踊)りてこそい(出)で給いしか、普賢(ふげん)菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし。』である。

天台大師の理を事へと開き既成仏教と戦った日蓮大聖人。
コペルニクスの仮説からくる「宗教対科学」に立ち向かったガリレオ。

西洋から見て「創価仏法は宗教ではない」と評される事もあるのは
こういった類似点からくるのかもしれない。

さて、釈迦仏法から日蓮仏法への革命・転換
天動説から地動説への革命・転換が起きたわけであるが

「見えている範囲が正しく配置しなおされた」のであって
「全ての全体が説明された」わけではない。

大きくは、地球は太陽の恵みによって豊かな星となっているが
それだけを中心にしてしまうのは「真実とは異なる」のだ。

アインシュタインやハッブルの発見によって
全ては相対的であって、宇宙には中心はなく
宇宙を貫く法則によって運行しているという真実。
その宇宙に浮かぶ地球という星は太陽を回っているのである。
http://park.looktour.net/national-park-info/%E5%9C%B0%E7%90%83%E5%89%B5%E4%B8%96%E7%89%A9%E8%AA%9E/%E7%A9%BA%E3%80%81%E5%AE%87%E5%AE%99%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

創価学会の出現、池田先生とその弟子によって実現されるべき事は
全ての思考概念は相対的であって、中心はなく
生命を貫く法則によって活動しているという真実。
その生命の活動に浮かぶ地球人類に同苦し慈悲で包んでいくのは日蓮仏法なんだという事である。

ここまで考察すれば
よもや五重の相対の解明と
重力波の発見がリンクしている事は
何の関係もないとは言えないのではないだろうか。


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