いまさら やめては だめなのだ

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[809] 立正観

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2017年 7月 6日(木)12時23分42秒   通報   返信・引用   編集済

噂は噂、都市伝説、街談巷説、道聴塗説、話半分
好きですよね、人って。

自我機能が自我機能を引っ張る、翻弄される。

嘘を作った意図思惑に、見抜いたという思い込み。

あれが本当、これが本当、どれが本当?
これが嘘だからあれも嘘?

主義主張、自己都合の思考概念。

だからそれは「どうでもいい」

今ここに関係ない。

御書にしても御本尊にしても
ただ紙と墨、あるいは木と漆と金箔。

ただそれがあるのを
一心がそこに何があるのかを見る。

色→受→想→行→識

仏教を学んでも、仏教を智慧化技化できない学者が
あれやこれや、あーだこーだと言う。

選挙戦のお好み焼き理論という俗論がある。
選挙を頼まれる人は、それほど深く精通していない人がほとんどなので
新しい話を聞くたびに、なるほどと思ってそっちにひっくり返る。
だから選挙というものは、ひっくり返して、ひっくり返されて
それでも最後にもう一度ひっくり返して投票してもらうのだと。

仏法の深淵からすれば限りなく薄っぺらい。
投票依頼を受けさせるのは簡単で、保たせるのは難しい。

「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」

その場限りの思考概念の納得で信じることを受け入れるのは簡単だが
体感からの揺るがない自得を持つことは難しい。

なぜ難しいかと言うと、授受の二者関係の双方に
意図思惑が働くから難しい。

意図思惑の無い「空」の体感が意図思惑に隠されるから難しい。

つまり意図思惑が消えれば反転する。

これしかないという空しか伝わりようがなく、それは失われなく
むしろ全くズレブレのない思考概念を完全に伝える方が難しい。

立正観抄」という御書がある。

この真偽問題(花野充昭)を見ると、
いかに思考概念の主義主張の世界であるかが垣間見える。

それはそれとして、御書の内容を見る。

そこには、禅天魔の達磨の禅観と
法華経による妙禅の一心三観・一念三千の観法が
分けられている。

しかし
一心三観・一念三千の観法と言っても
未だ天台智顗の可思議による
法華経の不可思議の妙観への行者の修行の方法にすぎない。

ゆえに
一心三観・一念三千の観法を修行すると言っても
肝心の法華経を貶めては元も子もない。

「理」→「事」→「動」であるべきところが
その血脈を失う。

日蓮大聖人は「法華経しかないという全体」
事の一念三千の御本尊を己心に見て顕わし
「動」へという
「南無妙法蓮華経 日蓮」を開いた。

(言語化に難あり、あえて深く言語化すべきではない)

御義口伝 方便品八箇の大事 第一 方便品の事
「南無妙法蓮華経は一心の方便なり妙法蓮華経は九識なり十界は八識已下なり心を留めて之を案ず可し、方とは即十方十方は即十界なり便とは不思議と云う事なり」等々

「理」→「事」→「動」への繰り返し確認の引用である)

「動」の中においては不可思議であって
「可思議」は無・空であって
思議できるような一切は消える。

「日蓮仏法」というものも消える。
日蓮大聖人という個別も消える。

禅天魔の達磨の禅観と
法華経による妙禅の一心三観・一念三千の観法の違いも消える。

「動」→「事」→「理」への反転が開かれる時にあっては
それ自体がそれ自体で一切である。

如来寿命は0であり
如来寿命は∞であり
如来寿命が1である。

言葉をいくらなぞっても、
そこには捨て去られるべきものがあるだけだ。

律動法によって「動」を知る時に復活する。
「動」によって開き蘇生し円満となる。


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