いまさら やめては だめなのだ

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[808] アビダルマ

投稿者: 飛翔こそ蘇生 投稿日:2017年 7月 4日(火)13時35分17秒   通報   返信・引用   編集済

気楽非活」さんの言っていることを
ざっくりと考えてみるもので
不勉強により、正確性を欠くかもしれない。

まず諸行無常っていうことで
この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するもので
不変のものはないということを
釈迦牟尼仏が入滅に際し、沙羅双樹の木の下で説いたとされる。

しかして非想非非想処を目指すにあたって
釈迦牟尼仏の残した教え(ダルマ)と向き合い
覚知すべき一定の体系を研鑽し(アビ)
その究極の法(アビダルマ)の上に全てを説明しよう

つまり諸行無常を諸行無常として成り立たせている
三世不変のアビダルマの覚知が悟りへの道だという学派が
上座部仏教の説一切有部だと、ざっくりと言えるだろうか。

参照アビダルマ哲学入門  阿毘達磨倶舎論入門   改訂版

眼,耳,鼻,舌,身,意の六根
色,声,香,味,触,法の六境
眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識 の六識
合わせて十八界とする。

また、五位七十五法 等を書いた
世親(天親)の『倶舎論』が有名である。

五位七十五法における
「心王」の位置が興味深い。

御書「一念三千理事」では
仏法発展の順を追って倶舎論から
十二因縁が説明されている。

原始仏教から部派仏教にかけて行われたもので,すべての存在を五蘊(ごうん),十二処,十八界などの諸要素(法)に分析し,そこに自我はない(人空)と見るものである。これは,自我への執着を絶つことを目的としたが,諸要素の実在を肯定する多元論的実在論に陥った。(世界大百科事典【空観】より

倶舎論を書いた世親(天親)は、その後
弥勒を開祖とする大乗の瑜伽行唯識学派に転向している。

この学派は
ヨーガ(=瑜伽(ゆが))の実践の中に唯識の体験を得、教理にまとめた。

現在我々が知っている九識論の元になっているそれであり
実践的に六識を発展させたとも言えるか。

ウィキ阿摩羅識を見ると、概要が分かる。

説一切有部が不変の法という境を見出そうとしたのに対して

唯識学派では
法という境に求めるのではなく
思考を受けている意根に求めるのではなく
認識する意識の内奥の性を求めた。

日蓮仏法においては
九識心王真如の都という「仏性」ということになる。

さて、回り道をしたが、中論の龍樹を見よう。

時代的には瑜伽行唯識学派より前
中観派の祖師が龍樹である。

上座部仏教の説一切有部に対して

まぁ、ざっくりと言うと
自我機能の探求による思考概念の上書きの愚考だと断じて
相対的現実の見方、三つの区分けを論じたという事だ。

上座部仏教が法が実在し自分が空であるとするのに対し
大乗では仏性があり、一切法は空になる。

で、気楽非活さんが言ってるのは、その空である法を
一念三千として体系化して対象化するのなら
元の木阿弥で思考概念になるのではないのか。

そこに重きを置いたら、
大乗の運動から外れているのではないのか。

そんな感じだろうか?

南無妙法蓮華経とは何なのか
御本尊とは何なのか

究極の法が
有るのか無いのか。

考える限り
思考概念の「考え」だよねそれは。

しかし考えてみることがあるから
それを思考概念の「考え」と見分けることも出来る。

仏性と法と仮観が一心に在る。
分離していない真如の真我。

1973年阪神タイガース対中日ドラゴンズ
延長戦ノーヒットノーランを達成した江夏投手は
自らのホームランで試合を終わらせたという。

相対的には

大地が震動しなくても
自らが震動すれば大地が震動している。

法華経に描かれる振動の先。

そこに自ら何を見るか。

ただそれ


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